バリアフリー小史(2)
1 はじめに~バリアフリー半世紀~
1.1 「標準」さん
「Mr.Average」の紹介から話を始めよう。
彼は、肉体的にもっともよく適応できる壮年期にある男性(女性ではない)の象徴であり、「統計的に言えば、少数の人しかこのカテゴリーには属さない」のであるが、世の中のほとんどの施設、設備は、彼が使いやすければいいというような設計思想で作られている。
架空の人物である「Mr.Average(日本語にすると「標準」さん。あるいは、作家・山口瞳氏にならえば「江分利満」氏だろうか)」をこのように紹介し、物理的障壁及び社会的障壁によって身体障害者等の日常生活が制約を受けていることを指摘したのが、国連障害者生活環境専門家会議が1974年に公表した「バリアフリーデザイン報告書」である。
同報告書には、主にヨーロッパや北アメリカでの取り組みが紹介されており、これを一つの起点として、バリアフリーデザインの世界的な広がりが始まったと考えられる。すなわち、バリアフリーという考え方が国連の場で提唱されてから、半世紀が経過しようとしているのだ。
「バリアフリー」は「障壁除去」と訳される。元来は段差の解消等を意味する建築用語なのだが、「障害者対策に関する新長期計画」(1993年3月)ではこれを「物理的な障壁」、「制度的な障壁」、「文化・情報面の障壁」、「意識上の障壁」の四つに分類している(後述)。これは同計画の5本の柱のうちの「全ての人の参加によるすべての人のための平等な社会づくり」で示されたものである。計画では「これらの障壁を除去し、特に街づくり等を含む生活環境の改善や技術の進歩に応じた福祉機器の開発、普及を図ること等により、障害者が各種の社会活動を自由にできるような平等な社会づくりを目ざす」としている。
バリアフリーは「障害者が各種の社会活動を自由にできるような平等な社会づくりを目ざす」ために必須なものだということが、すでに30年前から国の目標として掲げられているということを、改めて指摘しておきたい。