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『わたしを離さないで』

あの人との過去があるから、
わたしは切ない物語を求める。

脳は物事を都合よく、
美しく修正するだろう、
わたしが頻繁に感じることは、
勘違いかもしれない。

わたしはいま、幸せ。
でも、時々 思い出したくなる瞬間があり、泣いてしまう。

出会うタイミングも想う気持ちも間違っていなかった。
恐らく大切にしてくれていた。

周りに関係性が明らかにならないようにしてくれたこと、
"時々会えるだけで
元気にしてる姿を見るだけで
もう十分に幸せなんだ"

“幸せに生きてくれたら、
僕はそれで幸せだ”

浅はかなわたしは関係性を明らかにしないあの人を信じられなかった。

あの人はあの人なりに、わたしから笑顔を奪うことや、寂しい想いをさせたくなかったのだと思う。

“恋愛と結婚は違う”

“好きな人とは結婚しないだろう”

わたしは傷ついた。
わたしは幼い。26歳でようやく…

幸せになれない関係に距離を置くこと
優しさと強さがなくては、できない。

愛する人に、
“君が幸せなら、僕は幸せ”と、
手放すことを覚悟で、
わたしに言えるだろうか。

だからあの人を、傷つきながらも嫌いになれなかった。

怒り、軽蔑した時も、
やっぱり心から尊敬していた。

感覚で、理解していた。
わたしは無知で無鉄砲で、わたしだ。

だからあの人はわたしを好きになった。

わたしが我慢できず、必要以上に欲しがった。

欲しがって滅茶苦茶にして、壊れた。

信じること、
愛を信じる強さで元に戻せた。

互いに、心の奥底では、多分、”ある”。

それは、その当時のわたしたちで、
それは、もう、その時は戻らない。

でも、そっと、想い出だけは、
時空を超えて、ある。

わたしは大人になり、
前のように、
同じように、
“取り戻す”ことは絶対にしない。

ただ、美しい瞬間が心にあることが、
そしてあの人も大切にしていれば、
そんなに素敵なことは、ない。

戻ることはない。

ただ河は流れてゆく。

いつの日か、
わたしたちの河が重なる日が来たとしても、
それはその時にしか分からない気持ちである。

お互いが元気に生きていれば、
それで良い。


カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を読み、
二度と戻らない、
その時にしか高ぶらない互いの気持ち、
そんなものを、
わたしの切ない想いが、
カズオ・イシグロに重ねに行きました。

気持ちが重なる瞬間を、
丁寧に大切にしたいと、
今の「私」は思います。

平成に生まれた私が経験した、
切ない日々の記憶でした。

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