とある 私のおはなし
あるところに、偉い社長さんの秘書をしているかわいらしい女の子がいました。
女の子はなにをしたいのかわからず、しばらく笑顔で秘書をがんばっていました。
まわりのひとからは、羨ましがられました。
たくさんの国に出かけ、すばらしい経験をしました。
あたらしいことがたくさんあり、まるで夢の中にいるようでした。
しかし、彼女はくるしみをかかえていました。
あたらしいできごとは、彼女のくるしみをすこしのあいだやわらげてくれました。
ぜいたくな生活にこわさと居心地のわるさをかんじるようになりました。
彼女の笑顔でむずかしいことがかんたんに進むことにおそれをかんじました。
かんたんにてにはいってしまうことがこわくなりました。
彼女にはふしぎなちからがあり、彼女をまもろうとするひとがたくさんいました。
彼女はたくさんのひとに好かれても不幸なことに幸せではありませんでした。
彼女のいやすちからは、とうとうおおきな会社の社長さんをも虜にしました。
しかし彼女はまったくしあわせではありませんでした。
豪華なプレゼントは彼女のきもちをより不機嫌にさせました。
しまいにはそれが悲しくなり、ひとりぼっちになっていきました。
お金をもっているひとが偉そうにまがった愛情を彼女にあてがうことに怒りをかんじました。
彼女はじぶんのまわりを嫌いはじめ、身の不幸をひとのせいにするようになりました。
それまでの彼女とはきょりをおき、こころのこえにしたがって動きまわりました。
彼女はなにかをそとにひっしでさがしまわりました。
ひとりぼっちになってしまった彼女はもがきくるしみました。
そして、じぶんがひとにこたえをもとめていることにきづきました。
たくさんのものをもらい、安心できるだけのお金をもらい、ちやほやされることでは得られない悦びを全身からかんじました。
すてきなひとにかこまれると、いまでもころころと気持ちがうごいてそこにあてはめたり、くらべてしまうけれど、彼女はほんのりと温かいものを胸にかんじるようになりました。
そうして私はこれまでに築き上げた幻想としての私を受け入れることも突き放すこともせず、
ただただサンチャゴの巡礼に向かったのでした。
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北鎌倉の山奥に生まれ育った私は、幼い頃から自然に囲まれ育ちました。
ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』や C.S.ルイスの『ナルニア国物語』を皮切りに、児童文学の世界に夢中になり絵ばかり描いて過ごしました。
ある時 子供向けの本を読むことに猛烈な恥ずかしさを覚え、読むこと 描くことを辞めました。無意識世界で伸び伸びと好き勝手していた個性豊かな”彼ら”は、「ある時」の到来を機に、姿を見せなくなりました。
様々な葛藤を通じ、3年後、社長秘書になりました。
経営者や資本家が集まるダイナミックで想像したこともなかった世界を経験し、20代前半は刺激的な日々を送りました。しかし同じくらいの虚しさ、切なさ、悲しみと付き合うことになりました。
お金とは、幸せとは、女性が仕事をするとは、
当たり前に受け入れているシステムへの違和感に取り憑かれました。
他者の物差しに測られることに慣れ、怖くなった時に、生き方を問い直しました。
そして会社を退職し、サンティアゴ巡礼に行こうと自然の流れで思いつきました。
写真や絵、ことばや詩を手段に表現しているときは、いつだって子供の時のように無邪気になれて、楽しい。
「私にはできない」「社長秘書だから発言を控えなくては」
自分に言い訳をつくって、我慢して働き違和感を無視することが美徳で立派な大人なんだと割り切って過ごしました。
「やっぱり絵本を描きたい」
やってみないと何も始まらない そんな流れでnoteを始めました。
そして、5月24日からスペインへ。