川柳の読み6-川柳句会ビー面より(2023年8月)
(引用元・上記リンク 2023年8月 川柳句会ビー面より)
花屋ごと棺桶とする火事かしら/太代祐一
花屋が火事になっています。しかし主体はずいぶんと落ち着いています。「する」という言葉がマッチを擦る、を思わせて放火のようにも思えます。花屋の死生観のことも知っているようで、なんだかこの主体は怪しいです。
「かしら」は一見上品そうな口ぶりですが、とぼけているようにも見えます。
このセリフを言っているシチュエーションをいろいろ想像してみましたが、取り調べ室の中で言ってたらとても怖い…。
定型にきっちり収まっていることすら棺桶としていそうな句。とても不穏で好きです。
天罰のため走順をかき混ぜる/ササキリユウイチ
「そうじゅん」から一休宗純のことと読みました。一休さん。お坊さんなのに女性と交わるわ肉は食べるわ酒は飲むわで、天罰の一つくらいくらっても仕方ないんじゃないでしょうか。
「走順」からマラソンを想起しますが、お坊さんのゴールは悟りなのかもしれません。そうじゅんをかき混ぜて(その心や運命を乱して)悟りを得るために不利な状況を与えてやれ、と。
しかしきっと遅かれ早かれ、夜に一羽のカラスが鳴いたのを聞いて悟ってしまうんですよね。一休さんは。
公園になって尻尾に触れてみる/小野寺里穂
かわいいですね。
犬や猫の尻尾触り放題は公園の特権です。
いいなぁ…公園羨ましいなぁ…。
猫の尻尾はエノコログサ(ねこじゃらし)に似ています。瞬間的にエノコログサになったら気づかれずに触れるかも。羨ましいなぁ。
わたしメリーさん、かつおぶしが踊っているの/スズキ皐月
メリーさんが踊るかつおぶしを見つめている、なんとも不思議な光景です。
都市伝説で語られるお人形のメリーさんはオチが「わたしメリーさん、あなたの後ろにいるの」で終わります。背後でお人形がお好み焼きを焼いていたら驚きます。
しかしメリーさんが生前バレリーナになりたかったとしたら悲しい句のようにも思えます。
これからはかつおぶしの踊りを見るたびにこの句を思い出しそうです。
(ゲバ棒-棒)/場+血=チゲ/ 西脇祥貴
一生懸命調べながら読んでおります。
ゲバ棒は民主化棒と呼ばれていたそうです。
つまり「(ゲバ棒-棒)=民主化」
「場+血=」血場は戦場のこと。この場合、激しいデモの事かもしれません。してしまいます。そしてチゲは韓国語。
もう一度式を整理すると「民主化/デモ=韓国」これはつまり「韓国民主化宣言」になる…かもしれません。国を二分するような出来事ですから割り算にもなるでしょう、
作者に政治的な意図はなかった気はするのですが、自分としての読みはこうなりました。なっちゃいました。すみません。
暴君竜の古代拳法/雨月茄子春
暴君竜はティラノサウルスの事。このちょっと古めかしい言い方が、昔のティラノサウルスの復元図を思わせます。大きな頭、やけに小さな手、後ろ足で立ってるというイメージです。
それが古代拳法をやっている。ちっちゃな手を一生懸命動かして戦っている。かわいすぎやしませんか!!
このちまちました動きには他の恐竜達も魅せられてしまうでしょう。
かわるがわる声は橋に置いていく/公共プール
「嬌声」(喘ぎ声という意味で)の可能性もあるかなと思いました。
かわるがわる、ということは声を出している人物は二人いそうです。どちらかが女性だとしたら、橋の字の木へんが女に変わって「嬌」になってしまってもおかしくない(?)かなと思いました。
橋の上で致す男女。そういえばアポリネールの詩で男性器が橋に例えられていました。
この橋を人が渡るたびに色っぽい声が聞こえてきそうです。
仰向けの死はどこで習ったのだっけ/城崎ララ
死を習うという発想が面白いです。
仰向けで死にかけた人がそんな想像をしながらだんだん意識が遠くなっていくのでしょう。うつ伏せで死んだ人も、棺桶の中では仰向けになるのだから習っておくべきなのでしょうね。仰向けの死講習会とかで。
領域やけん食べきらんのよ/南雲ゆゆ
食べきらんのになんだかガツガツ食べてる気がすると思ったら、私は「やけん」の部分から空腹の野犬を想像したようです。
食べられてしまっている領域は「きらん」と光って危険を知らせているようです。
しめやかに悲喜交交のフラダンス/二三川練
フラダンスはお葬式の時にも踊るそうですね。
交交の字は踊る二人の人物に見えます。「交」は「六」「文」の字を合わせたみたいだから三途の川を渡る六文銭の代わりに使えませんかね。ダメだったら渡賃としてフラダンスを踊りましょうか。