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no.2『蝉』

夏の思い出に
蝉の声は響かない

確かに聴こえていたはずなのに
まるで初めからそこにいなかったように
体験だけが
ありありと私の夏を象っている

汗で張り付いたシャツが
くくった髪とその内側に篭る熱が
頬張った製氷機のカルキ臭い氷が
夏を私のものにしてくれる

蝉は何をしていたんだろう

そこかしこから聴こえる彼らの声も
煩いから、邪魔だから
私は思い出の中で
知らないふりをしているのかもしれない

彼らはただ
けたたましく鳴いている
凍えるように震えている
自分を見つけて欲しいから
夏に甘えて必死にその身をよじっている

そんな憂いを孕む合唱を思うと
私は切なくなってしまうから
いっそ無かったことにしてしまおうと
『今日も暑いね』
なんて、その場限りの友人達と談笑するのだ

夜風が肌寒くなってきた
そこでようやく夏の終わりが近いことに気づく

彼らが消える
夏だった季節は余りにも静かだ

替わって夜に
夜のための歌声が響き始める
鈴虫はきっと蝉の生まれ変わりだ

茹だるような夏の暑さ
思い出に蝉の声は響かない
鈴虫たちの賛美歌は
きっと記憶に残るのに

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