始まりの日
こんにちは、森本といいます😊
随分前にこんな記事を書きました。子どもたちが生まれてからの僕たち家族の歩みを記録しておくための日記です。
随分期間が空いてしまいましたが、続きを書こうと思います。
それでは、、、
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2019年の冬、僕たち家族は奈良県に僕の転勤で引越しをした。
関西に戻ってくるのは大学生の時に京都に住んで以来だった。
この時長男の恵多(けいた)は年長になる前。慣れ親しんだ幼稚園を去り、初めてお友達とのお別れを経験した。
次男の瑞己(みずき)は1歳になったばかり。ようやく歩き始めた頃だった。
バタバタ新しい環境の中で過ごすうちに季節は春になった。通勤で駅まで向かう途中の桜がキレイだった。
恵多は新しい幼稚園に通い始めた。以前通っていた幼稚園よりも規模も大きいし、新しい環境に馴染めるかどうかが心配の種だった。
そんな親の心配をよそに、恵多は新しくお友達もできたようで楽しく幼稚園に行っているようだった。
毎回のことながら子どもは環境への順応が早い。
そんな中、心配なのは子どもたちよりも妻のほうだった。
恵多は小さい頃に発達障害の診断を受けているため、継続して発達支援を受けている。
妻は僕なんかより、ずっとずっと恵多のことを気にかけていた。
年長にもなると、周りのお母さんは仲のいい子ども同士で既にコミュニティが出来上がってしまっている。後から輪に入るのは簡単じゃない。しばらくは疎外感を感じていたようだった。
そんな妻の気持ちはお構いなしに、恵多は幼稚園が終わった後の園庭で遊んでいた。その間他のお母さんたちはグループで会話が弾む。
、、、
2019年の秋だったと思う。仕事から帰って何気なく妻と話していたときに、振り返った妻の後頭部に円形脱毛症を見つけた。
何の根拠もないが、直感的に
「まずい」
と思った。
普段は明るく平然と振る舞っていたのに、体は日常に拒否反応を起こしていた。特定の原因があるわけではなく、恐らく様々な環境変化へのストレスだったんだと思う。本人に自覚がないのが余計に怖かった。
その直後、僕はとっさに
「佐賀に戻ろうか。」
と口にしていた。
転勤族の僕としては、どうせいつかは拠点を決めないといけない身だった。その決断が早まるだけの話だった。単身赴任を覚悟した。
妻と相談しながら、子どもたちにとってどうすることがベストか、僕自身の生き方も含めて考え始めた。
ぼんやりと方向性を決め、具体的に動き出した途端、引き寄せられるようにいくつもの良縁が続いた。
たくさんの人に支えられながら、「点」と「点」がつながり、「線」になっていった。前を向いてさえいれば、なんとかなるもんだと心から思える。
自分たちの人生は、結局自分たちで行動して掴み取っていくしかない。そう腹をくくれるかどうかだ。
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そして、2020年3月に佐賀の土地を購入し、今日は新居に引っ越してきた。
、、、
このnoteでこのことを知る友人・知人もたくさんいると思います。事前に報告できていなかった方、ごめんなさい。「らしいなぁ」と思って笑って応援していただけるとうれしいです。
、、、
2020年8月8日。
僕たち家族はまた佐賀に戻ってきた。お互いの地元でも何でもない場所に家を建ててしまった。すごい決断をしてしまったんじゃないかと、時々ドキドキする。
こんな人生になるなんて全く想像していなかった。誰かが引いたレールの上を走るのではなく、これからは自分たちでレールから引き直していく。
そんな人生も悪くないかなと思う。
今日は僕たち家族の新たな始まり日だ。
楽しんでいきます。
(このお話はまだまだつづくよ!)