外見をけなされたことありませんか?
おはようございます。
私は16年前にPTSDと診断されました。
私の場合は、「心がつらい」と落ち込んで気づいたわけではなく「ある状態におかれると過呼吸を起こす」ということに気づいたのです。
傷つくことを言われても放っておくことはありませんか?
その相手との関係を修復することに一生懸命になり、傷ついた自分と向き合うことを避けていませんか?
私は精神科で薬を処方してもらいながら、自分の心の傷と向き合うことにしました。
まず、自分に起こった事件を書き出します。
ただ、本能的に記憶を奥にしまってしまうことがあるそうなので、ほんの些細なことでも書き出します。
今日は最近になって奥から引っ張り出した8歳の頃の傷と向き合います。
1.祖父に「ブス」と言われて泣いた
2.その時、父に「泣くのは卑怯だ」と怒鳴られた
その時の『心のつぶやき』
① 汚いものののように言われた
② 私なんていない方がいい
③ 何を言われても、何をされても私が泣いたら相手を責めることになる
④ 早く泣き止まないと父の怒りが頂点に達する
でき上がった『マイルール』
① 何をされても相手を悪者にしてはいけない
② グズグズするな、さっさとやれ
この『マイルール』によって私は、中高生時代のいじめの加害者たちを告発することもせず、社会人になってからも犯罪加害者たちを告発しませんでした。
ここで認知行動療法では『心のつぶやき』のそれぞれについて「根拠となる事実」と「否定する事実」を書き出すのですが。
私の場合は、自分の気持ちを否定することにだんだん傷つき始めました。
そして、はっきり言ってつまらない。
そこで私はわたしの最大の疑問である「人を傷つける人間の心境」を探ることにしました。
『マイ考察』
1.祖父について
・祖父は戦争を経験し、戦後は国鉄に勤めていた。
・アルコール中毒気味で、収入は酒代で消えていた。
・祖母が働き子どもたちを育てた。
・祖母には頭が上がらない。
《仮説》
・あのとき地元で横田めぐみさんの拉致の話題が出ていて、女子児童が不審者に声をかけられる事件が相次いでいた。
・もしかしたら祖父は私はブスだから安心と言いたかったのか?
・祖父は、祖母や母を笑わせたかったのか?
・ただ、女衆に子どもの悪口を言っても笑いがとれず、子どもを守る母性の方が勝ち、祖父は怒られていた
∴ 祖父は笑いのセンスがない
2.父について
・父は精神年齢が低かった
・幼い頃、養子に出され祖父母たちは父に気を遣っている様子が見えた
・仕事に就いても長続きしない
・「卑怯」を調べると「ものごとに正面から取り組もうとしないこと」なので、あのとき私に叱る言葉としては間違っている
∴父は、あのとき子を叱る親の姿を祖父母や母に見せたかったのでは?
結論
1.私は2人の言葉を正面から受け止めて反応しただけ。
2.祖父も父も他人からの評価を自分の価値だとする人。
新しい考え
自分の価値は、自分で作りあげるもの
1. すべての人が私を嫌いだとしても、私は私を嫌いになる行動はしない
① 良識を知る
② 自分を知る
2.他人の評価で自分の価値を決めない
① 視野を広く持ちつつ自己満足する生活を送る
② 苦手分野は自分なりに工夫する
③ 興味のあることやスムーズに楽しくできることは、誰に反対されても深堀りし技を磨く
ちょっと荒業かもしれませんが、私なりに未来の目標を立てることができました。
私は、優しい言葉をかけられるより、病気のことで家族におんぶや抱っこしてもらうより、疑問を解決する方が心の靄が晴れた気がします。
同じような病気を持っている方は、たぶん完治には時間がかかると思うので、時間をかけて自分なりに心の靄を晴らしてください。
その時間をもらうためには家族の協力が必要です。
もし、生まれつき家族のいない方は福祉事務所などに相談できます。
私は、父も母も亡くし妹と二人暮らしで何をするにも反対はされない環境になりました。
時間が解決する部分もありますが、歳をとってからでは間に合わないこともあります。
みんなで幸せになりましょう!