劇場と廃墟と
イマーシブシアター。参加、没入型。と説明される。
安全と刺激のバランス。「シアター」について考えてると、大袈裟に言えば、この公演にいったら、歯の一本や二本いくかも、とか、白い服は汚れるからやめとこうとか、そういうスリリングさが演劇とかの魅力の一つでもあるような気もする。
元来の祝祭性として。それでも観てみたいぞっていう。そういうことは年々できなくなるけども。なんかそういう色気、ヤバさについては考えたいテーマではある。昔、子供がサーカスみてトラウマになっちゃうとか、そういうことを社会から排除しすぎると、健全が過ぎて違った歪みが生じる予感もある。清潔が過ぎる環境で育った子が免疫力が弱くなってしまったりするように。街には暗がりがあっていいし、変な場所がある程度ないと、住民の選択肢があまりに限定されてしまう。
そもそも、人が一箇所に集まるということのリスクと色気について考えてみたい。劇場は映画館とも違うし、安心安全な公民館でもないということ。
安心安全、清潔、消毒、無菌とか、そういうことで得られるもの、失ったもの。
だからこそ現代において廃墟は人の心をグッとつかむのかもしれない。
廃墟なんて、安全を確保しつつ、その雰囲気を体感して、過去そこにいた人々の息吹を感じながら歩く場所でもあるし、人を想う、想像する楽しみとしては少し劇場に似ているようにも思える。そういえばハンブルクには占拠された廃墟の劇場があった。すさまじい存在感だった。
東京にも劇場の廃墟があってもいい。
青山円形劇場とか青山劇場は廃墟というより凍結された物体のようになっていたし。フェンスに囲まれて。この扉を開けて中に入ったらどうなってしまうんだというドキドキのある建物がもう少しあってもいいのに、と思っています。
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