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やってはいけなかった医療①

はじめに

愛する息子、森仁(もりと)が旅立ってからもうじき19年。
「森は命の根源」病気に向き合い力強く闘う姿は、名前の通り生きるエネルギーに満ち溢れていました。
きょうだいもまた、森仁の病気の治癒を信じ、全面的に協力してくれました。それなのに…助けてあげることができませんでした。

森仁は病気に負けたのではなく、治療のスタートラインに立つことができず、生きる道を閉ざされてしまったのです。

急性リンパ性白血病。その診断自体が本当に正しかったのかどうかもわかりません。
医師からは、研究グループに所属しているので、どの病院で治療しても治療法は同じと説明を受けました。しかし…嘘だったのです。
そればかりでなく、検査・治療に対する技量・認識不足もありました。

治るはずのない治療を治ると信じて受けていたのです。
なぜ、こんなことが起きてしまったのか真実を知りたいとの思いから、カルテ開示、示談交渉に進みました。

森仁の命を無駄にしたくない。失ってからずっと抱えてきた思いです。
しかし、病院とは裁判ではなく示談で解決したため、公表のタイミングを逸してしまいました。
それにより「社会に警鐘を鳴らす」という目的を果たすことができませんでした。

発信の方法を模索しているうちに、東日本大震災による原発事故が発生。大量の放射性物質の放出。
毎日耳にする官房長官の「直ちに健康に影響が出るものではない。」
数年、数十年先のことは誰にもわからない。人を信じた末に森仁を失った経験から「今度こそ子どもを守らなければ…」と自主避難をしました。

やがて生活は落ち着いたものの、年齢を重ね頭の整理ができなくなり、書き出そうとすると辛くなって逃避する…の繰り返し。

治癒の可能性があったのに、その時代にできることを行わず命を落としてしまったこと、必要以上に苦痛を与えてしまったことに対し、後悔と自責にさいなまれる日々。

湧き出る嘆きを抱え、ややもするとヘナッと折れそうな心を添木にぐるぐる巻きつけて「これをやるまで死ねない!」と奮い立たせていました。
社会への発信は、自分自身をこの世に留まらせるための人生の課題のようなものでした。

森仁の命をもって伝えられることは何か、一連の経験を現在そして未来へ繋ぐためにできることは何か。
怒りと悲しみで占められていた感情。それらの昇華に努めながら、より良い医療の実現を願い、綴ってみました。

稚拙な文章ではありますが、お読みいただければ幸いです。









           


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