やってはいけなかった医療⑤
末梢血幹細胞移植
いよいよ移植準備。8日前から前処置が開始された。
放射線全身照射 2回×3日間。
大人でも長時間同一姿勢を強いられるのは苦痛であるが、6歳の森仁(もりと)は小さな拳をぎゅっと握り、動かないようじっと耐えていた。
その後、大量化学療法。
3歳で治療を開始してから匂いに敏感になっていたが、移植前は更に過敏になりアルコールの匂いで嘔吐。
感染を予防する薬がどうしても内服できない。わずか6歳でも移植に必要な薬ということは十分理解している。寝ても覚めても薬のことが頭から離れないようだった。
足のムズムズ、関節痛、口腔内の痛み、下痢、嘔吐…
症状が出る度に悪化しないよう祈り、活気があったらあったで「薬が効いていないのでは?もしかしたら規定量入っていないのでないか?」と勘ぐる。
生と死が隣り合わせの閉塞的な空間で、思考までもが追い詰められていた。
そのような中、休日に長男と三男の顔を見るのが救いであった。
そして2005年3月23日、末梢血幹細胞移植。
何事もなく生着しますように…祈ることしかできない。
白血球数が100未満~100の日が続く。痰がらみの咳、足ムズムズ、関節痛、熱発、頭痛…
一方、全く食事を受け付けないということはなく、少量でも何かしら口にしており、「あ~いくら丼食べたい。」と大好物を思い浮かべていた。
ぐったりするのも心配、食欲があるのも心配。複雑な親心。
移植前は添い寝をしていたが、移植中は抱きしめてスキンシップをとることもできない。信じるしかない。
針の筵の数日を経て、11日目に300、12日目に500と白血球が増えてきた。
その頃、食欲がなくなり、倦怠感も強くなっていた。その姿を見て一安心。
そして、13日目にして生着とみなされ、翌日の4月6日、晴れて小学1年生となった。
院内の小学校から、担任の先生2名が病室に来てくださった。ベット上にちょこんと正座をして、先生の話を聞く。最初は少し緊張しているようだったが、渡された時間割についていろいろ尋ねていた。「あ~早く勉強したい。」やる気満々の1年生!
もしかしたら、ランドセルを背負うことができないかもしれない…そんな弱気な母の「悪のザワザワ」をものともせず、森仁はたくましく前処置の山と生着の山、二山も越えたのだ。
程なくして、医大のグランドまわりの桜は見事に満開となり、病室から毎日眺めた。「来年は家族みんなでお花見したいなぁ。」と願いながら。
下痢や吐き気、膀胱炎や尿糖高値など、次から次へと合併症が現れたが、その都度適切な治療を施してもらい事なきを得た。
4月末には病棟のプレイルームで、学校の先生、医師や看護師も参加して、入学式を行ってくださった。
たくさんの方から祝辞をいただき、その都度「ありがとうございます。」とハキハキお礼を述べていた。
その後、皮膚にGVHD(ドナーのリンパ球が患者の臓器を異物とみなして攻撃する)が出た。顔、頭、腕、腹部や背部、広範囲にかゆみを伴った発疹。
白血病細胞を攻撃してくれるかと喜んだが、その効果が期待できるのは急性ではなく慢性GVHDであり、時期的に早いとのこと。なかなか望み通りにはいかなかった。
小学校入学時からベッドサイド学習が続けられていたが、移植から約2ヶ月後には学校への通学許可が下りて、張り切って登校。
病院の一角の小さな学校は、児童に寄り添った温かい空間。受け身の経験が多くなる入院生活の中で、学校では個々の意欲を尊重して、主体的な活動を支援をしてくださった。
教科学習以外にも野球や卓球、調理など、楽しいことがぎゅぎゅっと詰まっている。新参者の森仁は、休み時間に6年生とカードゲームをすることをとても楽しみにしていた。
また、夕方になると医学生が訪室して、退屈しないようUNOやゲームの相手をしてくださった。
沢山の方々のご支援のおかげで、移植から2か月半後の6月9日、待ちに待った退院の日を迎えた。
再々発
外来通院は1週間に1回。待ち時間や受診終了後には、院内の学校にも登校。80Kmの道のりをせっせと車を走らせた。
退院後まもなく「足がムズムズする。」と頻回に訴えるようになる。ふくらはぎ、そして太もも、やがて足だけにとどまらず腕など、それまでよりも広範囲に及んだ。特に寝入りばな、ストレスが加わった時など顕著。手首、足首、膝の関節痛も訴えた。
GVHD?長期ステロイド使用の影響?再々発?
わけがわからなくなっていたが、頭に浮かぶ「再々発」の文字はすぐに打ち消していた。
7月に入ると、毎日のように吐き気と嘔吐があり、食欲のない日もあった。無理やり、GVHDや暑さのせいにして自分を納得させた。
それでも、公園や遊園地、ボート漕ぎ、病気平癒の三十三観音巡り、釣り、映画鑑賞など、人混みを避けながら、家族バラバラの時間を取り戻すかのように、週末や夏休みを利用してあちこちに出掛けた。
また、幼稚園では森仁のために卒園式を行ってくださった。
移植前に比べると疲労しやすかったものの、外出先での森仁は遊具で遊んだり、小刻みに走ったり、外の空気を思いっきり吸ってのびのび遊んでいた。
その時は気がまぎれるためか、不調の訴えはほとんど聞かれなかった。
夏休み終盤、大学病院近くに一家で転居。その頃には首や腰の痛みを訴え、倦怠感も強くなり、1日に何度も嘔吐。
遊んでいてソファから落ちたと言っていたので、痛みはそのせいであろうと、押し寄せる不安を跳ね除けて、もはや強引に思い込ませていた。
8月25日、二学期始業式。長男の転校先に同行して挨拶を済ませ、その後定期受診のために病院へ向かう。痛みのコントロールが難しく、嘔吐の回数も増えたため、そのまま入院となった。
翌日、マルク(骨髄検査)を施行。
骨髄の90%が白血病細胞で埋め尽くされていた。
恐れていた再々発。
しかも、予後不良のPh(フィラデルフィア)染色体も陽性だった。
頭から何度も何度も追い出していた悪い予感は的中。
体調不良は白血病細胞の増殖によるものだった。
そして次の日、脳症を起こしてしまった。