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やってはいけなかった医療⑧


新たなスタート

一連の医療過誤は、B医師個人が問題だったのは間違いない。
しかし、A病院はB医師着任後に小児科病棟内に無菌室を作っていた。
本来ならこの時点で、白血病の治療や移植ができるのか、慎重に検討されなければならなかったはずである。A病院の監督不行き届きは否めない。

そして、A病院はこの医療過誤を院内外ともに公表しなかった。森仁の存在と命は闇に葬られてしまった。


「プロトコール責任者とは相談し決定」
本当に責任者と相談していたのか否か、示談交渉が終結した後も、もやもやと心に引っ掛かっていた。
疑問をはっきりさせたいと、A病院との示談内容を踏まえて、再度研究グループの責任者に連絡を取ってもらった。


セカンドオピニオンを受けたD医師への紹介状
(A病院とは異なるプロトコールを使用) 
転院先の大学病院への紹介状(A病院と同じプロトコールを使用)
「プロトコール責任者とは相談し決定」の一文が削除されている。

責任者である医師は手紙をくださり、そこには今後の小児白血病治療の展望について書かれてあった。
そして「A病院での出来事には驚かされました。正直、2002年にもこのような医師が小児がん治療に携わっていのかという気持ちです。」とのことだった。      

責任者と相談したということも、恐らく嘘であろうと予想はしていたものの、「B医師の良心を信じたい」という気持ちは多少なりとも残っていた。
しかし、全てが虚偽だったと判明した。

これで過誤の全貌が明らかとなった。
医師は平然と嘘をつく特性があったのだ。

避けようがなく、偶発的に起きてしまった医療過誤ではなく、度重なる嘘を信用してしまった結果、救命できなかったのだ。

命を守るために命を懸けて治療に臨んだ森仁に、こんなにもいい加減なことが行われていたのか。
森仁への懺悔の気持ちが募る。命を守ってあげられず本当に申し訳ない。
怒りと嘆きと悲しみと後悔が、マグマのようにくすぶっていた。

ライオン(幼稚園年長)   

このようなことが二度とあってはならない。
刑事責任を追及することはできないものだろうか?

B医師個人への処罰感情もそうだが、刑事罰が成立すれば、あらゆる診療科の悪質な医師に危機感を持たせ、無謀な診療を防ぐことができるのではないか。それが森仁の命を無駄にしないことではないだろうか…との思いだった。

一方、日常を奪われることがどれだけ悲しいことか、痛いほど経験している。B医師にも家庭があって子どももいる…迷いもあった。

しかし…
刑事告訴は可能であるが勧めない。
「大野病院事件(※)で無罪判決が出てから、警察が積極的に捜査するのが難しくなり、検察庁も医療過誤事件の起訴には慎重になっている。
刑事事件の立証は民事訴訟より難しく、有罪にするのは困難。
また、行政処分は刑事事件で有罪になった医師しか処分されないのが現状。それも医療事件ではなく、強制わいせつ罪や脱税などであり、全く機能していない。」と教えていただいた。

こんなにも誤った医療が行われても、刑事責任を問うことが困難で、更に医業停止などの処分は不可能に近い。

事実、B医師は開業して診療を続けている。
既にA病院を退職したので、A病院はB医師に関与する必要もない。
患者の命が失われても、医師・病院ともに痛くもかゆくもない。
だが、患者の命は戻ってこない。何とも不条理ではないだろうか。

※大野病院事件  
2004年、福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた産婦が死亡。
執刀した医師が業務上過失致死傷罪と医師法違反の容疑で逮捕、起訴された事件。裁判にて無罪が確定。

Wikipediaより抜粋

より良い医療の実現のために

研究グループ監督のもと、プロトコールに沿った治療が行われたとしても再発したかもしれないし、完治しなかったかもしれない。治療中の合併症によって命を失っていたかもしれない。
治癒したとしても、晩期合併症(発育途中の化学療法・放射線治療の影響による内分泌・神経障害、二次がんなど)に苦しんでいたかもしれない。
小児がんが発病した時点で、いつ何時どうなっていたかはわからない。

しかし、例え完治しなかったり後遺症が残ったりしても、患者の尊厳が守られ、きちんとしたインフォームドコンセントを経て、リスクを理解した上で治療を選択し、その時代にできる最善の治療を受けることが、本人や家族が現実と向き合い前進するためにも、絶対に必要なことだと思う。

最善を尽くしても完治しなかったのと、独善的で誤った治療を受けて命を落とすのとでは、当事者の感情が全く違うのは言うまでもない。

親に選択を委ねるしかない子どもの場合は、尚更である。森仁が一番悔しかったであろうし、もっと生きたかったであろうと思うと、今なお胸が締め付けられ涙があふれる。

そのような中、心に平安をもたらしてくれたのは、セカンドオピニオンや転院後に出会った医師や医療従事者の方々が人間性に優れ、最先端の医療を提供し、子どもの尊厳を守ってくださったことである。

大学病院で、森仁や家族に寄り添っていただき、最善の治療やケアが受けられ、納得のいく終末期を過ごせたことが、救いであり慰めでもあった。

また、見て見ぬふりをせず、医大に直訴して下さったA病院職員の勇気ある行動にも心から感謝している。

夏休みの宿題「お弁当」
エビフライ、スイカ、いくら軍艦、おにぎり 好物がぎっしり

「このような医師に遭遇して運が悪かった。」
「今はいくらでも情報が入手できるから、こんなことは起きない。」と思う方もいるであろう。

しかし、ネットで得られる情報はほんの一部であり、完結できるわけではない。
命に関わる病気でなくても、知らぬ間にひと昔前の検査や治療、医師独自の方法が提供されることがある。それは、どのような疾患でも起こり得るし、最善の方法があることに患者が気付かない場合もある。
また、地域を支える大病院でも、診療科によって差があったり、医師の異動により質の維持が困難になったりすることもある。

患者は、病院や医師の実績、専門分野などを調べ、インフォームドコンセントのもと、希望や年齢、バックグラウンドを考慮して、その時々で最善と思える選択をすることが重要である。

また、自ら得た情報により医師に質問したとしても、B医師がそうだったように、患者側が間違っているかのように言い切られてしまうこともある。
場合によっては、セカンドオピニオンを検討することも大切である。
患者には遠慮や後ろめたい気持ちがどうしても生じるが、セカンドオピニオンのハードルを低くして、むしろ「当たり前」という風土を社会全体で築いていくことが望まれる。

誤った医療をできる限り回避するために、主体的・積極的な「患者力」をつけることが、患者側に必要なことだと考える。

次に医療側について
現在、全医学部の入試に面接を導入したり、倫理教育を充実させたり、医学は良い方向へ変化を遂げているようである。
また、医療事故調査の制度化ハラスメントに対する意識変革など、社会も変わってきている。

今後も倫理教育の充実臨床でのアップデートが行われ、患者とコミュニケーションをとり患者の命と身体と心、チームの和を重んじる医療の展開を望みたい。

虚言を吐いたり、想像力が欠如していたり、他者の意見に聞く耳を持たない人は、人命を預かる医師になってはいけない
倫理観のない医師は組織で指導・対処し、患者を守っていただきたい。

患者・家族が悲しい思いをしないために。



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森仁 morito
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