何でもかんでも映えと言うなかれ
所謂インスタ映えスポットなるものが好きだ。
Instagramというものが流行る随分前からそういう類のおしゃれなカフェやらなんやらに休みのたびに友人と足を運んでいた。
しかしそもそもの私は己の素晴らしさを不特定多数の誰かに披露したいという欲はなく、私は私が最高に好きなのでただそれでよかった。
そのためsnsなどはどれも完全非公開の身内(それもごく限られた人たちのみ)だけに見えていれば十分だったのだ。
素敵なカフェ、おしゃれなレストラン、考えに考え尽くされた珠玉の料理などなど…つくり手の並々ならぬ努力や試行錯誤の時間を経てそこにある素晴らしいものたち。
それらがInstagramが流行ってしまったことで全て「映え」と呼称されることにいくらか憤りを感じた。
映えてる から 価値がある んじゃないぞ…と何故か私が憤慨している。
なので素敵な(フォトジェニックな?)ものを目の当たりにした時、映えてるとは言いたくない。
ちゃんと讃えたい。
つくり手のそれに注ぎ込んだ時間も労力も愛もコストも、見えないきっとたくさんの何かも。
偉そうにもきちんと讃えたいと思っている。
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