見出し画像

主観視と客観視

以前、「高橋さんは、主観視ができてないよね」と言われたことがある。    

主観視とは…?
辞書で調べても出てこない。もちろん造語だ。  

その時はブランドについての相談をしていた時のことだった。
お話をしてくれた方も自分でもよく理解していなくて言い切れないんだけど… と言っていて二人で頭をひねった記憶がある。

 

なぜ急に前の事を掘り出してこんな話をしているかと言うと昨日友人と食事をしている時に
「今の若い人って優しすぎますよね、私の若いときはもっと大人じゃなかった。もっとわがままでいいのに。」と言う話になったからだ。 

彼女は私の10数歳上の専門学校の後輩だ。よく悩みごとや恋愛の相談に乗ってもらったり、私も作品について相談に乗ったりする仲である。
彼女の話を聞いている時にその主観視についてピンときたのだ。
なぜ高橋が主観視ができないのか。

原因の一つはSNSの日常化であると思う。
それは今の若者も共通する事なのではないか。
私たちの青春時代はSNS真っ盛りであった。LINEも、TwitterもInstagramもFacebookもなんでもあった。

SNSは便利だ。しかしSNSがもたらした若者への精神の影響は大きいと思う。
学校というコミュニティ外の場でも常に監視されるようになったからだ。     

SNSはすぐに世界中の人とスマホ一つで繋がれる。
楽しい事だし夢のある事である。しかしその反面様々な考えの人と接点が増えるため客観視が必要となってくる。
こんな事を言ったら誰かにバッシングされるのではないか、と。常に暗黙のルールを守り世間的に正しいことにのっとった行動が求められる。

とまぁ、そんな事を繰り返していくと自分のやりたいことよりも世間的に見え方がいい事をする癖がついてきてしまう。
そう、主観視がなくなるのだ。        

つまり主観視とは客観視をし過ぎた結果、自分を見失ってしまった状態なのではないか、と思う。彼女の言う大人で優しすぎる若者というね。

もっとわがままに、自由に!!!と思うそんな日だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?