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これはおまえの”世界”を変える漫画だ ~CHANGE THE WORLD感想~

誰しも、自分の人生に影響を与えた創作物はあるだろう。
自分には人生を変えた漫画が2つある。
1つはジョジョの奇妙な冒険

中学時代に1-3部を読んでドはまりし、今なお読み続けている荒木飛呂彦先生の名作だ。
セリフを暗記したし、ジョジョ立ちだってしたし、創作にだって影響を受けた。
ジョジョについても語りたいけど、それはまた今度。

2つ目はガンスリンガーガール

このnoteでも何度か取り上げている「勇気あるものより散れ」の作者の漫画だ。
少女が洗脳され、サイボーグにされ、テロリストに銃をぶっ放すというショッキングな設定ながら、その奥に通底するドラマに文字通り頭をおかしくされた。
最終2巻は、初めて漫画で泣いた。ページを捲る手を止められず、涙を拭いながら漫画を読み進めたものだ。

この2つは間違いなく自分の人生を変えた漫画だった。
残念ながら3冊目には出会えていない。面白い漫画は山ほどあるのだが、人生を変えるほどの漫画にはなかなか出会えないのだ。
そんな中、とある漫画に出会った。
その衝撃は凄まじく、何がいいのかわからないが、とにかく「すごい!」としか言えなかった。

とんでもない漫画に出会ってしまった。
だが、なんでこの漫画がこんなにも面白いのか、それが分からないのが癪なのでこうやってnoteにまとめているわけなのだ。
その漫画こそ、田川とまた先生の最新作、「CHANGE THE WORLD」。
9/2に連載開始した、出来立てほやほやの最新作だ。

あらすじ

簡単にまとめれば、これは演劇の漫画である。

主人公はある友人から夢(劇作家)を目指すきっかけをもらった。
だが、その友人は夢をあきらめることになる。
友人を勇気づけることができなかったことが、主人公にとっては後悔であった。
主人公は演劇を通じ、自分の思いを友人へ届けようと決める。
友人を題材とした劇を作りながら、けれど、その中で思う。
友人のことを書いているつもりだったが、自分は自分のことしか描けない。今書いている、演じている劇は自分の物語である、と。
彼は舞台の中で、自分の思いを叫ぶのであった。

めちゃくちゃいいんだけど、何がいいかわからない

この漫画、いろいろとすごい
一つ目は上記のあらすじだ。
友人に気持ちを届けるために、演劇をする
このあらすじだけで一つの漫画になるくらいの題材なのに、1話で使い切ってしまうのだ。
そう、これは演劇を始める漫画じゃない。
演劇をする」漫画なのだ。

正直、演劇って馴染みがない人にはとことん馴染みがない芸術だろう。
こういうややマイナー寄りな漫画なら、主人公は初心者にしてちょっとずつ情報を解禁してしまう方がいいと思う。
けれど、この漫画ではそれをやらず、いきなり演劇をぶつけてくるのだ。
この思い切りと力強さに、思わずたじろいでしまうのだ。

また、グンバツの描写力、構図力が光る。
こればかりは見てくれとしか言いようがない。自分は絵の専門家じゃないので、なんと説明すればいいかわからない。
だが、1ページ目からの次ページの見開き、そして要所のコマ割りは視界を引き込むような魔力を有している。ぐいっと引き込まれていくのだ。

小粋な台詞回しもまた、作家の力量が疑える。
この台詞回し、すごく演劇的なのである。
特に主人公のセリフはかなり演劇的だ。恐らく熱心に勉強しすぎたせいで、口から出る言葉が演劇的なセリフになっているみたいだ。
これは狙ってできるものじゃない。
恐らく作者は、演劇に詳しいしやっていたと思われる(とHPを見ると書いてある)。

演劇的であること

とにかくこの漫画に通底するのは、演劇的であることなのだ。
演劇、特に下北沢の小劇場をときおり見るのだが、あの演劇には独特の空気感、セリフ回しがある。
それはただ「演じている」という嘘っぽい演技ではない。
人間というものを、その一部を取り出して煮詰め、役者が自分の中に飲み込んだ時に出せる「演劇的」があるのだ。
この説明が正しいかはわからないけど、少なくとも自分にはそう感じるし、あの演劇的空気感というのは間違いなく存在する。
その演劇的な空気がこの漫画をずっと支配しているのだ。

これは狙ってできるものではない。
両方の媒体に深く精通していないとできない技だ。
例えば藤本タツキ先生などは漫画を「映画っぽいなー」と感じることがある。それは藤本タツキ先生が映画をたくさん見て、それを漫画の中に落とし込んでいるからだと思う。
逆もある。実写映画っぽいアニメとか。
ある種の異種格闘技のようなものだ。
それをこの漫画はやってのけているのだ。

演劇は、少人数でやるものだ。出演してもせいぜい10人前後くらいの演者が、1時間から2時間の劇をやる。
そこには主人公はいる。
だが全員が主人公でもある。
それは誰か一人を祀りたてるのではない。
映画のように、誰かの人生を切り取って、その主観の中に置くのではない。
一人一人が、生きた人間としてその場に立ち向かい、生のぶつかり合いの中で本気を演じる。
巻き戻しの効かない、切迫する流れるときの中で演じる。
演劇という一つの生き物を演じる中で、自分という生命を最大限に輝かせるのだ。
そこにはモブなどはいない。ちょい役はあっても、皆本気だ。
だからこそ、他の媒体にはない力強さと生々しさがある。
我々の生きる現実のような、生きた者が本気でぶつかる生々しさだ。

この漫画でもそれは徹底的だ。
例えば主人公と一緒に稽古をする友人がいる。僅かなセリフの中で本当はさぼれる部活に入ろうとしていたことが分かる。
そして最後に「高校演劇で会おう」というのだ。
二人の稽古は本番前の数コマしか描かれていないが、その裏には一緒に長い時間、演劇に浸っていたのだろうということが分かる。
わずかなコマ数の、ちょっとした出来事だ。
けれど、友人は生き生きと決してモブではない、生命を背負っているように見える。
このような息遣いが、この漫画ではずっと流れているのだ。

熱量がにじみ出る、ということ

ありていに言ってしまえば、この漫画は演劇への熱量が溢れ出しているのだ。
熱量とは作者の情熱、執着、感情だ。
だが、これが難しい。
熱量がなければ読者は熱に浮かされず、あり過ぎれば引いてしまう。
この熱量をどう落とし込むかが作者の腕の問われるところだ。

熱量と言えば大体の人には伝わると思う。
なんとなく感じられるから。
だが、熱量という言葉はあやふやなものだ。
そんな言葉で良さを語るのもいかがなものだろうか。
では熱量と呼ばれるものは何なのだろうか。なぜ、コマの向こう側から作者の情熱を、私たちは感じられるのだろうか。

実は、この漫画にヒントがある。
主人公は友人を慰められなかったときに気付いた。

僕が口から発する言葉は、無力だった

CHANGE THE WORLD 1話より

そして、次のページでこう描かれている。

演劇は身体で心を描く芸術だ

CHANGE THE WORLD 1話より

演劇では台詞回しも重要だけれど、何よりも演技が大事である。
己の体を動かし、言葉を発し、空気を作る。
言葉を含めた言葉以外で言葉にならないモノを表現するのだ。

漫画であれば、それは絵でありコマであり構図であり構成である。
台詞だけにとどまらない、この漫画を構成する言語以外の全てへの徹底的な情熱こそ、熱量に他ならないのではないか。
言葉以外であるからこそ、言葉でそれを捕らえることは難しく、しかしなお心を描くから届き得るのだ。

ここに来てようやく、この漫画の感想が言える。
言葉にできない。けれどこれは、演劇的に面白い
そしてもし、私の文章の言葉以外から、この私の思いを、熱量を感じ取れたのであれば、幸いである。

熱量のある作品には底知れないパワーがある

この漫画には演劇への愛が詰まっている。
作者の、編集者の愛が詰まっている。
だからこそ、その熱量は台詞と枠線とキャラクターから滲み出て、私に浸透し、そしてこうやってnoteを書くほどの力を与えるのだ。

大切な人へ送られる芝居には底知れないパワーが宿るんだ

CHANGE THE WORLD 1話より

まだまだ始まったばかりの作品ですが、続きが非常に楽しみです。
まさに、私の世界を変える作品になると期待しています。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
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