だから今でも面白い、お下品萬歳。
■突然舞い込んだ、一通のメール。
25年前のことですが、大道楽レコードから出た故砂川捨丸先生のCD『萬歳の至芸』(1992年)について拙い文章をHPに書きました。
HPにアップしてしばらくしたら、一通のメールが届いたんです。誰だろう?と思ってメールを開くと、このCDに解説を執筆された岡田則夫先生からでした。
そりゃ驚いたのなんの。私のような半可通からしたら文字通り”雲上人”、まさに碩学です。雑誌『レコードコレクターズ』に連載された先生の「蒐集奇談」は毎号楽しみに読んでましたもん。奇談はSP盤音源好きにはBibleです。
そんな岡田先生からのメール、アップした内容になにか失礼があったのかと思って、”禁多満”縮み上がりました、ほんとに。
ところが内容を拝見すると、私が『萬歳の至芸』をHPで取りあげたことに対しての丁寧なお礼の言葉だったんです。
私みたいな、どこぞの馬の骨が勝手なこと書いているのに対して真摯なお言葉を頂戴しただけでも本当にありがたいと思いました。しかしそれ以上に、先生の姿勢・対応に、”人の道”というものを教えていただいたと、今でも記憶に鮮明です。「知る者は言わず、言う者は知らず」。
そんな懐かしい思い出もあって、この砂川捨丸先生と中村春代師匠の盤は今も大切に手元に置いています。
◇ ◇ ◇
捨丸先生・春代師匠の詳細については、下記をご参照下さい。
『萬歳の至芸』
砂川捨丸
日 大道楽◎DAI-001 1992
関西万歳・漫才界の長老だった捨丸。
破礼と音曲にあふれた古式ゆかしい萬歳が
今でも新鮮な笑いを巻き起こす名盤。
■下品、卑猥の極みだった萬歳。
東大出の漫才台本の作者として戦前・戦後の“漫才”のオーガナイザーだった秋田實。彼は、昭和初期「漫才」誕生前夜の“萬歳”の状況を、その著書『私は漫才作者』(文芸春秋・1975)の中で、こう書いている。
下品、卑猥の極みだった漫才。明治期の漫才師は着流しにヘコ帯、ネタも猥褻やビロウな中味だったそうだ。兵庫県では明治35年から低級を理由に公演禁止になっていたという。(CD・岡田則夫氏ライナーより)
猥雑な萬歳を支えていたのは、都市の下層労働者たちであり、上品を尊ぶ洋服=背広=ホワイトカラーは萬歳を“低級”と眉をひそめていた。そのやるせない状況に対して、意気投合した横山エンタツと秋田は、都市ホワイトカラー層に受け入れられるべく「破礼(バレ)を脱色し、背広を着て舞台に上がる漫才」を創始したのだが・・・。
◇ ◇ ◇
■今聴くと、断然「破礼(バレ)=シモネタ」が魅力なのだ。
このCDの主・砂川捨丸自身も明治末期に、萬歳の地位を上げたいと、あの浪花節界最大の功労者・桃中軒雲右衛門にあやかって衣装を紋付き袴に改めたという。さて、背広を着た漫才師「エンタツ・アチャコ」が日本中を席巻して63年余り・・・。
“平成の御代”に、大正から昭和初期にかけて録音された捨丸の萬歳を聴き返してみると、断然エンタツ・アチャコの代表作「早慶戦」よりもオモロイのが歴史の皮肉である。漫才の歴史を創った両者の作品に優劣を付けてもしかたないのだが、単に今聴いてオモロイかどうか、である。
捨丸の芸に練り込まれた古式ゆかしい萬歳のマナー=下品・卑猥・猥雑が現代においても最大の魅力なのである。語りの巧みさ、言葉遊びの上手さ、ネタの永遠さ、そして当時の庶民の生活を生々しく甦らせるという点で、どうしても捨丸の方に軍配が上がるのだ。
唄は世につれ、ではないけれど、時代の空気に敏感に反応する漫才であるが故に、時代が変わると時事ネタであればあるほど、ピンと来なくなってしまう。しかし、人間が地上にある限り性の問題は付いて回るわけで、破礼であるが故に捨丸の漫才は永遠の命を吹き込まれたと言えるかも知れない。
◇ ◇ ◇
■江戸~明治~大正期の音曲の宝庫であることも◎。
1991年に出たCDブック『日本の庶民芸能入門』(オーディブック)が捨丸との最初の出会いだったが、その収録作「数え歌テレクサイ」(大正12年)では庶民生活とシモネタが活き活きと語られ、捨丸お得意のオナラネタも折り込まれた名演で、“一発”でファンになってしまった。
また一緒に収録された「なにやかや節」は浪花節のパロディで、捨丸の喉の良さ=語り・唄の上手さが堪能できる。捨丸の渋い節回しを聴くだけでも、このCDは買い!と言える。唄そのものをフェイクするとは、基本が出来ていなければ出来ることではない。鍛えられた芸人の技が唄一つにしても光っている。
とにかく捨丸の萬歳は音曲の宝庫で、江州音頭や河内音頭、安来節、八木節などの民謡、端唄小唄、明治期の流行歌(はやりうた)である書生節、また義太夫、新内、詩吟、説教など、当時の“J-POP界”の状況がわかるだけでも、値千金だ。
これらの音曲を聴いていると、いかに当時の日本歌謡がオリジナリティにあふれていたかをひしひしと感じる。そして、それらの音曲を面白おかしく伝承してくれた萬歳という芸の、スポンジもまっ青な吸収力、というか間口の広さにも感動してしまうのである。
“プロの素人化/素人のプロ化”という現代の芸能環境で失われた「何か」を、再度認識させてくれる一枚と言えようか。
(了)
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