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Tokyo Happy Coats『奥の細道』 【Bonus Track 8】 検証! Pan Orientプロの雑誌広告。

『FAR EAST CLUB ACTIVITIES』1958年5月
(以下、同誌からの画像はRoy Baugher氏提供/Courtesy of Roy Baugher)

本稿はアメリカのTokyo Happy Coats研究家Roy Baugher氏の許可を得て日本版サテライトコンテンツとして作成しています。

本文敬称略

■Baugher氏から届いた雑誌の画像。

ボーナストラックの次稿を作り込んでいた10月9日の午前、Baugher氏からメッセが飛んできた。ちょうどその稿をアップするかと「公開」をクリックしようとしていた時だった。

以心伝心、それは次稿の内容を精緻化できる情報だったのでとても助かったのだ。Thx.

I am sorry for being late in sending these images.
"Far East Club Activities" was published by Durand Wilder.
I believe this magazine is aimed at managers of US military entertainment clubs in Japan, Korea and other countries.
You have my permission to use these images.

画像を送るのが遅くなって申し訳ない。
「Far East Club Activities」はデュランド・ワイルダー社から出版されました。この雑誌は日本や韓国などの米軍娯楽クラブの経営者を対象にしたものだと思います。
これらの画像を使用する許可を得ています。

web翻訳もBaugher氏

前回の「【Bonus Track 7】 Pan Orientプロ、謎の芸能事務所につき」でBaugher氏から情報を得た1958年の雑誌だが、Pan Orientプロのタレントとして紹介されているGLHのページをはじめとして関係するページ画像を送付していただいたのである。

さっそく中身を拝見、内容を可能な限り検証してみたいと思う。

■表紙の人物と横須賀EMクラブ。

誌名は『FAR EAST CLUB ACTIVITIES』、訳すと”極東クラブ活動”か。表紙にはポートレートが掲げられていて、人物の紹介がある。

Glenn F. McDaniel YNC
Custodian
U.S.Navy Enlisted Mens Club
Yokosuka

グレン F. マクダニエル YNC
管理人
アメリカ海軍下士官クラブ
横須賀

横須賀基地にあるEMクラブ管理者の紹介なのだろうか。グレン F. マクダニエル氏についてバイオグラフィーの詳細は解らないが、WW2、朝鮮戦争、ベトナム戦争に従軍し1992年に亡くなったことが下記サイトから解った。表紙ポートレートの左上腕部に見える階級章を調べると、下士官・兵 (ENLISTED PERSONNEL)のうちのランクはChief Petty Officer E-7(CPO)(上等兵曹)のようである。

また横須賀基地のEMクラブについては、雑誌発行の10年前1949年の同基地を紹介したサイトがあった。

上記サイトでは横須賀基地のEMクラブについてこう記している。

横須賀海軍基地の下士官クラブ、1949年頃。1947年から1980年頃まで、クラブ アライアンスは世界最大の米国海軍下士官クラブでした。いくつかの資料によると、終戦前は日本海軍の下士官クラブでした。クラブは横須賀海軍基地の正門から約4分の1マイル離れた横須賀市にありました。1980年代初頭に、クラブ アライアンスは日本に返還されました。現在は大きなデパートの敷地になっています。

web翻訳は筆者

横須賀市の公式サイトでも紹介されている。米軍から施設が返還されたのが1983年とあって、相当長期間に渡って接収されていたことがわかる。

■さて、GLHが登場するページをチェックしてみると....?!

該当箇所は『FAR EAST CLUB ACTIVITIES』の44〜46Pと計3ページに渡って記事が書かれている。内容をざっと見てみる。

『FAR EAST CLUB ACTIVITIES』44〜45P
『FAR EAST CLUB ACTIVITIES』46P

①まず44Pには、『Oriental Productions』の広告。”Shows”と鳥居という文字通りオリエンタリズムなデザインがなされて、Mrs.M.Manaseの名前がある。

②45P上段には、『Pan Orient Productions』の広告がある。名義はTats & Hideo Nagashimaで、達司と英雄(長兄)の連名。メインに打ち出されたタレントを見ると、

●HAYAKAWA TAP & MUSICAL REVUE:?
●KOICHI NITTA & ALL STARS WAGON:小坂一也や平尾昌晃が在籍したC&Wバンド。
●MASAAKI HIRAO:平尾昌晃(広告掲載の前年にソロデビュー)
●NANCY UMEKI:ナンシー梅木

と並んで、その下段に”ALSO AGENTS FOR"としてGLHとTokyo Kid Rangersの名前が見える。掲載が1958年なのでGLHはまだ子供バンドの時代、永沢姉弟によるTokyo Kid Rangersと並んでいるのも納得だ。GLHがダン・ソーヤーの引きでSNプロと契約していたことを裏付ける広告である。

◇  ◇  ◇

『ころび 転ぶよ 音楽人生』トミ藤山(文芸社 2004年) 148P

③下段の46Pを見ると、【Bonus Track 7】にあるトミー藤山の自叙伝に掲載された”米軍キャンプ内の新聞”のカットと同じ箇所が存在する。藤山本では新聞としていたが、原典はこの『FAR EAST CLUB ACTIVITIES』に掲載された記事の一部だった。

【Bonus Track 7】で、私は、藤山の写真の右にある本文のMrs.Manaseという表記から、それが『オリエンタル芸能社』創業者の曲直瀬花子と単純に思ってしまった。

しかし、44Pの広告を見ると、”Mrs.M.Manase”と書かれている。広告を参照できたことから、Mrs.Manaseとはつまり曲直瀬花子ではなく、その娘である曲直瀬美佐(1957年に渡邊晋と入籍で渡邊美佐)のことではないか、と考えを改めた。渡邊プロの創業が1959年とされていることや、晋と美佐の入籍が広告掲載の前年57年であることから、実家の家業『オリエンタル芸能社』と掛け持ちしていたのだろうか。

美佐の妹である「美枝」という線も考えられなくはないが、本文に書かれた

オリエンタル プロダクションのマナセさんは、ワンマン ショーからパッケージ ショーまで、尽きることのない種類のエンターテイナーを揃えて、あらゆるショーを提供し続けています。日本のアーティストとの彼女のつながりは本当に素晴らしいです。

という内容からすると、美佐のことだと思える。ま、そこんとこ、謎ではあるが。

■なんと若き日のあの方が.....?!

次に、Baugher氏が拡大して送ってくれた個別画像について見てみよう

12歳当時の日野元彦

これはひと目見て、誰だかすぐに解った。日野元彦だ。

日野は1946年1月生まれなので、雑誌掲載の1958年5月には12歳。しかもウィキには「父はトランペッターでタップダンサーの日野敏、兄はトランペッターの日野皓正。父のタップの弟子でドラマーの原田寛治に師事、ドラムを習得。」とあって、"drum and tap soloist”という記述と符合する。

The Lemon Dandies

The Lemon Dandiesについて手を替え品を替えて調べてみたが、さっぱり不明。ハナ肇とキューバン・キャッツタイプの音楽コミックバンドのようだが、メンツは誰なのか?

■紛らわしい記事構成で、勘違い。

記事全体を見て解ったのだが。

記事本文そのものはMrs.M.Manaseの『Oriental Productions(オリエンタル芸能社)』についての話みたいだが、なぜかタレントの写真はすべて”Pan Orient’s”となっていて混同してしまった。

両社の名前が似ててなんとも紛らわしいんだわ。2社それぞれの広告が掲載されているのが確認できたので別組織だと腑に落ちた。特にトミ藤山の自叙伝掲載の画像を見ただけだと、勘違いして取り違えてしまう。

とんだ間違いをそのままにするところだった。Baugher氏の画像提供に感謝したい。

(了)





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