![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/154071161/rectangle_large_type_2_92436a61efb8d75148d732f71eecc788.jpeg?width=1200)
Tokyo Happy Coats『奥の細道』 【Bonus Track 3】 ある書籍に記載されていたGLH/THC情報。
本稿はアメリカのTokyo Happy Coats研究家Roy Baugher氏の許可を得て日本版サテライトコンテンツとして作成しています。
■日本午前二時。スマホの音が鳴る。
今年の夏、日本は暑い、暑すぎる。
エアコンを効かせてなんとか眠りについてしばらく、スマホから通知音が複数回鳴って、目が覚めた。
時計を見ると、日本午前二時。正確に言うと、午前二時二十三分。なんだろうと思って確認したら、 Baugher氏からのMessageだった。
Hi.
A man named M.A.left a comment on Facebook. He said he learned about Tokyo Happy Coats from a recent book, "Media History of Postwar Performers Who Came To America: Nancy Umeki and Her Times," by Goro Ohba...
I think this book was published in April 2024.
Are you aware of this book?
M.A.という男性がFacebookにコメントを残しました。彼は、最近出版された大庭五郎著『戦後期渡米芸能人のメディア史:ナンシー梅木とその時代』でTokyo Happy Coatsについて知ったと言っていました…。
この本は2024年4月に出版されたと思います。
この本をご存知ですか?
日本人の閲覧者から、佛教大学社会学部教授である大庭氏が今年の春に出版した著作にTHCのことが書かれている、というメッセージが届いたという。
4月といえば、私がBaugher氏とのやり取りを始めて,noteの作成を了承してもらった6月下旬から2ヶ月程前の時点である。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/154078591/picture_pc_9516a425267952af7f3248a6becb89a6.gif)
■日本午前二時五十分、amazonでポチる。
実はこの本、THCの調べを始めた頃に検索に掛かっていて知ってはいた。でも手を出していなかった。
![](https://assets.st-note.com/img/1726140371-2qanOfgL3vDYEXldRSb8IKoM.jpg?width=1200)
主人公が「ナンシー梅木」、正直なところ対象外だったナンシー。アカデミー賞女優でありながら、母国ではほとんど忘れ去られた人。
白人側から見た偶像としての日本人を演じたことによる日本人にとっての違和感で敬遠していたというか。
また本書に登場するのも有名タレントばかりだろうと高を括っていた。調べると近場の図書館にも収蔵されていない。本の値段も高く、金額的に”空振り”するのは痛いので見送っていたのだ。
Baugher氏からのメッセージで、”目が覚めた”。
メッセージから20分後にポチる。前から目を付けていた奥田宗広氏の回顧録の古書もamazonに出品されていたので、合わせてオーダーした。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/154078701/picture_pc_58d44bd68b258a662c7623ac49ec5078.gif)
■日本翌日午後三時、本到着す。
本が届いた。
THCのことが記載されていたのは333pと334pに跨がった箇所。それは米軍基地サーキットの歌手からスターになった雪村いづみのアメリカ合州国での活躍と苦闘を紹介する章に含まれていた。
ラウンジショーに出演した日本人アーティストの嚆矢とも言える存在として紹介されている。
驚いたのはGLH時代の記述で、両親がアクロバット芸人であったことに加え、彼女たちのマネージャーとなった横須賀のクラブ経営者ダン・ソーヤーがGLHをアクロバットから音楽バンドへと移行させた時期を1954年と同定していることなど、渡米とバンド名の変更についてもその舞台裏が記されている。
ダン・ソーヤー:『めぐりあうものたちの群像 戦後日本の米軍基地と音楽』(青木深 大月書店)にその名が見える。有名な高級ナイトクラブ『ラテンクォーター』に関係した人物として、テッド・ルーイン、米軍諜報部、児玉誉士夫、東声会などアンダーワールドの著名人らと共にその名が挙げられている。
まだ大部である本書を読了していないが、坂本九があえて白人が求めるステレオタイプな日本人像を演じなかったことなど、興味深い話が盛り沢山の労作だと思う。日本側の藝界では情報希薄となっている分野でもあり、GLH/THCのことに限らず、一読の価値はあると思った。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/154471849/picture_pc_8cbbada2bcff6aeadfe6737caeb1f415.gif)
■9月16日追記
15日に本書を読了。一読の価値がある、まさに労作。
GLHのマネージャーとなったダン・ソーヤーについては、183Pから184Pにかけてさらに詳しい情報が紹介されていた。
◇ ◇ ◇
麻薬やカジノなどやりたい放題の治外法権状態で、まさにアメリカそのものと言われた東京赤坂のクラブ『ラテンクォーター』。クラブを支配していたのは「東洋のアル・カポネ」と称されたマフィア、テッド・ルーインだった。
ルーインの腹心でクラブの共同経営者だったアロンゾ・シャタック(米軍参謀2部”G2”/キャノン機関要員、除隊後にルーイン配下に)、さらにシャタックの友人で現キョードー東京の創設者、日本初のプロモーターと言われる永島達司、この両者が1955年に海外から芸能人を招聘し米軍基地に斡旋する『SNプロダクション』を創業したが、その際のもうひとりの共同設立者がダン・ソーヤーだった、とある。
ソーヤーがGLHのマネージャーとなって、アクロバットから子供バンドへシフトチェンジさせたのが1954年とされているので、GLHは1955年の時点で『SNプロダクション』の専属だったのかもしれない。
またグループ名についてはアクロバットを演じていた当初は「アサヒ・シスターズ」と称し、その後「ゲイ・リトル・ハーツ」へと変わったようだ。
アクロバットも同じ演目では飽きられてしまう。また大人のエンタメよりも豆歌手や子供バンドが米兵に人気だったという状況から、ソーヤーはGLHに子供バンドへのシフトチェンジを促したのだと推測している。
【B-3】で紹介した『婦人倶楽部』グラフ特集記事でGLHがアクロバット姉妹として記事になったのが1953年。ソーヤーの指示による音楽バンドへの移行が1954年、奥田宗宏との出会いが1954年か55年頃という時系列になろうか。
(了)