【忘れられた元祖シンガーソングライター】Una Mae Carlisle。
■Una Mae Carlisle----その存在に気付く。
”忘れられた”、というのは正しくないかも知れない。少数ながら、彼女Una Mae Carlisle(以下Una Mae)の存在に気付いて引き寄せられた人たちがいるから。
2023年4月に「The Scintillating Enigma of Una Mae Carlisle(Una Mae Carlisleのきらめく謎)」というコラムを書いたのは、Kentucky州Madisonvilleでアメリカ史の教授をしているというTimothy Buchanan氏。その冒頭にこうある。
このコラムは結構なボリュームだが、これまで私が覗いた中で最も詳細を極めたUna Maeのバイオグラフィーとなっていた。師匠であるFats Wallerとの生々しい関係など、今まで知らなかった事実がたくさん列挙されている。
「私を驚かせ、人生を大きく変える探求へと引き込んだ」とBuchanan氏は書いているが、これほどの長文を氏に綴らせるだけのインパクトが、Una Maeには確かにあると思う。
Buchanan氏が映画『Boarding House Blues』で観て天啓を受けたもうひとつの曲がこの「It Ain't Like That」。
余談だが、この映画ではLucky Millinder OrchにBull Moose Jackson、Annisteen AllenというスイングからR&Bへのシフトチェンジを先取りしたメンツも出演していて、以後のUna Maeの運命を考える上でも興味深い顔触れとなっている。
■競合女性ピアノボーカル林立、その波間に浮かぶ。
Buchanan氏と同様に、私もyoutubeで偶然「Blitzkrieg Baby」という曲の動画を覗いてUna Maeに遭遇、彼女のジャズ小唄スタイルに御執心になってしまったのだった。
”Blitzkrieg”とはナチス第三帝国国防軍がWW2で展開した機甲部隊による「電撃戦」のこと、面白いタイトルだと思ってクリックしてみたら当りだった。
で、問題なのだが。
この「Blitzkrieg Baby」でのテナーサックスのソロは、くつろぎのLester Youngである。紹介者によってはこの曲、主役であるUna Maeを横に置いてモダンジャズの先駆者たるYoungのソロをメインに推す場合もあったりする。Una Maeファンからすると「ちょっと違うでしょ?」なのだが、そーゆーところがUna Maeの微妙なポジショニングを象徴していると思うのだ。
在処を見失ったが、Una Maeについて紹介している海外サイトを読んでいたら、「なぜUna Maeの存在が埋没しているのか?」という問題提起があった。
で、その理由とは、1930年代から40年代、50年代初頭まで、女性ピアニストまたは女性ピアノボーカルの競争相手があまりにも多く光が当たりにくいため、だったと記憶している。
同時代の女性ピアノ弾き語りのジャズ〜R&B小唄系では、Hadda Brooks、Julia Lee、Nellie Lutcher、Martha Davis、Cleo Brown、Rose Murphyなどなど競合相手がゴロゴロいた。
Una Maeの後半生は健康状態が思わしくなかったこともあって演奏活動も中断するなど不運に見舞われた。そんな追い打ちもあって、いわゆるレッドオーシャン状態で波に呑まれたのがUna Maeのポジションとでも言った方がいいか。
■”元祖”シンガーソングライターの1人として。
”元祖”、というのは正しくないかも知れない。Una Mae以前にも、彼女のように自身で曲を作り自身で歌うシンガーは居た。
女性シンガーソングライターの先駆者としては1917年から1954年まで活躍したLee Morseがいるので、Una Maeは”元祖”とまでは言えないがそのひとりとしては挙げて良いのではなかろうか。
Una Maeの魅力は、歌唱そのものも洒脱で良いが、曲を自作し、かつ自身で歌い、かつ他の多くの歌手たちがそれをカヴァーした、という才を発揮したことにもある。
1964年、ビートルズのアメリカでの人気爆発以前、アメリカの多くの歌手たちは、レコード製造の分業体制下で作詞作曲家からあてがわれた曲を歌うことが当然の世界、その音楽資本主義の象徴がブリル・ビルディング。歌手は取り替え可能なパーツも同様だった。
そういった状況がありながらも、師のFats Wallerはその代表者だが、少数ながら自作自演を行うミュージシャンはいてUna Maeもそのひとり。
Una Maeの代表作「Walkin’ By The River」。先のBuchanan氏のコラムには、この曲についての詳しい逸話が記載されている。
「'Taint Yours」もUna MaeとB.Youngの作。1944年8月にリリースされた映像と音のジュークボックス『Soundies』フィルムから。
多くのシンガーがカヴァーした「I See A Million People」。
1945年の「I'm A Good, Good Woman」も自作。1944年8月28日の『Soundies』のフィルムから。
■復権せよ、Una Mae Carlisle!
Una Maeが競合相手の影に隠れてしまったというのは、相手の数と押しの強さというのも影響したのだろうけど、もうひとつはアフリカンアメリカン音楽の潮目がスイングからR&Bへと変わったことが大きいと思っている。
米国音楽家連盟のレコーディング・ストライキの影響もあって、楽団の編成はビッグバンドが維持できなくなってコンボスタイルへ、音自体もスイングからBe-Bopやビートが強調されたR&Bへと様相が変わってしまった。
そんな状況下、Una Maeのジャズ小唄というスタイルも時代の嗜好にそぐわなくなったのではないかと思う。Nat King Coleなどはピアノ弾き語りトリオから独立してポピュラーシンガーに転身し大成功したが、潮目の読み方はさすがというべきか。
私の個人的願いとしては、日本の「うぐいす芸者歌手」とUna Mae Carlisleの復権を待ち望んでいる。I Like It, 'Cause I Love It、な気持ちなのだ。
(了)
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