まりちゃん、逝く。でも、逢いたくて逢いたくて。
■逝ってしまった”まりちゃん”こと、園まり。
1960年代後半期のアイドルスターであった園まりが先月末に亡くなった。遅れてきた”まりちゃん”派としては淋しい限りである。まりちゃんは鬼籍に入った。でもやっぱり、逢いたくて逢いたくて。
進駐軍慰問豆歌手だった伊藤ゆかり、同じくキャンプ回りをやっていた中尾ミエとはほぼ同じ世代で渡辺プロ所属でもあり、「スパーク三人娘」として人気を誇った。筆者は園の全盛期にその存在を識っていたものの、まだお子ちゃまだったので、園の”その魅力=It”なるものがよく解らなかった。しょうがねえこってすがね。
なぜ、園まりの訃報を取りあげたかというと、歌手として秀でた個性の持ち主だし、全盛期の曲や歌唱が素晴らしいから。個人的に、伊藤や中尾よりも園の方が今日的にも響くものがある、と思っているから。
今聴いても、歌唱が実に良いし古さを感じない。
■アーティスト・まりちゃんの全盛期を振り返る。
■太陽はひとりぼっち(1962年)
wikiにあるディスコグラフィーを見ると、1960年代前後のレコーディングアーティストらしく、初期作は洋楽のカヴァー曲がほとんど。ビートルズ旋風直前というタイミングで、時期的には出遅れた感がある。
■赤い風車(1963年)
1963年にリリースした「赤い風車」が日本側コンポーザーと制作した初の作品になる。ただ、こういうスタイルは青春バラードとでも言うのだろうか。今ひとつ吹っ切れていない、園の個性に合っていない感じがする。なんだか『愛と死をみつめて』みたいな時代の空気が匂ってるんだよね。プロデュース側も園の打ち出しについて腰が座ってない印象を受けるのだが。
■何も云わないで 1964年
作詞に岩谷時子や安井かずみ 作曲編曲に宮川泰という巨匠コンポーザー・チームが付いたことで、園の個性が確立したのではなかろうか。特に和製ポップスの権威でもある宮川氏の存在が大きいと、楽曲を通しで聴きながら改めて思った。
■逢いたくて逢いたくて 1966年
作詞岩谷時子、作曲宮川泰による代表作。お子ちゃまだった私でも知っていたくらいに大ヒットした曲。スキのない曲作り、職人技ちゅーかね。園のボーカルも最適解だ。
後に出る「夢は夜ひらく」もそうなんだけど、園の歌唱のペルソナとは、”ムード歌謡+アイドルPOP=園まり”ではないかと思えるんだよね。
■何でもないわ 1966年
このシングルはB面の「何でもないわ」が大傑作だと思う。
まず安井かずみの詞が良い、いや良すぎる、感情表現において安井は天才である。いまどきの直裁的かつ小児病的表現の詞などは安井の書き損じの紙を灰にして薬にして飲んだらどうかと思うくらいだ。
そして園の歌唱も実にイイ。安井の詞をしっかりと消化して、恋心の機微を表現しきっている。
■夢は夜ひらく 1966年
70年安保の時代相を代表するとはいえども陰々滅々とした藤圭子verよりも、先に大ヒットした園まりverの方が私は好き。確かにリアルタイムで口ずさんでいたのは”十五、十六、十七と〜”なんですがね。
■帰りたくないの 園まり 1967
安井かずみ、宮川泰コンビの作。咽び泣くテナーにギターのオブリガード、これなんかはまんまムード歌謡路線。リスナーのターゲットとしては、20〜30歳代のサラリーマンで年下の恋人ってポジションか。良作だと思う。
■愛は惜しみなく 1967年
あの川内康範センセの作詞で歌謡ドラマのテーマになったという曲。大時代的な言語感覚でもろ演歌に仕上がったと思えるし、”ムード歌謡→演歌”へのメタモルフォーズ的作品として捉えるのも一興か。そのあたり、世代が違う安井かずみの詞は園の持ち味をしっかりと引き出していたと感じるな。
■往時のアイドル人気を偲ぶソノシート盤
ということで、「夢は夜ひらく」の動画冒頭でペギー葉山がアナウンスした通り、男性諸兄に絶大なアイドル人気を誇った当時の縁を偲ぶソノシートをご紹介したい。
レコードよりも安価、ポータブル・プレイヤーで手軽に聴けるソノシートは書店の商品から雑誌のオマケまで実に多くが流通していた。昔は子供向けのアニメ主題歌とかが多かったけどね。
下記動画はソノシートの片面。熱心なファンの方がしっかりとアップされていた。
版元の勁文社はソノシート業界では有名で、2002年まで存続していたらしい。当時のファンがこのソノシートブックをどんな想いで眺めていたか、想像するだけで胸が熱くなるではないか。昭和でございますな。
まりちゃん、安らかにお眠りください。RIP.
(了)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?