Tokyo Happy Coats『奥の細道』 【Bonus Track 9】 GLH/THCと芸能プロダクション+タレント関係TimeLine。
■これまでのボーナストラック情報を整理する。
Roy Baugher氏からの情報、進駐軍慰問芸能人の研究書、関係者の自伝などをベースに、芸能プロダクションやアーティストとの関係を横糸にGLH/THCの足跡をトレースする作業を続けてきた。
【Bonus Track 1】もうひとつ存在したテレビ出演。
【Bonus Track 3】 ある書籍に記載されていたGLH/THC情報。
【Bonus Track 4】 奥田宗広氏の回顧録『私は音楽が好き』
【Bonus Track 6】 GLHのマネージャー、ダン・ソーヤーの追加情報
【Bonus Track 7】 Pan Orientプロ、謎の芸能事務所につき。
【Bonus Track 8】 検証! Pan Orientプロの雑誌広告。
【Bonus Track 10】 SNプロ共同経営者:シャタックとソーヤーの追加情報。
【Bonus Track 11】 余談:奥田宗宏氏、NHKテレビ出演の誤謬と謎?!
【Bonus Track 12】 武術家として余生を過ごしていたダン・ソーヤー。
これらの情報をベースに、GLH/THCと関係する芸能プロダクションやタレントの年表を作成した。
■元祖ルポライター、竹中労の著作で情報を補強。
『マナセプロダクション』の創業や東京移転、『渡辺プロ』関連については、新たに竹中労著『タレント帝国:芸能プロの内幕』(現代書房、1968年7月)、その改訂版と覚しい『タレント残酷物語 スターを食いものにする悪い奴は誰だ』エール出版社、1979年)を参照した。(どちらも国会図書館デジタルコレクションで原著が読める)
竹中本に従ったのは、両プロはじめ当時のプロダクション経営者やバンドマン、さまざまな関係者への取材、資料などの裏付けが綿密なため。
両書で見ると、Wikipediaや各社社史の記載とは若干年紀が異なっている部分がある。そのため表では竹中本に従った。さらに関連する【Bonus Track 7】にも【追記】を加えている。ちなみに下記が公式サイトやwikiの記述。
「オリエンタル芸能社」から「マナセプロダクション」への社名変更については現時点ではその時期が判らない。竹中本では1954年の東京移転後も「オリエンタル芸能社」の看板を掲げたとあるし、1958年のEMクラブ雑誌『FAR EAST CLUB ACTIVITIES』でも「Oriental Productions」の名称を使っている。それらの事からみて、1959年頃に変更されたと推測している。
■その他の確認・追記事項
①奥田宗宏と『私の秘密』について:「女ビートルズ」記事や回顧録にNHKテレビ『私の秘密』に出演したことが記され、さらに回顧録には出演時の写真も掲載されていた。また『NHK年鑑 1955年版』にも写真と同じ解答者たちの名前が列記されているのを確認している。
しかしNHK公式サイト『NHKクロニクル』で『私の秘密』全放送の出演者をチェックしたところ、なぜか奥田出演回の記録が見当たらない。放送日の間隔も追ったが抜けは無いようなのだ。
また1964年の「女ビートルズ」記事で、数年前の時点でGLHが『私の秘密』に出演したと奥田は記している。しかし”数年前”と覚しい1960年前後の記録を見ても奥田自身の出演記録がない。またまた謎である。
②SNプロの共同経営者について:『タレント帝国』には、永島達司が『SNプロダクション』を創業した際、シャタックやソーヤーの他にも日本人が共同経営者として加わっていたことが記述されていたので、【Bonus Track 6】に追記した。
さてさて『奥の細道』、旅はまだまだ続く。
(了)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?