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ゾクチェンの瞑想法:テクチュー

「仏教の瞑想法と修行体系」に書いた文章を少し編集して転載します。


ゾクチェン


仏教の最奥義の思想であるゾクチェンの、「テクチュー」について説明します。

ゾクチェンの修行法については、核心的な部分については、ほとんど公開されていませんので、推測を交えた形での説明になります。

ゾクチェンの瞑想は、4種類の階梯で考えることができます。

1 「三昧に入る」修行
2 「三昧の疑いをなくす」
3 「三昧を維持する」=「テクチュー(解放)」
4 「三昧を深める」=「トゥゲル(超越)」

です。

「三昧」は、普通は、概念なしに対象と一体化した安止定以上の集中のある状態です。
しかし、ゾクチェンでは独特の意味があって、「心の本性」である「明知」が持っている、「自覚的な気づき」がある状態です。
対象を観察する「観」の状態とは少し異なります。
「三昧」の状態は、意識的なコントロールを捨てるので、その意味では、「修行」とは言えません。
ですから、その意味では、1の「三昧に入る」修行だけが「修行」です。

「三昧の疑いをなくす」というのは、気づきを増して、体験をよりはっきりと理解するというものです。

「三昧を維持する」というのは、単に時間的に維持するのではなく、あらゆる体験においても気づきを保つことで、「三昧に体験を統合する」と表現されます。
つまり、思考が生まれても、同じ気づきのある状態を維持するのです。
これは、日常生活の中でも三昧を維持される修行であって、ゾクチェンの出家主義に否定的な思想を表現していると思います。

「三昧を深める」というのは、業なしに自然に現れるエネルギーのレベルに意識を転移するというものです。
業をなくすという意味で、3までとは別の次元の修業となります。

ゾクチェンには、3つの体系があります。
「セムデ(心の本性の部)」、「ロンデ(法界の部)」、「メンガキデ(ニンティク、ウパデシャ、秘訣の部)」です。

「セムデ」は、分析的で、禅に近いところがあり、教えを言葉による説明で伝授します。
1の「三昧に入る修行」から始め、3「三昧を維持する」に至ります。

「ロンデ」は、密教的で、教えを象徴で伝授します。
ハタ・ヨガのように、様々な体位法、呼吸法、気の操作などを駆使します。
2の「三昧の疑いをなくす」から始め、4「三昧を深める」に至ります。

「メンガキデ(ニンティク)」は、より密教的で、教えをパラドキシカルな表現し、直接的(直指)に伝授します。
直接的というのは、禅でも行われますが、弟子を三昧の状態に入れて、「それだよ」と示すことです。
3の「三昧を維持する」から始め、4の「三昧を深める」に至ります。
「ルーシェン」や「セムズィン」のような副次的な修行を含みます。
現在のニンマ派では、ほとんどこの体系が学ばれています。


加行と副次的修行


修行階梯は、「加行(前行)」、「副次的修行」(必ずしもしなくてもよい修行)、「本行」からなります。

加行は、大乗仏教と共通の加行、密教と共通の加行、そしてゾクチェンの加行からなります。
大乗と密教の加行は、他の投稿で説明したものとほぼ同じです。

副次的修行には、生起次第に当たる観想法、究竟次第に当たる「チャンダリーの火」のような内的ヨガ、身体の動きを伴うヨガの「ヤントラ・ヨガ」があります。

「ヤントラ・ヨガ」は日本ではほとんど知られていませんが、「無上ヨガ・タントラ」に基づく仏教のヨガです。
ハタ・ヨガのような気をコントロールする身体的なヨガであると同時に、ヴィンヤサ・ヨガのように動きを伴います。
「ヤントラ・ヨガ」は、気や脈管を浄化する目的があると思います。

下記は、ヤントラ・ヨガの参考動画です。

「ヤントラ・ヨガ」には、「準備のための2つの呼吸法」があります。
浄化のための9つの呼吸法と、リズミックな呼吸法です。
後者はおそらくハタ・ヨガのバストリカーのような呼吸法で、これによって中央管に気を入れます。
また、様々な動きを伴ったアーサナ的な「108の修行法」があります。

ゾクチンの加行は、輪廻と涅槃(心と心の本性)を分離し、心を浄化するためのもので、「コルデ・ルーシェン」、「三門の浄化の観想法」、「セムズィン」などがあります。
多分、これらは、「メンガキデ」のもので、三昧に入るための修業です。

「コルデ・ルーシェン」は「外のルーシェン」と「内のルーシェン」から成ります。
「三門の浄化の観想法」は、身・口・意の三門を浄化するための観想法です。
「セムズィン」は、21の方法があり、特定の姿勢、呼吸法、凝視、音を利用して、三昧に入ります。

以下、3つの体系の本行を説明します。
「セムデ」、「ロンデ」、「メンガキデ」のそれぞれが4段階もしくは4つの瞑想法に分かれています。


セムデ


「セムデ」は、三昧に入るための修行で、4つの「ナルジョル(ヨガ)」の段階から構成されています。

1 「ネワ(寂静)」

意識と視線を固定して寂静の境地に入ります。
「空」あるいは「虚空」を対象にした「止」に似た瞑想ですが、この時、「明知」の気づきを保っていることが必要です。

2 「ミヨーワ(不動)」

「不動」という意味ですが、実際には「動き」を観察します。
「ネワ」では思考やイメージが現れないようにしていますが、それを解いて、自然に現れるようにします。
意識的なコントロールを行わずに現れたものを観察する「観」のような瞑想ですが、やはり、「明知」の気づきを保っていることが必要です。

3 「ニャムニー(不二・一味)」

「ネワ」の現れのない状態と、「ミヨーワ」の現れのある状態の、両方が生じるようにし、どちらも同じ心の2つの側面であると理解します。

4 「ルンドゥップ(任運・あるがままで完璧)」

様々な体験の中で、「明知」の気づきを保ちます。
現れのない状態も、ある状態も、すべての体験が心の本性の異なった側面であることを認識するので、「三昧に体験を統合する」とも表現されます。

具体的には、身・口・意の3門で行います。
「身」では、まず、五体投地をしながら三昧を維持します。
そして、歩く、寝転ぶ…と様々な行動をしながら三昧を維持します。
「口」では、まず、マントラを唱えながら三昧を維持します。
そして、様々な言葉を話しながら三昧を維持します。
「意」では、様々に思考をし、判断をしながら三昧を維持します。

こうして、最終的には、意識的なコントロールなしに、心に現れものすべてを、あるがままで完全なたわむれとして経験します。
そして、煩悩のない清浄な心の現れと、煩悩によって起こる不浄な心の現れの一体性を認識します。


ロンデ


「ロンデ」は、精密に体験を味わい、三昧に対して疑いをなくすもので、4つの「ダー(象徴)」と呼ばれる瞑想から構成されます。
四つは身・口・意とその統一という構成です。
「光明」、「楽」、「空」を身・口・意の象徴と見るのでしょう。
この4つは段階ではありません。

1 「サルワ(光明)」

「口」に当たる瞑想です。
おそらく、父タントラ的な究竟次第的の気のコントロールによって「光明」を体験しながら、三昧を維持します。
また、開眼で、あらゆるヴィジョンの現れを体験しながら、三昧を維持します。

2 「ミトクパ(空性)

「意」に当たる瞑想です。
両眼を開けて虚空を凝視し、現れのない「空」を体験しながら、三昧を維持します。
また、思考の現れを体験しながら、三昧を維持します。

3 「デワ(楽)」

「身」の当たる瞑想です。
おそらく、母タントラ的な究竟次第的の気のコントロールによって「大楽」を体験しながら、三昧を維持します。
また、「大楽」以外の状態でも、三昧を維持します。

4 「イェルメ(統一)」

3つの門の体験、「ダー」を統一し、一緒に行って、三昧を維持します。


メンガキデ


「メンガキデ(ニンティク、ウパデシャ)」は、三昧を維持し、深めるためのものです。

三昧を維持する修行は、4つの「ショーシャク(任運)」からなります。
この段階は、「テクチュー(解放)」とも呼ばれます。
この4つも段階ではありません。

1 「リウォ(山)」

特定の姿勢をとらずに、三昧を維持します。

2 「ギャツォ(海)」

特定の視線をとらずに、三昧を維持します。

3 「リクパ(明知)」

いろいろな体験をしながら、三昧を維持します。
意識的なコントロールをせずに、何が現れても、何をしていても、あるがままの境地にとどまります。

4 「ナンワ(顕現)」

すべてのチョーシャクを同時に実践しながら、清浄な現れと、業による不浄な現れのすべてを、自分のエネルギーとして三昧の中で経験します。


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