日本の呪術各派の攻撃法・防御法(祓え・調伏・追儺・呪詛・呪詛返し…)
本投稿では、密教、陰陽道、修験道、神道、民間呪術などの日本の伝統的な各宗教の呪術の防御法と攻撃法を紹介します。
ただ、呪的攻防の方法は、秘密に属する部分が多いので、大まかな部分しか知りません。
私は、瞑想や伝統文化への興味のついでに、呪術について読んでいる程度で、呪術の実践者でもなく、専門家でもありません。
なので、個人的な、忘備録みたいなものです。
最初に、攻防の呪術の種類をあげてみましょう。
防御法と攻撃法とは言っても、この2つは、分離することはできません。
「祓え(祓い)」、「追儺(鬼遣らい)」は、基本的に悪霊などを引き離す防衛のためのものですが、依頼や取引で相手が退かない場合は、脅迫や攻撃が必要になります。
敵から姿を消す「身固術」、「隠形法」は防御のみですが、「結界術」、「護身術」は攻撃をあらかじめ防御するためのものだとしても、侵入しようとする者に対しては攻撃的側面もあると思います。
「調伏」は専守に徹すれば防衛ですが、先制すれば完全に攻撃で、「呪詛(呪い)」と同じです。
「呪縛術」、「呪詛返し」は、それぞれ違った意味ですが、攻防一体です。
陰陽師、密教僧、神祇官の祓え
最初に、各宗教の呪術師がどう違うのかについて、大まかな話を、少しだけします。
平安時代に、広義の「祓え」に関わる祭りをする場合、まず、密教僧が行い、次に神祇官が行い、最期に陰陽師が行いました。
この順で、位が高かったということになります。
陰陽師は、寺院や神社のような拠点がなく、現場に出向いて対処します。
また、死の汚れを避けることが求められないので、何でもできる便利屋で、その分、実践経験が豊かでした。
ただ、この序列は、官人(公務員)である官僧、神祇官、官人陰陽師の話です。
彼らとは別に、私度僧や、民間の陰陽師(法師陰陽師)、「巫(かんなぎ)」などの民間の宗教者もいました。
官と民の呪術師は、本人や依頼主の身分、活動内容だけではなく、使う呪術にも違いがあったはずです。
主に官のレベルでですが、三者には、一般に、祓えの対象が異なるという側面もありました。
例えば、病の原因ごとに、次のような役割分担がありました。
・密教僧:物の気、死霊
・神祇官:神の祟り
・陰陽師:鬼神、土公神、竈神、星辰、呪詛
シャーマン(巫)
以下、各宗教ごとにまとめますが、最初にシャーマンの攻防呪術について紹介します。
ただし、これは、日本のシャーマンの呪術ではありません。
ですが、平安時代初期まで、「巫(かんなぎ)」と呼ばれる呪術者がいました。
「巫」は、平安京で禁止令が出されたため、男性の巫は民間陰陽師である「法師陰陽師」に衣替えをして生き残ったと推測されます。
彼らが「巫」時代にどのような呪術を使ったのか、具体的なことは分からないのですが、このパラグラフで紹介するシャーマンの呪術と共通する部分もあったと思います。
そうでなかったとしても、シャーマンの呪術は、呪術の原型だったと考えることができるので、参考になります。
シャーマンが呪術的攻防に使う神霊は、「スピリット・ヘルパー(補助霊、援助霊)」と呼ばれます。
これが、陰陽師なら「式神」、修験者なら「護法童子」、密教僧なら「明王」など、いざなぎ流なら「式王子」になります。
「スピリット・ヘルパー」の物質世界での姿は「パワー・オブジェクト(呪物)」と呼ばれ、多くは植物です。
一方、シャーマンがトランス状態で見ることができる、魂の世界での本当の姿は、動物や昆虫、魚、鳥で、場合によっては人間です。
呪術的な防衛では、攻撃してきた「スピリット・ヘルパー」と同じタイプの「スピリット・ヘルパー」でないと撃退できません。
そのため、シャーマンは多くのタイプの「スピリット・ヘルパー」を手なづけ、いつも「パワー・オブジェクト」を携帯している必要があります。
一般に、水鳥の「スピリット・ヘルパー」は、水陸空の3界で行動できるため最も強い力を持っています。
他には、クモ、ミツバチ、スズメバチ、蛇の姿をした「スピリット・ヘルパー」が強力なので、手なづけることが必須です。
森などを歩いていて、何か力を感じさせるもの、心魅かれるものはすべて「パワー・オブジェクト」です。
それはシャーマンが身につけるべき力を象徴していて、「スピリット・ヘルパー」を持っているのです。
植物ならその一部を食べ、一部をバッグの中に入れて持ち帰ります。
その夜に、トランス状態になって地下世界に降りて、その植物を探し、本当の姿を現すのを観察します。
そして、その「スピリット・ヘルパー」から、その性質を教えてもらいます。
「呪詛」では、「スピリット・ヘルパー」を放ち、相手の体に差し込むことがあるので、「スピリット・ヘルパー」は「魔法の矢」とも呼ばれます。
「スピリット・ヘルパー」は、見張りとして放ち、「結界」にすることもあります。
「呪詛」にあった患者の治療を行うシャーマンは、まず、地下世界にトリップし、そこでどんな姿の「スピリット・ヘルパー」に出会うかによって、侵入した「スピリット・ヘルパー」を特定します。
そして、霊視と波動によって、患者のどの部位にその「スピリット・ヘルパー」がいるかを特定します。
次に、侵入者と同タイプの「スピリット・ヘルパー」を持つ「パワー・オブジェクト」を、口の中に含み、自分の「スピリット・ヘルパー」の霊をそこに呼び入れます。
そして、侵入した「スピリット・ヘルパー」を吸い出して、口の中の「パワー・オブジェクト」に吸着させます。
最後に、シャーマンは吸い出した「スピリット・ヘルパー」を、安全な所に捨てに行くか、飛んで来た方向に吹き返します。
神道
神道の呪術は、「祓え」が中心です。
「祓え」は、祝詞(祓詞)を読むことによって行います。
一番有名な「大祓詞(中臣祓)」は、瀬織津比売、速開都比売、気吹戸主、速佐須良比売といった祓の神々が連動して働くことで、罪を川から海を経て根の国へ流し、チリヂリになるように、八百万百に祈願する、という内容になっています。
ですが、これは「罪」が対象とされているので、攻防の呪術とは言えないかもしれません。
でも、「祟り神」が対象の祝詞もあります。
「延喜式」の中の「神祇八(祝詞式)」の「遷却崇神詞(たたりがみをうつしやらふことば)」によれば、悪い神々は、祓の神である神直日大直日の神に直してもらって、遠方の山川に行ってください、その代わりに、鏡、玉、弓矢、刀、馬を差し上げます、と祈願する内容になっています。
この祝詞は、疫病の流行や天災地変などがあった際に、臨時で行われる祭りで奏されました。
いずれも、神々への祈願という形になり、「祟り神」に対しては、何かを与える取引となります。
陰陽道
陰陽道の「祓え」は、祭壇に御幣を5~10本ほど立てて行います。
御幣はそれ自体が捧げ物であると同時に、神々の依代になります。
また、祓う対象の神霊・悪鬼のための御幣も立て、供物も供えます。
さらに、船や牛車、馬などを模したものを飾ります。
これらは、神霊・悪鬼が乗って、去っていってもらうためのものです。
神道の「祓え」と似ていて、取引が主体のようです。
同じ「祓え」でも、もう少し大きな「追儺式(鬼遣らい)」の場合は、「延喜式」の陰陽寮の「追儺之祭文」によれば、次のような内容になります。
病気をもたらす鬼たちは、速やかに、遠いところに行ってください、その代わりに、5種類の宝物と、海山で取れた幸を差し上げます。
それに応えないなら、大儺公(=方相氏、盾と矛を持つ四つ目の神)と小儺公と五兵の武器で音を鳴らして追い払いますよ。
この「追儺式」の場合、取引に加えて、攻撃的な脅しが加わります。
場合によっては、鬼と方相氏などに扮した人物によって、演劇的に実演されます。
平安時代は、「呪詛」が頻繁に行われた時代です。
例えば、藤原道長は5度も狙われ、そのうち3度は首謀者が特定されたと記録されています。
一般に、「呪詛」を行ったのは、民間の法師陰陽師ですが、場合によっては、官人の陰陽師も行ったようです。
例えば、「扶桑略記」によれば、藤原時平の命で、菅原道真を対象に「呪詛」を行っています。
また、平将門を対象にして、式盤を用いた「呪詛」が行われました。
「呪詛」、「呪詛返し」は、「式神」を使って行います。
「式神」は、弟子にすら教えないようなトップシークレットで、多分、術師によって使う「式神」が異なったと思います。
ですが、おそらく、式占である六壬で使われる十二月将や十二天将から、攻防力に優れたいくつかの神霊を使ったのでしょう。
ひょっとしたら、六甲・六丁神や、奇門遁甲の八神からも使ったかもしれません。
鬼や動物霊を使うとしたら、民間の低級な陰陽師です。
十二天将は、北極星を中心にした星座に由来する神々です。
十二月将は、六壬の天盤にあり、一年を12等分した十二宮に対応し、十二支にも対応させられた神々です。
式神を使う際には、目的に合った式神を選び、陰陽五行の瞑想(無極→太極→陰陽→五行という五行の発生過程を観想)、体内神の存思、呪文、禹歩、掌訣、手印、場合によっては呪符などを組み合わせます。
個々の式神には、各種の象徴体系の属性が対応付けられているので、それらを働かせる術が組み合わされるのでしょう。
「呪詛」では、相手の部屋の下に式神を伏した(憑依させた)品物を埋めるとか、式盤の下に人形を置く、といったことも行われたようです。
また、どこまで事実か分かりませんが、「呪詛」の防衛としては、「身固め式」で姿を見えなくする、結界を張る(式神で守る)、相手の式神をコントロールして返すといったことが行われたのかもしれません。
ちなみに、修験者が良く使う「呪縛法」の「九字(四縦五横呪)」は、道教由来のもので、陰陽道でも使います。
ですが、唱えるのは「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前」ではなく、「朱雀、玄武、白虎、勾陳、帝后、文王、三台、玉女、青龍」であり、これらの多くは十二天将と重なります。
密教
まず、密教の「結界法」には様々な方法があります。
単純なものでは、独鈷杵を四方に打つ「四方結界法」や、火界の印を結びながら、不動明王の火界呪を唱え、火炎で囲まれていると観想する「不動結界法」があります。
敵から見えなくする「隠形法」としては、陽炎の神格である摩利支天の呪法があります。
金剛輪印を身体各所に当てて真言を唱え、隠形印を結んで真言を唱えます。
つまり、陽炎のようになって姿を見えなくする、ということです。
陰陽道の「身固術」も本質は同じでしょう。
「調伏法」にも様々な方法がありますが、これらは、鎮護国家、病気治療や朝敵に対して使われました。
具体的には、護摩壇の前で、観想、真言、手印の三密加持によって本尊を勧請し、自分自身が本尊になり、敵を模した人形を金剛杵で壊したり、火中に投じたりといった象徴的な行為をします。
「調伏」の本尊は、一般的には、大元帥明王、大威徳明王などの強力な明王を使います。
「大元帥明王法」は、元寇、平将門の乱、日露戦争、太平洋戦争で使われた記録があります。
「大威徳明王法」は、平将門の乱、文徳天皇の後継者争いで清和天皇側が使いました。
逆に、平将門は、武神を本尊とする「鎮将夜叉法」を使っただろうと推測されます。
明王以外に、仏頂尊も強力な本尊となります。
中でも「一字金輪法」は最強の「調伏法」とされ、後醍醐天皇が鎌倉幕府に対して使いました。
また、「尊勝仏頂陀羅尼法」は、元寇や、明治天皇の病気治療で使われました。
「一字金輪法」も、薬師如来の仏頂として行う場合は、除病の法として使われます。
一方、薬師如来の眷属である十二神将は、「呪詛」の尊として使われました。
「呪詛返し」には、武神の毘沙門天を本尊とする「六字河臨法」が使われました。
これでは「大祓詞」を改変したものが読まれ、また、陰陽道の影響も受けています。
ちなみに、毘沙門天の呪法は、蝦夷の平定の際に、使われたようです。
また、六字明王を本尊とする「六字経法」も「呪詛返し」で使われました。
これでは天狐・地狐・人形を投げ入れて護摩を焚いたり、四方に矢を放ったり、鏡に送られてきた呪詛神を映したりすることが行われます。
殺生を禁とする仏教で「調伏」が認められたのは、煩悩を持った相手を救うという建前の論理があるからでしょう。
「理趣経」には、殺人を煩悩の調伏として肯定する思想があります。
「理趣経」は、最澄が貸借を願い出た時、空海が、読むだけで理解できるものではないとして断り、両者の決別の原因になったことでも知られています。
そのため、例えば、「大威徳明王法」では、調伏の時、最後に慈悲の心を起こして、相手を救う「息災法」も行うことが求められます。
ちなみに、日本には招来されませんでしたが、後期密教では、「グヒヤサマージャ・タントラ」などで、迷える人間を、呪殺(度脱)することによって浄土に送るという教義が、明確に書かれるようになります。
チベット僧のドルジェタクは、これを実践したことで知られています。
彼が使ったのはヴァジュラバイラヴァ法で、瞋(怒り)のヨガによって瞋の曼荼羅を観想し、瞋金剛になって、外道を殺し、再生させて正覚に入らせ、涅槃に導きます。
また、後期密教の文化圏では、詳細は伏せますが、クンダリニーを利用した「呪詛」も行われます。
日本の「軍荼利明王法」では、行われませんが…
修験道
修験道の病気治療では、「護法童子」を使います。
「護法童子」は、独鈷杵に降ろし、病人から憑き物などを駆り出すのに使われます。
そして、病人から追い出された病魔は、修験者の助手である「憑坐(よりまし)」に憑かせ、修験者が病魔と問答をして、原因を聞き、取引をします。
最後に、「護法童子」が「憑坐」に移って、病魔を追い出します。
修験道の「呪縛法」、「調伏法」である「不動金縛り法」は、不動明王の羂索によって神霊を呪縛する法です。
不動明王を勧請して一体化し、刀印を結んで、「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前」と唱えながら横向きに5回、縦向きに4回交互に九字を切ります。
その後、内縛印、剣印、刀印、転法輪印、外五鈷印、諸天救勅印、外縛印を順に結びながら、不動明王慈救咒(中咒)などを唱えます。
神霊が帰服したら、最後に、「解網法」で相手を解いて、三途の川に放ちます。
「解網法」では、五大明王の印と咒の後、五方を加持してから綱を解きます。
より簡単な「九字護身法」は、上記の方法で九字を切り、最後に咒を唱えるのが、至急用の「早九字護身法」です。
少し余裕がある時は、九字それぞれの印を結んでから、咒を唱えるのが、「切紙九字護身法」です。
「呪詛返し」の場合は、人形に霊を移し、ボロン字、あるいは九字で封じて、川に流します。
川に流すところは、神道や陰陽道と同じです。
いざなぎ流
残存する民間呪術の最高峰とも言われるのが、高知県の物部村(現・香美市物部町)に伝わる「いざなぎ流」です。
いざなぎ流は、陰陽道、密教、熊野系修験道、三輪流神道、吉田神道、梓神子(弓祈祷)など様々な影響を受けています。
また、いざなぎ流の祭文は、中世の御伽草子などに似た部分を多く、中世的な宗教、神話の古い伝統を今も伝えています。
「中世祭文」は、術師が言葉によって神霊・悪霊に強制を行うという特徴があります。
いざなぎ流には、神霊を称えたり、お願いをしたりする「祭文」(表)と、神霊に対して強制する「法文」(裏)や、呪詛返しを行う「法文」(裏の裏)が存在します。
いざなぎ流では、神霊の類だけでなく、人の恨みや妬みも生霊のように取り付くと考え、これを「呪詛(すそ)」と呼びます。
マンガ、アニメ『呪術廻戦』の「呪霊」を同じです。
いざなぎ流の考えでは、「呪詛(すそ)」と、一般に言う「呪詛」は、意識的か無意識的かの違いで、本質的には同じものなのでしょう。
神霊や「呪詛(すそ)」が取り憑くことで、人は病気などになります。
いざなぎ流では、これを取り除くために使う神霊を「式王子」と呼びます。
陰陽師が使役する「式」に相当します。
「式王子」以外に、山の神、水神、荒神、天神などを式として使うこともあります。
祟る神霊や「呪詛(すそ)」の全般を祓う儀礼は、「取り分け」と呼ばれます。
これは、対象を人や家などから切り離し、多数の御幣(幣束)に集めて排除する儀礼です。
神霊用の祭壇と「呪詛(すそ)」用の祭壇を作り、御幣の他に、供物として米や貨幣なども入れます。
ありとあらゆる神霊にいちいち呼びかけ、人間側の過ちを誤り、本来の住処に返ってもらうように頼みます。
「呪詛(すそ)」も、そのすべてを村中から集めます。
対象を御幣に集めると、まとめて楮の皮で縛りあげ、数珠の間を三度くぐらせ、5種類の「関」を打って封印します。
「関」というのは、呪文を唱えながら手印をして、剣、岩、金幕、綱、鎌、棒、霞などのイメージでバリアを張る祭式です。
そして、集落の外れの人が行かないような山の斜面の岩陰などの場所に埋めて、石を乗せます。
そして、「高田の王子」をトップとした式王子たちを召喚して、その御幣を立てて押えにし、「関」を打ちます。
病気治療の場合は、特定の神霊や「呪詛(すそ)」を対象とする点で「取り分け」と異なりますが、儀礼の本質は同じです。
違いは、「五体の王子」などを召喚、使役して、強制的に病魔を集めることです。
また、「人形弊」を使って、病人の体中を探して、これに病魔を吸着させます。
*主要参考書
「シャーマンへの道」マイケル・ハーナー(平河出版社)
「日本呪術全書」豊島泰国(原書房)
「現代・陰陽師入門」高橋圭也(朝日ソノラマ)
「陰陽師の平安時代」中島和歌子(吉川弘文館)
「日本の呪術」繁田信一(MdN新書)
「天台密教の本」(学研)
「性と呪殺の理論」正木晃(講談社選書メチエ)
「虹の理論」中沢新一(新潮社)
「土佐・物部村 神々のかたち」(INAX出版)
「いざなぎ流の宇宙」(高知県立歴史民族資料館)
「いざなぎ流 祭文と儀礼」斎藤英喜(法蔵館文庫)
*タイトル画像は、安倍晴明が行う祓いの儀式、『不動利益縁起絵巻』の一部、WIKIPEDIAより