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留学中もしくは留学を目指しているあなたへ

美しく晴れたドイツのハレ市より、Guten Tag!(こんにちは!)

私は昔、ドイツの大学に短期留学していたことがあります。

パソコンを整理していたら、当時、留学の最後の頃に書いた留学レポートが見つかったので、それをここでシェアしたいと思います。

ここでは、語学学習について、留学生活の悩みについて、留学先で学んだことなどを書いています。ちなみに専攻は音楽教育でした。

現在留学中、もしくは留学を目指しているあなたへ、何か届くものがあれば幸いです。

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 ドイツの中央にあるテューリンゲン州の州都エアフルトという街で、私は10カ月、短期留学派遣生として、音楽教育の勉強をしてきました。ここで学んだ事や、感じてきた事などを、書いていきたいと思います。

 まず言葉について、学んだことを書きます。ドイツへ来る前に日本で独語検定を受け、また大学の授業やNHKのラジオ番組等で準備はしっかりしてきたつもりではあったものの、来た当初は自分のドイツ語力の無さにショックを受けました。思っていたより聞き取れず、言いたいことの1割程度しか伝えることもできず、自分という人間を誰も知らない土地に来たのに自分のドイツ語力で表現できる思いというのが狭すぎて、焦ったことを覚えています。
 大学の講義が始まる約一カ月前から大学での留学生のためのドイツ語コースが始まり、初日にレベル分けテストがあり、私は真ん中の中級コースに割り当てられました。留学生の中でもヨーロッパの他の国々から来た学生は小さい頃からドイツ語を学校で勉強してきた人が多く、ドイツ語の授業中も積極的に発言するので、受動的な授業の受け方をする日本での学生との差を感じました。
そのうち多くの単語や表現を覚え、自分のドイツ語も大分上達したと感じるようになった頃に大学の講義が始まり、ここでもまた大きなショックを受けました。私が履修した音楽教育関係の授業や講義を受講しているのは基本的にドイツ人の学生ばかりなので、ドイツ語も授業のスピードも速く、また日本の大学での講義と比べ学生の発言も多く、何度も取り残されているような感覚になりました。学生同士が授業中に討論をするような場面では、さっぱり理解できないこともしばしばありました。
 同じフラットで暮らしていたフランス人の友達が英語を専攻しており英語を好んで話しており、その友人と話すときは英語、他はドイツ語、と切り替えるようにしていたのですが、どうしてもその切り替えが私には難しく、文法が混ざってしまうこともあり、また二つの言語を同時に学んでいくのには限界がありこのままではどちらも中途半端なままになってしまう、とも感じていました。
 そのようなこともあって、ドイツでの生活が始まって一カ月ほど経った頃、これまで一つの趣味でもあり大好きだったドイツ語が、趣味の領域を超えて生活するため、意思表示のためのツールとなってしまっていることに時々辛さを感じ、単語も覚えては忘れ、新しい単語を聞く度に、知らない言葉があとどれほどあるのだろうか、と気が遠くなるような思いを感じていました。

 しかし、そもそも私はどうしてこんな難しい言語を学ぼうとしているのだろう、後に何かの役に立つのだろうか、と感じ始めていた時、大学内で周りから聞こえてくるドイツ語の響きに耳を傾けながら、ドイツ語を始めた頃のように、ドイツ語に対する純粋な憧れの気持ち、ドイツ語をもっと話したい、という気持ちを思い出したのです。
 同居人の友人ともそのことを話し合い、これからはドイツ語にもっと慣れるまでは基本的にドイツ語だけで話そう、ということになり、それからというもの、それまでよりもドイツ語の上達を感じるようになりました。
毎日の生活の中でもラジオを聴き、ドイツ語の本を読み、積極的にドイツ人の友達と話し、語彙も少しずつ増やしていく、という毎日の努力の成果が実を結ぶ日が来ると信じ、ドイツ語の勉強にも前向きに取り組めるようになり、それまでより近い距離からドイツ語にアプローチしていけるようになりました。また、もっとコンサート後などにドイツ語で感想を言いたい、授業で学んでいる内容をもっと理解したい、という強い気持ちが言葉を学んでいくモチベーションにつながったようにも感じます。

 この10カ月で、始めは全く理解できなかったラジオも大体は分かるようになり、今はドイツ語でのコミュニケーションにストレスを感じることはなくなりました。英語を始め日本での語学教育というのは文法と読解が中心であるため、日本の多くの学生はその「知識」と「コミュニケーション力」に大きな差があるように感じます。言葉はトレーニングが重要なので、実際に使って練習を重ねないことには習得することは難しいのではないかと感じています。
 また、言語の学習に終わりはありません。留学が終了してからも、その勉強は生涯続けていこうと思っています。

 次に、専攻科目の学習について書きます。先に述べたとおり、私は教育学部で音楽を勉強しました。エアフルト大学にはユニークな授業や講義が多くあり、ピアノの他に弦楽器のクラスでは私はヴィオラを選択し、その他にも私は選択できなかったものの、基本的には必修のギターの授業というのもありました。実際にドイツの公立の小学校ではピアノが置いてない学校というのもあるらしく、先生はピアノに留まらずギターや他の楽器でも子どもたちの歌の伴奏をする能力が求められているようです。私が実際に見学させてもらったワイマールの公立小学校の音楽の授業でも、先生はギターを使って歌唱指導をしていました。
 合唱の授業においては、授業の一環としてエアフルトやワイマールのクリスマスマーケットのステージや、湖のほとりでの野外コンサート等に参加しました。野外コンサートでの演目は「ロックレクイエム」というもので、ロックとクラシックを融合させた現代曲でした。他の街から遠征で来たオーケストラの楽団と、世界的に有名なロックのギタリストも参加してのステージで、その日に感じた何か大きなパワーに包まれるような感動は、一生忘れられません。

 この一年間、私の楽器としての専攻であるピアノにも情熱を注ぎました。大学でピアノを教えて下さった教授も音楽を教えることに対し非常に熱意のある方で、その教授の一言で目からうろこが落ちるようなことがしばしばありました。もっと頭を使い、色々な解釈や表現の可能性を知った上で、自分なりの音楽を作っていくことの大切さを学ぶことができました。
 また、大学では音楽専攻の成果発表会が二カ月に一回ほどあり、その発表会や教授の門下生内でのクラス発表、そして学期開始と終了時の大学の大きいホールでのコンサート、公開試験コンサート等に年間で10回ほど参加し、ピアノを弾かせて頂きました。それらは、自分の音楽を人に聴いてもらうことの素晴らしさと、そのことが音楽的に成長するのにもいかに重要か、また出す音に対してもっと責任を持とうということなど多くの事に気付き考えるきっかけとなりました。
 先月7月の頭には、一年間の集大成ということで、音楽教育を共に学んだ他の中国人の留学生二人と共に、エアフルト内にある古いカフェを貸し切っての公開ピアノ試験を私を含め三人で企画しました。完全自主企画のコンサートというのは私達にとっては初めてで、約二か月前から企画はしていたものの、モチベーションに差があったり、準備する人としない人で偏っていたこともあり、ゲネプロの日にそれぞれの葛藤がぶつかり泣きながらの言い合いになりました。ここでは協力すること、そして「一緒に創り上げること」の大切さを学んだと思います。
 また、ドイツ語によるコンサート進行や曲紹介、そしてプログラム作り、打ち合わせ等は簡単ではなく、初めてのことだらけで、何度も投げ出したい気持ちにもなりました。しかし、横浜国立大学の附属小中学校で行った教育実習を思い出し、あの時も大変だったし緊張もしたけれど、それでも子どもたちに音楽の心を少しでも伝えられたら、と諦めずに取り組んだことで、最終的には自分で納得のいくものになったので、緊張しても失敗しても、本気で取り組むことに意味がある、と思い、またとにかく音楽に対する誠実な心は忘れないように、と自分に言い聞かせ、コンサートの準備をしていきました。
 結果、コンサートには本当に多くの人たちが来てくれて、会場は座れないほどの人で溢れ、音楽的な失敗はもちろん沢山あったものの、忘れられない貴重な体験となりました。

 大学の授業の他にも、毎週近くの教会で催されるオルガンコンサートや、隣町のワイマールでのコンサートやオペラ、そしてリスト音楽大学の学生の公開発表会など多くのコンサートに足を運び、コンサートの感想を書いているノートも一年を通していっぱいになりました。ドイツは街の中も多くの音楽で溢れ、どこへ行っても必ずと言って良いほど劇場があるので、音楽を勉強するものとしては本当に幸せな環境で、様々な新しい音楽と出会うことで勉強にもなり、刺激を与えられました。
 ドイツは多くの偉大な作曲家を生んだ国でもあるので、土日や長期休みを使って、ブラームスの生まれたハンブルク、ベートーヴェンの生まれたボン、バッハの生まれたアイゼナハ、そして彼がオルガニストとして活躍した近郊の町などを訪れました。それらの土地には作曲家の博物館があり、彼らが生活していた跡を見ることで、普段遠くに感じていた作曲家たちが、生きていた一人の人間ということを実感し身近にも感じられました。これらの場所で感じ学んだことを、いずれ自分が教える立場になった時に役に立てていきたいと思っています。

 また、派遣中の3月には東日本大震災があり、この時には、母国が大変な時に国にいられず自分に何ができるのかというもどかしさを感じながら、インドネシアの学生達の協力の下大学のホールでチャリティコンサートを催し、集まった募金を日本赤十字社に義援金として送りました。ドイツの各地でもこのようなイベントは催されていて、また多くの友人達が日本を心から心配してくれ、地球は一つであるということを強く実感し、その温かさに心が救われる思いでした。

 ドイツでの留学生活を通し、中学生のころから興味があり大好きだったドイツという国の、色々な部分を見てきました。文化の違いにより馴染むのに苦労もし、何か一つの問題を解決したと思ったらまた次の問題に直面する、ということも続きましたが、困難も含めすべての経験は自分を見つめ直し、成長させるきっかけになったと感じています。大学で音楽を専攻している学生のほとんどは音楽の先生になることを目指していますが、中にはプロのリュート奏者を目指している学生、ジャズポップシンガーを目指している学生など、音楽のジャンルも夢も様々で、そのような仲間たちと互いの音楽を聴かせ合ったり、練習室や大学のカフェでこれからの進路について語り合ったりする時間は本当に楽しく、刺激にもなりました。また、世界中からの様々な価値観を持つ学生達との出会いもまたひとつの大きな宝物で、友人達と互いの人生観などを語り合った夜は忘れられません。

 文化も言葉も異なる国で生活し強く感じたのは、やはり母国である日本への愛と、自分が日本人であることへの誇り、そして、日本にいる家族と友人達、そしてこれまで関わり影響を与えてくれている人たちに対する感謝の気持ちでした。離れた所で頑張る日本の友人達の存在は、私の中で大きく、常にモチベーションを与えられてきました。

 この10カ月で出会った人の数、感じた葛藤や流した涙、学んで得たこと、忘れられない感動の数々を思うと、本当に多くの事があったと今実感しています。この経験を忘れず、これからの人生において、また音楽とピアノの教育の場において、充分に役立てていけたらと思います。

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大木 美穂
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