何者にもなれないはずなのに
私たちは今の現状を受け入れられらない時、何かになろうとイメージします。
何かとは「今とは違う自分」であり、願わくば今よりも条件の整った状態、つまり今よりも優れた自分になりたいと願う。
これは深く観察していくと驚くべきことに気づくはずです。それは『時間』です。
過去・現在・未来
今は(あるいは今までは)納得できないけれど、未来のいつかは必ず自分自身が納得できるような人間になっていたい。
それは願望であると同時に、今の自分を否定していることにも気づかず。
絶えず私たちはそういう葛藤の中で生きているのです。
さらにそのような状態に不満を持ち、誰かに答えを求めて彷徨う人々もたくさんいらっしゃるのですが、果たして答えを持った人など存在するのでしょうか?
とても大切なことを見落としている場合がほとんどなので、その大切な事とは何かをこれからお伝えします。
まず先にその見落としているというものは何かというと、それは『観察』するということです。
何を観察するかは先ほど申し上げた「答えを誰かに求める」人にはわからない大切な部分です。
答えというものは常に極々身近に存在しています。それは『自分自身』です。
お気づきかと思いますが、観察する対象は自分自身です。決して誰かに教えを乞うてもあなたの知りたいことなど何も持ち合わせてはいないのです。
一見わかったような感覚になれるかもしれませんが、それらはすべて幻想です。
幻想なのです。
そして観察の末に手に入れた「それは幻想なのだ」という事実があなたを時間から解放してくれます。
「あの」ような自分や、「この」ような自分などいまこの瞬間にすら存在できないのですから。
いまに在る
あなたが今まで頼りにしてきた知覚から、少しだけ距離を置いてみませんか。
その何かの名前や過去から蓄積された知識を使わずに、ただ目の前のもの(こと)を受け入れる。
それは誰でも、いつからでもはじめられます。