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好雪片々として、別所に落ちず

今朝方おもむろにスマホを開くと、友人からFacebookのメッセージが入っていた。

「大変なことになってきちゃった」

おっと、どうしたんだろう?
文面には詳しい内容も見当たらず、何度かのやり取りにおいても、具体的な内容は教えてくれない。

詳しいことは、今夜ビデオ通話を通して相談したいということだった。

「ほう、なるほど」

まぁ、大体こういう相談は楽しい結末になるって
決まっているものだ。何故だか理由は分からないけれど、いつもそうなっているのだから、そうとしか思わない。いや、思えないのです。

約束を忘れたりするといけないので、リマインダーに用件と時刻を打ち込み、夜まで待つことにしました。

夜9時に時間通りにはじまったビデオ通話。友人とは半年ほど前に、同じニシトアキコ学校という学びの場で知り合った仲で、数回は直接お会いしたこともあり、ある程度の信頼関係が成立した間柄なので、相談の肝となるべきところは単刀直入に聞いてみます。

それはこんな内容でした。

ある方に数度お会いし、その方からある重要なミッションをお願いされたとの事。

実際お願いと言っても、どちらかというと内容的には、「やってみたらどう?」という提案に近いものでした。

本人からするとその内容は、少し重荷に感じているようにも見え、事実お話を聞いていく中でも提案されている内容が今までやった事のないものだったのです。

当然の事ですよね。

人はやったことが無いことに対して、大抵は不安を感じたり、自分自身が出来るのかどうか計り知れない訳ですから恐怖にさえ思うかもしれません。

しかし、その友人の捉え方を見ていると、どうも背中を押して欲しい様にも見えてきたのです。

何故そう思ったかと言うと、その友人は終始お願いされた方のことを否定していなかったのです。

また僕自身、その友人の経歴をある程度知っていたので、キャリアから考えてもこれから与えられようとしている業務内容は、一見して畑違いに思えるけれども全く通用しないといった類のものではなく、むしろ持ってこられたミッションに対して、考え方や視点を変えて前向きに捉えてみることによって、とてつもない無限の可能性を秘めているように思えたからなのです。

そんな事を感じながら、約1時間くらい掛けて友人のお話を聞かせてもらいました。

そして、ビデオ通話での対話が終盤に差し掛かった頃には、本人はとてもやる気になっていて、結果を恐れることなく挑戦したいという気持ちに満たされていました。

対話を終えて、気づいたことがあります。

それはこんな事です。

このお願いごとの話が友人に持ち掛けられたことは、一連の流れの通過点ではないのかと思えてきたのです。

ここで言う一連の流れとは、人生全般から見た時という意味です。一見すると偶然に起きた事の様に思えるけれども、ある一定の秩序や、もしかすると『全体としての目的』が隠れているようにすら感じたのです。

それはもう壮大なドラマのワンシーンの様に感じるのです。

禅にこんな言葉があります。

『好雪片々として、別所に落ちず』
(こうせつへんぺんとして、べっしょにおちず)

これはどういうことかと言うと、ヒラヒラと舞い落ちる雪は、ただただ闇雲に当てどもなく落ちていくように見えるけれども、その一つ一つの雪は落ちるべきところにちゃんと落ちるのだという事です。

しかし雪が落ちるところは、幾ら計算したとしても完璧には予測できません。

つまりわからないのです。

しかしわからないからと言って、風の強弱や雪の性質など自然の摂理が完璧に働き、雪は落ちるべきところに必ず落ちる。ここで言うところの「自然」が、我々の「人生」と捉えてみると理解しやすいかもしれませんね。

今回の話しに戻りましょう。

要するに人生全体から見たら、部分として訪れる日々の色々な問題は起こるべくして起こるし、それに対して逃げようが闘おうが、ただ『事実』として眼前に現れるだけって事じゃないのかなって。

だったら…。

わからないからといって、挑戦しない選択なんて勿体ないと思うのです。

今回の一件に関しても、それは断片的に見れば偶然訪れた出来事の様に見えるけれども、いまこの瞬間に現れた事実であり、ただそのことに対して素直に受け入れる。

その連続の先に、「わたしの人生」という一冊の本ができるのかなって思わせてくれる出来事でした。

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