殺し屋のわたしが見たもの
いきなり物騒なタイトルで驚きましたか?
本当かどうかは最後までお付き合い頂ければ嘘か誠か判断できるでしょう。今日はちょっと少なめの1500文字でございます😭
さて今日の関東地方は曇り空で少し肌寒い日でした。
ふと朝トイレに入っていた時「ロープーウェイに乗ろう」と思い立ち、電車で谷川岳を目指しました。
と言っても今日の目的は殺し屋の仕事ではありません。間接的には多少なり関係しているかもしれせんが、直感的に北を目指しました。
理由はどうあれ前回の投稿にもある通り、行くことは決まっていたことだし(朝のトイレより前に無意識で…)それをただ受け入れて向かいました。
リュックには般若心経をサンスクリット語の起源にまで求めて解説してくれる本と、喜多川泰さんの『よくがんばりました。』を入れて出発。
片道2時間以上掛かるので、結構なページ数を読み進めることができました。
今日11月1日の谷川岳は気温も10度台で持ってきた冬用のダウンジャケットがちょうどいい感じでした。
紅葉が色づきはじめた景色はとても美しく、「(この為に来たのか)」とか考えずに、谷川岳の天神平に腰をおろし、冷たい風を頬に感じてきました。
最近は《身体》肉体に意識を持つことに何となく興味が湧き、それもやはり意味づけをしないように観察しながらあるがままの自分を受け入れて眺めています。
天神平においても『ただ坐る』というか、気づいたら座っていました。
例えるならばゴルゴ13のように360度四方八方に神経を尖らすこととは正反対の状態です。
その瞬間《愛》を感じ谷川岳が私であり、私が谷川岳です。
そう感じるのも予定どおりだったし、私が個としてこうやって記事を投稿することも決まっていたのでしょう。
そして話を『殺し屋しゅうちゃん』に戻します。
別にカミングアウトではないってことはわかると思います。しかし私は殺し屋です。
何を殺すのか?
なんだと思いますか?
答えをお伝えする前に、喜多川泰さんの書籍をご紹介します。この物語に出てくる主人公の嘉人には愛媛県の西条市に父親が居ました。
38年前に母と共に父を捨て、東京に出てきてから一切の繋がりを断ち、いわゆる縁を切った状態でした。
ある日嘉人の職場(中学校の教師)に愛媛県警から一本の電話が掛かってきて、父親が亡くなったことを知らされます。
遺品整理や故人の遺産や行政とのやり取りをしなければならなくなり、仕方なく向かったことで生前の父の状況が少しづつわかってくるというストーリーです。
嘉人の亡くなった父親は生前から自分のことを稼業の貸本屋とは違う《殺し屋》だということを仲間内や嘉人にも洩らしていました。38年振りに愛媛の故郷に帰った嘉人は、出会う人たちによりその真実を知ることになるのですが…
何だかこの先の結末、気になりすよね?
ということで、ここでまた出てきました「殺し屋」というキーワード!
しかし本当に人を殺めたりしていた訳ではなく、貸本屋をしていた嘉人の父が、本を借りに来てくれた人を変化させていくというストーリーでした。
つまり『今の自分』(お客さん自身のこと)を捨てる為にやっていたこと。
それが自らを殺し屋と呼ぶ理由だったのです。
その人が自分自身を成長させるために手助けし、そのために必要な書籍を渡していたというのが真相だったのです。
これは言い換えれば『その人の執着を棄てられるお手伝い』と考えるとピンと来るかもしれません。
そいう意味でも物騒な言葉『殺』を使うのが、それだけ本気で関わっていた事を伺わせます。
いかがでしょうか?
お節介にも見える父の行動は、
読み終えた私にとってエゴが自分の承認欲求を満たすためではなく、その相手が《わたし》であり、わたしが《その人》である。そういった風にも見えました。
嘉人のお父さんって自他の区別なんてなかったのかもしれませんね。
そこには愛しか残らないし、そもそも愛しかなかったんじゃないのと教えてくれた気がします。
そんな私は喜多川泰さんの本を読んで、これからも自然と殺し屋で生きていくんだなと思いました。
#谷川岳天神平 #愛 #よくできました。 #喜多川泰
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