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平和な世界を創る方法
【イメージだねぇ😊】というお話!
まずは私たちが普段何気なく使っている、「イメージ」について少し考えてみたいと思います。
ところで私たちのイメージは、一体どこから湧き出してくるのでしょうか?
イメージとは、例えば「あの人はたぶん〇〇な性格だと思うんだよね」とか、「私が思ってたのと全然違うんだけど!」などの普段は気にもせず無意識に湧き上がる思考の創り出したもののことです。
ではそのイメージはなぜ自然に湧き上がるのか、その手がかりとしてある番組を例に解き明かしていこうと思います。
それは先日TBSで特集されたもので、「北関東と南関東の境は?」というテーマで放送されました。
内容としては関東の北と南の境目はどこかを、現地で取材をしながら検証していくものでした。その中でも特に気になった部分を中心に、そこから私たちがどのようにして物事を判断しているのかを読み解いていきます。
そしてその読み取った結果から、我々のイメージがどれだけ人生全般に影響を及ぼしているのかを見ていきたいと思います。
ではイメージの正体が分かることによって、何がわかるのか?そして何が解決するのか?
気になりますよね?
それは…
人生におけるあらゆる問題が、問題ですらなくなるかもしれないという、とても大事なお話しに繋がっていきます。
どうぞ最後までよろしくお願いします。
(マタナガインスカ…)
まずはイメージとは何かを定義していきましょう。
例えばですが対人関係で、初対面の人に対する第一印象ってありますよね?あれってイメージから来るものじゃないですか?何故ならば会うのは初めてだからです。
あるいはニュースなどで取り沙汰される事件に対する自分自身の感情などは、事件の内容や被害者加害者の置かれている状況など、ありとあらゆる情報から推測されます。それもイメージではないでしょうか?
つまりイメージとは、あくまで個人の個人による「感想」なのではないでしょうか?
先程のテレビ番組の内容に戻ります。
特集のテーマでもある北関東と南関東の境目を探す取材は、埼玉県のとある市に行き当たります。それは我が街でもある鴻巣市でした。
今回のイメージというテーマを語る上でも、当事者としての感想を踏まえながら進める方がより理解しやすいかと思い取り上げました。
①まず番組を見て最初に思った(イメージ)のは、「確かに鴻巣が関東の境目かもしれないな」ということです。
②さらに心の中では、「できれば南関東って言われたいな」という感想が出てきました。
ここで皆さんも全国的にテーマに挙げられる、それぞれの地域ネタを思い出してみてください。
だいたい自虐ネタになるかもですが…(笑)
ネタとして楽しむのも面白いのですが、より深く我々が描くイメージとは何かを地域の実情と照らし合わせて突き詰めていくと、意外に自虐ネタよりも楽しめることに気づくはずです。
それでは何に気づくかを、先程の鴻巣市に対する私のイメージと絡めて話を進めていきます。
まず①について何故そう思ったのかですが、地図で俯瞰した時に見る関東全域を思い浮かべました。そして南北を分けるポイントはどの辺かなと推測しました。その結果を踏まえた上で、「確かに鴻巣だな」という結論に至りました。
次に②に関してはどこか東京に近い方が都会だなという「先入観」と、相対的に神奈川県も人口密度が高く洗練された「イメージ」があるため、どちらかと言えば都会で洗練された地域に我が鴻巣市が見られたい。そう思ったからです。
ここで両方の共通点を探してみたいと思います。ですが漠然とした観察だとそれこそ考える人の数だけイメージが湧き上がって来るので、簡単な定義付けをしていきます。
まずこのイメージというものは、誰もが同じ答えになるのかという観点で見てみると…
なる訳ないですよね?
ということは、見た人の数だけイメージが違うということになるかと思います。具体的なことを言えば上尾市が境目だと考える人も居れば、熊谷が境目だと考える人もいるはずです。中には群馬県と埼玉県が境目と考えるかもしれません。
つまりイメージとは「それぞれ人によってバラバラなもの」と定義できます。
では先程の「両方の共通点」の話に戻ります。
そのバラバラなものの中にあって、これは私だけに限った話ではなくそれぞれの人に当てはまる共通点があることに気づきます。
それが今回のテーマにも繋がっていくのですが、それは一体何なのでしょう!
両方に共通するもの、それは『過去』です。
イメージとは我々が過去に経験したものから出来上がっているているということです。
その経験したものの中には直接体験したものも含まれるし、見たり聞いたりしただけのモノもあるかも知れません。いずれにせよ私たちの記憶の中に蓄積されたもの、それがイメージとして湧き上がってきたはずです。
私自身の番組を見た感想は、よく観察してみるとほぼ全て過去のものから創り出されたものでした。
ここから分かることは、「私」の過去からイメージされたということです。これを拡大して考えると、それぞれの過去が違うから、イメージもそれぞれの人が違うものを持っているということに至るはずです。
総じて我々は社会で起きるあらゆる出来事を、それぞれの過去を当てはめて「判断」しているということでもある。そう解釈することも出来ませんか。
先般Xの界隈で騒がれている、イオンシネマで起きた車椅子の一件を考えてみましょう。
それぞれの「正しさ」というフィルターを通して、ハンディキャップを持たれた方に対するイメージがあるはずです。
どの意見が正しいのかは、その人の過去において蓄積されたデータに左右されるということ。そしてそれらは全く違うということ。だからその差が分からず論点がバラバラになり、意見が対立するという構図が出来あがる。
これが現在Xで展開されている、本当の事実なのではないでしょうか?
ではそろそろ結論に参りましょう。
今回のテーマの結論は、ズバリ!
『私たちは今に生きているようで、実は過去に生きている』ということです。
そしてこれが私たちのイメージの正体であり、人生のほぼ全てを支配している事実だということです。
最後にもうひとつ大事なこととして、我々は既知の情報でしか思考できないということです。それは未知のものを理解することはできないということでもあります。
イオンシネマの話も、南関東と北関東の境目がどこだかも、例え答えが出たとしてもそれは既知のものが形を変えて出来上がったものでしかないということです。
つまり答えは見つからないと言えるのではないでしょうか?
「じゃあどうしたらいいんだよ?」
それは…
思考を捨てた時、訪れるものなのかも知れません。
だから禅の世界では、「ただ座れ」と言うんじゃないですかね。
この世界が平和になるために必要なことは、決して声高に平和を唱えることではありません。まずは私たち個人個人の心の中が平和にならなければなりません。
平和とは争いのない世界です。
それは思考(過去)=イメージ(過去)だという事実に、私たち自身が気づくことからはじまります。
#関東の分水嶺 #平和 #只管打坐