トラックの運ちゃんが息子を東大に合格させるまでのお話し!
◻️祝フリーター
地元の底辺校で卒業を控えた1月のある日、突然職員室に呼ばれた。
担任は言った「まぁ、色々な人生があるけど就職も進学も決まってないのはどうなんだ?」
もちろんこんな質問がされる事くらいは、17歳の空っぽの頭でも予想はしていた。しかも学年10クラスあったマンモス校でたった1人の変わり者だ。
「とりあえず、やりたい事が見つかるまでバイトしてます。」
バブルの余韻が漂よう昭和と平成が入り交じった社会は、こんな手ぶらで立ち向かおうとする未熟な青年でも何とか経済的には生きていけそうな気がした。そして学業からも自由になりたかった。とは言え、いま思えば逃げたかっただけなのかもしれない。
当時片親で家はとても貧しく、母は水商売で家庭を支えてくれていた。学費は自分で新聞配達をして何とか払ってきた。とにかく明日必要な「金」が欲しかった。
フリーターなんて言葉が産まれる前の時代、傍目には「みっともない」なんて思われただろうし、親戚からはちゃんと就職しろとも言われた。
でも、何かしっくりとこなかった。
◻️転職名人
その後の職歴たるや、履歴書に書き切れないほど転職を繰り返した。甘ったれた考え方だったうえにコミュニケーションはヘタクソで、周囲とは常に摩擦を起こし平気で暴力を振るうなど、正に「どうしようもない奴」だった。
それでも気にかけてくれる同僚や先輩に見守られながら頑張ってはみたけれど、長続きする仕事にはありつけなかった。
◻️どうしようもない奴
こんなどうしようもない奴でも、結婚してくれた家内には本当に感謝している。
そして何よりも待望の子供を授かることで、自分自身の何かがガラリと大きく変わった。
何とか定職にも就け、この子の為ならばと意識が高まった。
◻️ペン剣、そして赤門へ
何もない人間でも、やり方によっては世のため人のためになる場合もあるのかなとは思います。
自分自身は頭の中がカラッポなので、思い立つと「出来る出来る必ず出来る」って簡単に考えてしまう傾向があります。
息子が小学校2年生の冬に、ふと思ったんです。
「東大に入れよう」
「しかも!東大だろ?」
「じゃ、開成か…」
安易だよ。本当にそう思う。
でもダメなんだ、思い立ったら行動が先に立ってしまう。
「そうだ、写真を撮りに行こう」
ビジュアリゼーションの力だ!
◻️こんなんで受かるんなら誰でも受かるよ
はい、そーですね。そのとーりです!
「こんな、写真撮ったぐらいで受かるんなら誰でも受かるよ」
家内は、半分笑いながら言ってました。
でもやっちゃった。
まずは赤門に行って3人でパシャ!
次は西日暮里に行って開成の前でパシャ!
バカみたいだよね?
バカだと思う。
でもね、信じてたからやっちゃった。
必ずこの子なら合格するって。
◻️2月3日
現在は新校舎建築の為、毎年恒例の開成中学の合格者発表が行われた体育館のピロティーは残念ながら無くなってしまったが、2010年の冬の発表に息子の受験番号はあった。
夢が現実になった瞬間だった。
信じるチカラが勝った。と、思う。
そして小2の時に撮ったアングルで、同じ校門の前で合格の証を撮った。
やはり奇跡は起こすものだと思う。
◻️奇跡パート2とは簡単にはいかねんだよ
1度目は何を思ったか、息子は東大の文科3類の1本勝負だった。どんだけ自信があんだよ?
変なところが似ている。
もちろんこの流れでお察しの通り
落ちた
一浪が決まった夜、正直自分を、いや、息子を疑ってしまった。
◻️神様ありがとう
翌年、同じく東京大学なのだが文科2類に難易度を上げて受験をするという、どこからその自信は来るのか分からないが、その反面去年とは違い私立の早慶2校の経済も受けてくれた。
しかし、次々と不合格の通知が届く。
とうとう、最後は東京大学文科2類のみとなった。
もうここまで来ると覚悟はするもんだ。
生きてるだけでいいじゃないか!
この子は私の子だ!
仕方がない。
でも、でもね。一縷の望みは捨てられない。
もしかしたら…
当日は本郷の合格発表には行けず(会社休めばよかった…)、家内が向かった。
もちろんWebでも確認は出来る。
家内は王子駅から大江戸線に乗り換えたタイミングで結果を知ることとなった。
合格!
トラックの運転手の息子が、東京大学に受かったのだ。
電話で本人からも連絡が入った。
家内とは電話で話したが会話にならなかった。
そりゃ泣くわな。
後日東大の入学式の日に本郷キャンパスにある、あの赤門へ向かった。
もちろんあの小学校2年生の時に撮った時と同じアングルで、同じポジションで、そして「必ずこの子なら合格する」と思った時の気持ちで立った。
タイマーにして撮ろうとした瞬間、ファインダーを覗きながら自然と涙が出ていた。
写真を撮ったあの日から、この日で4481日経っていた。それはもう途方もない時間が経過していたんだよ。
◻️お父さんも大学生
さて、ここからは私の話し。
貧乏を言い訳に進学をしなかった私は、50歳を目前にして貧乏だったことを恨むのをやめた。
なぜなら学ぼうと思えばいつだって学べるのだ。
息子は一浪していた1年間、本当に頑張っていた。
家では全く勉強しなかったけれど、河合塾の開成一浪組みと日々黙々と勉強していたことと思う。
それを間近に見ながら、やはり心は動かされるものだ。自分の息子だからこそ。
もう、言い訳はしない。
そう考えたら、やりたい様にやろう。
なんと!
今春から私は大学生になった。
もちろん運ちゃんをしながら勉強する。
通信制の大学ならば、それも可能になる。
要はやる気が有るか無いかだからね。
やってみて思うのは、まず面白い。
こりゃマジにそう思う。
統計学なんか、何故いままで勉強しなかったんだとスゴい後悔をしている。とにかく面白い。
学ぶということは、いままで知らなかったことを知ることが出来る。知ることによって思考に深みが出来、そして答えのクオリティーは高くなる。
私は思う
知るということは、暗い地面に射す一筋の光そのものだ!
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