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講師インタビュー 庄子寛之さん


今回は、庄子寛之さんにインタビューさせていただきました!
ぜひ、最後までお読みいただけると嬉しいです!

また、今回は動画のアーカイブはございません。
あらかじめご了承ください。

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では、早速インタビューしていきましょう!

東京都の公立の小学校で17年勤めています。

専門は道徳で、道徳の指導教諭もしています。

22歳から教員をやっていて、教員しかやったことはないのですが、ラクロスの活動をしたりアドラー心理学を学んだりと外に出ることが多いので、知り合いは多い方だと思います。

色々な角度から公立の学校の授業作りについて一緒に考えていきたいと思っています。


そんなに深い理由はないですね。

小学校の時は、母が看護師だったということもあって、医者になるのが夢でした。

「医者になるべきだ」と周りにも言われていたし、なれるものだと思っていました。

でも、高校3年生になって、「医学部ってこんなに難しいんだ」ということに気づいたのと、「あれ?そんなに医者になりたいと思ってなかったかも?」と思うようになったんですよね。

かっこよくいえば、“1人の命を救うよりも、教えること”という名の逃げ(笑)ですよね。

それで、教育学部を現役で受けて、現役で受かった感じです。

自分が就職するタイミングは、ちょうど就職氷河期から抜けた1年目だったんです。

今よりは倍率は高かったけれど、誰でも入れるって言われてましたね。

まずは社会に出てみるか、大学院に行ってみるか、いろいろ考えたんですが、最終的には教員をやってから大学院に行こうと思って現場に出ました。


ありましたね。

その時に、18歳くらいまでは周りの期待に応えるだけで生きていたなって思いましたね。

褒められて育てられてたなぁと。

高校を卒業して大学に入ったら、いきなり周りの態度が変わったので、それはちょっと悔しかったですね。


小中高ですね。

中学と高校は理科の免許です。

あと、追加で体育の免許も取得しました。

他の人の2倍とまではいかないけれど、普通の大学生よりは相当多く単位を取得しましたね。

体育の授業は、うまく紛れながらひたすら単位を取ってました。

なので、解剖生理学なども勉強していました。


具体的には言えないですけど、常に考えてはいます。

色々な選択肢は持っておいた方がいいなと思っています。

多分教員をしているうちの95%くらいの人は教員以外考えていないだろうし、後から入ってくる人(社会人を経験したのちに教員になる人)も多いので、教員をずっと続けていく方が多いとは思います。

やっぱり、待遇も福利厚生もいいですし。

ブラックだと言われることもあるけれど、恵まれたところもたくさんあるんですよね。

自分自身は、つながりが色々あるので、フラットに考えていきたいと思っています。


多分私がたくさん喋った方がいいと思うんですけど、ぜひかぐやさんにもお伺いしたいですね。

課題意識を持ったからこの活動をされていると思うんですが、外から見ると性教育の課題点はどのように見えているんですか?

まず包括的性教育という分野は、身体(生殖機能など)について・ジェンダーについて、また人権教育などを軸においた視点で扱っているというところがあります。

その中で、日本における教科の中や扱われているものとして、ジェンダーなどに関することは教員によって扱いが異なると思うんです。

でも、包括的性教育を知らない先生もたくさんいると思っています。

その理由として現場に行く前にジェンダーや踏み込んだ性の知識を学ぶ機会がない、というのが課題として感じています。

あとは、僕自身がもっと早く知りたかったなと思うことがたくさんあるんです。

自分の中で勝手にタブー視していたところもあるのですが、それを感じている人は僕の他にもたくさんいるだろうし、親や先生ともなかなか話せなかったり、友達とネットで集めた情報を共有するしかない子どもたちはたくさんいると思います。

性に関することをタブー視するのではなく、当たり前のように必要なことだから学ぶという意識で学校現場でも伝えられていったらいいのではないか、というのが僕の課題意識です。(かぐや)

おっしゃる通りかなと思います。

包括的性教育というものが、どうしても普通の性教育と人権・ジェンダーってなると、必要性はあるしタブー視しないでできるところはあるかなと思いますね。

でも、やっぱりまだまだ日本全体の認識の弱さはあると思います。

徐々に認識も変わってきているし、むしろ子ども達の方が柔軟なのかなとも思います。

性教育のタブー視はなかなか難しいけど、伝えていかないといけないし、むしろ小学校の段階で教えないといけないなと思っています。

完全な主観なんですけど、教員を続けていると、性教育の言葉はほのめかしている感じはしています。

また、性の言葉の低年齢化を感じることもあって、それはやはり情報の流れもあるのかな、と感じています。

性教育は4年生で保健体育の単元の中で行いますが、結構踏み込んで教えている学校はあっても、それが保護者まで伝わっていないということもあるのかもしれないですし。

教えれば教えるほど、教えて欲しくないと感じる保護者のことも考えないといけなくなるのも現状です。


もっと大きく考えてもいいと思うんですけど、教育ってそもそも生きる力を養う場であると考えると、生きるために学んでいることは全て教育だと思います。

どうしても“教”えて“育”てるという字を書くので、教えるがメインになってしまいがちだし、小学生ですら教えたという事実が必要なところもあります。

ですが、本来こうやって話しているのも教育・学びだし、学びと勉強と教育は本来全て同じはずなんです。

個人的には、勉強はちょっと苦労してやるもの、学びは少し柔軟な感じ、教育は先生がいて子どもたちがいて、という感じなんですけど、やっぱり人生をより幸せに過ごす人を増やすのが教育かなと定義すると、教育というものは教えて育むものではない気がします。

大切なのは、本人の強みをしっかり出させてあげること、将来に向けて頑張るのではなくて、今の幸せに自分で気づけるような力をつけることかなと思います。

そうなると、教える授業の教え方って読むことと書くことと計算はできたほうが、自分の幸せには確実に繋がると思いますが、それ以外のものについては教えずに興味のあるものをひたすらやればいいかなとも思ったりします。

0点と100点があるとどうしても0点に目が行きがちだけれども、100点があるのであればそちらを極めれば、どんどんそれ以外も伸びていくと思います。

人と比べずに幸せになれる力がつけばいいなと思いながら日々授業をしています。


まず、この時期に教員を目指す時点ですごいと思います。

私の頃は、今よりもマイナスな情報が出ていたわけではないので、“ブラックだ”“大変だ”と言われている中で教員を目指しているというだけで、まず自分を褒めていただければなと思います。

私の主観では教員はいい仕事だと思っています。

いろんなマイナスな情報はあるし、それを無視する必要はないけれど、自分で現場を見てみたり信頼できる大人に話を聞いたりして、今の気持ちを大切にして、ぜひ現場でお会いできたらなと思っています。



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