じーちゃんに戦争の話を聞く。
小学生 中~高学年になると、社会や国語の授業で、先の大戦を扱う機会が出てくる。
その度に
「おじいさん、おばあさんの戦争体験を聞くこと」
という宿題が出た。
今、30代半ばのわたしが小学生のころ、
祖父母世代は60~70代。
戦争体験を記憶しており、まだしっかり語れる年代だった。
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小学生4年生くらいとき、
国語の授業で、戦争が題材の教材にあたったときに、最初の「宿題」が出た。
10歳が戦争体験をインタビューし、メモを取るには少々ハードルが高かったのだろう。
戦争体験を祖父が紙に書いてくれることになった。
紙は、裏面が白い折込チラシ。たぶん2枚分くらい。
達筆でもなかったが、下手でもないじーちゃんの書く文字は読みづらかった。
きっと小学生4年生には読めない漢字もあっただろう。母親に解読してもらったと思う。
何を書いてくれたか、ほとんど覚えていない。
ただ、ひとつだけ強烈に覚えている言葉がある。
「ご冥福をお祈りいたします。」
当時のわたしは、この意味が分からなくて(というか、そもそも文字が読めなかったんだと思う)、母に聞いたと思う。
後々になって、この言葉を使うシチュエーションが分かるようになったときに、祖父の戦友に対する弔いの気持ちを知った。
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祖父は日常生活の中では、自分から戦争体験体験を語ることは、もちろんなかった。
酔った勢いで過去の武勇伝を話し出す、みないなこともなかった。
だから、祖父が戦争体験を口にするのは、わたしの宿題のときだけ。
聞き始めると、最初は恥ずかしいのか、もったいぶるような態度を取るが、調子に乗ってくると、次へ次へと経緯を語ってくれるような人だった。
ただ、その時々の感情についてはあまり語らず、出来事を淡々と語ってくれるのが主だった。
だからこそ、つらつらと戦地での出来事が書かれた折込チラシの裏面に、突如現れた「ご冥福をお祈りいたします。」が、ただ言葉の意味が分からなかったということ以上に、10歳のわたしの記憶に深く刻まれたのかもしれない。
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徴兵が理由とは言え、寝食や厳しい訓練をともにし、互いに友情や絆が芽生えた矢先に、失われる戦友の命。
しかも、目の前で。
現代の日本ではほぼあり得ないシチュエーション。
今思えば、もっとその感情を深掘りできればよかったと思いつつ、
いざ当事者を前にすると意を決して聞けないものだ、という悔いが残る経験を後々にも味わう。
これが、10歳で出会った戦争体験 のエピソード。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。