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2024年「マキシマリスト」を取り巻く状況が変わってきた

私は、2010年代からマキシマリストを自称している。のほほんと自分の好きなものを買い、誰に読まれずともここで自分の好きなものを紹介してきた。

しかし、久々に「マキシマリズム」や「マキシマリスト」について調べ直してみたところ、状況が変わりすぎていてアップデートしないわけにはいかなくなったので、急遽この記事を書いている。

古参(?)の私がびっくりした、最近の「マキシマリズム、マキシマリスト」について考察していく。


マキシマリズムとは

↑まず初めに、マキシマリズムとは何ぞや?と言う方はこちらを読んでください。
読むのが面倒くさい人のために要約すると、「最小限のモノで暮らすことを美徳とする」ミニマリストに対して、マキシマリストとは、「好きなモノや大切なモノに囲まれて過ごすことに幸福を感じる人」を指す。

スローガンは、「More is More(多ければ多いほどいい)」、「Less is Bore(少ないのは退屈)」。過剰の美学(aesthetic of excess)とも言われる。

言わずもがな、最初のMore is Moreは、ミニマリストのスローガン「Less is More」へのアンチテーゼ。

こうした美学は、インテリアやファッションにおいては、「違う色や質感をミックスする、重ねること」、「花柄やアニマル柄など派手な柄」、「ユニークで目立つアクセサリー」として表現されてきた。

↓マキシマリストといえばこの方、アイリス・アプフェル先輩。(RIP)

クレジット:Mark Cocksedge

日本の状況

まず、「マキシマリスト」と日本語で検索すると、ヒットする記事数が格段に増えている!マキシマリストを自称する人も増えている!(歓喜)

しかし、歓喜したのもつかの間………マキシマリズムをはき違えている人が多すぎる!

特に一般の方が書いたSNSの記事に多いのが、「私がマキシマリストからミニマリストになったわけ」というタイトルで、内容は「モノがあふれた汚部屋に住んでいた私が、ミニマリストになったわけ」を綴っている、というもの。

↓こちらに書いた通り、モノがあふれた汚部屋に住んでいる人は、マキシマリストには該当しない。

一方、企業やプロの人々が書いたと思われる記事は、ミニマリズムとの対比としてのマキシマリズムに終始していたり、表面的な事をさらっているだけのものが多く、あまり特筆すべきものがない。


しかし、これで一つ明らかになったことがある。それは、

日本で、「マキシマリズム」や「マキシマリスト」という言葉は、まさに現在進行形で、急速に普及しているところだということ。

私がこう断言するのは至極簡単、前述の通り言葉を誤用している人が非常に多いからだ。

業界人のみならず、一般人にもその正しい概念が普及するのには、もうしばらく時間がかかるだろう。そして概念の浸透については以下で書く海外の状況をなぞる形になるので、とりあえず今の海外の状況を追っておけばよい。

ということで、これ以上日本について言及に値することがないので、さっさと海外の状況に移る。ごめんなさい。

海外の状況

"maximalism"や"maximalist"で検索すると、「マキシマリズム」、「マキシマリスト」と検索したのとは全く違う記事が出てくる。

2021年に私がマキシマリズムを考察した時、外せないキーワードは「コロナ禍」だった。コロナ禍で人々が家で過ごす時間が長くなり、インテリアのテイストに変化が出てきたが、「果たして引き続きミニマリズム的なものが好まれるのか、それともマキシマリズム的なものに転じるのか」というのが議論の中心だったからだ。

それが2022年以降、コロナ禍があけて、新しいプレーヤーが入ってきた。新参者ともいえるそのプレーヤーこそ、今のマキシマリズムトレンドの中心であるZ世代だ。もっと言うと、今のマキシマリズムを語るとき、「ミニマリストのミレニアル世代 VS マキシマリストのZ世代」という切り口が非常に多い。同時にこれは、「2010年代 VS 2020年代」という対立でもある。
もちろん、マキシマリズムの台頭は2021年と地続きで、コロナ禍に端を発したものだと言われている。

2007年のリーマンショック以降、世の中のトレンドは10年以上ずっと、Apple製品やユニクロに代表されるような、「ミニマル」、「シンプル」、「機能的」といった、無駄を削ぎ落としたデザインだった。それが2010年代をけん引してきたミレニアル世代の美学だった。

一方、2020年代をけん引していくZ世代の間で今人気なのが、その真逆ともいえるマキシマリズムなのだ。これは、コロナ時代の反動という見方が通説だけれど、私は正直、「ミニマリズムが潮流になって10年以上も経つしそろそろ次行こうよ」的な、単に「流行は繰り返す」の定石に則ってるだけなのではないかと疑っている。

しかし、Z世代のトレンドとしての「マキシマリズム」は、私を含めたミレニアルの世代やそれ以前の「マキシマリズム」と、意味が違ってきているように思う。その違和感の正体について考えてみた。

Z世代とマキシマリズム

まず、基本的にマキシマリズムとZ世代は相性が良い。主な理由としては、Z世代の特徴として以下の2点が挙げられるから。

・個性や自己表現がより重視される世代である
・エコやサステナブルに関心が高い世代である

マキシマリストは、自分が好きだと思うモノや思い入れのあるモノを着たり部屋に配置することで、意識的か無意識的かにかかわらず、「モノを通じて自分がどういう人間であるか」を表現する
これが、個性や自己表現の世代ともいえるZ世代の美学に合致する。

それから、マキシマリズムの大事な要素に、モノを大切にすることがある。他の人とは違う物や一点物を好む傾向にあるため、アンティークやヴィンテージを多く取り入れる傾向にもある。リメイクやアップサイクル、手作りなども好きだ。
これも、環境問題に関心が高いといわれるZ世代の価値観に合っている。わざわざ「エコ・マキシマリスト」と名乗っている人もいるぐらいだ。


では反対に、私が「今までのマキシマリズムと変わってきている」と思う点について説明する。

始まりは、Tik Tok maximalismの台頭である。

Tik Tokマキシマリズム

現在、Tik Tokで「maximalist」と検索すると、このようなインテリアとファッションについての投稿が出てくる。

見た目は、色や柄を重ねたりアクセサリーを多用したり、従来と変わりないように思う。

ここからが本題。

2022年頃からのZ世代のファッショントレンドに、"weird girl aesthetic"というのがある。直訳すると「変な女の子の美的感覚」。こうしたオーバーに着飾った女のたちがTik Tokを始めとするSNSに増え始めたのだ。

weird girl aestheticのグーグル検索結果

なんか見覚えないだろうか?

実は、このトレンドの起源と言われているのは、90年代原宿ファッションだ。

ニットやファーといったボリュームのあるアイテム、過剰な色使い、もはや悪趣味とすら言えるほど個性を前面に出したファッション。このファッションはまぎれもなくマキシマリズム的ファッションと言えるだろう。

しかし本来、マキシマリズムと原宿ファッションは、別々の場所で発生、進化を遂げてきた概念だ。その2つが、Z世代のweird girl aestheticsによって結び付けられたのだ。

そしてこのweird girl aestheticsの流行がマキシマリズムに与えた変化が、「これまでマキシマリズムの主役にはなり得なかった、ティーンエイジャーや20代前半といった世代が、マキシマリズムの主役に躍り出た」ということだ。

というのも、本来マキシマリストは、長い時間をかけて自分の好きなものや思い出の品をコツコツ作っていき、自分が好きだと思える格好をしたり、空間を作ることに喜びを感じるものだった
そういう古いマキシマリストたち(あえてこう呼ぼう)にとって、10代後半や20代前半の期間というのは、ああでもないこうでもないとたくさん買い物をして、失敗して、そうしてやっと自分の好きなものや買うものの基準を確立する時期だったはずなのだ。つまりZ世代のマキシマリストたちは、その過程が極端に短いか、単純にすっとばしてマキシマリストになっている、ということになる。

それからお金の問題もある。私は決して、マキシマリストになるためにはお金持ちである必要はないと考えている。実際、多くのマキシマリストたちが、セカンドハンドショップでの買い物を楽しみ、安くても純粋に見た目が好きだと思えば取り入れるし、金銭的価値はなくても思い出が詰まっていたり、自分のストーリーを語れるモノならばお気に入りとなる。
しかしその一方で、マキシマリストと「物質的な豊かさ」は切り離せないのもまた事実だ。従来のマキシマリストの持ち物は、チープなものもあるけれど、上質でラグジュアリーなものも外せないアイテムだった。そのため、少なくとも自分でお金を稼げるぐらいの年齢にならないと、取り入れるのが難しかったのだ。たぶん、Z世代には、「チープなものはラグジュアリーなものとミックスすると良い」みたいな、何となくのルールもないのだと思う。

以上のことから、Z世代のマキシマリズムは、私たちミレニアル世代のそれよりも、もっと表面的に、気軽に取り入れられるものになっていると言える。
とあるインフルエンサーは、Z世代のマキシマリストは、本物のヴィンテージではなく、ヴィンテージっぽいデザインの洋服ブランド(Dolls KillやHeaven)を着がちなことを挙げて、「大量生産されたマキシマリスト」になっていると指摘している。本来の意味のマキシマリストは「大量生産」とは相反する存在のはずなので、やはり従来のマキシマリズムの意味が変化してきているのだと思う。

私のような古参は正直、見た目だけをさらったマキシマリズムは、もはや大量消費と同義ではないか、と心配になってくる。

私は、モノが好きで、たくさん集めて愛でていたら、副産物としてそれを通じて自己表現していた、ぐらいに思っていたのだが、Z世代は順番が逆で、「ほかの人とは違った自分らしさを出したい」という欲求が先にあって、それにがっちりはまったのがマキシマリズムだった、みたいな印象を受ける。私にとってマキシマリストは、「なろうと思ってなるもの」ではなかったが、Z世代にとっては、「なろうと思ってなるもの」なのだ。卵が先か、鶏が先かみたいな問題ではあるのだけど…。

正直、"gen Z maximalism"で検索しても、出てくるのはZ世代がなぜマキシマリズムに傾倒しているのか(コロナがうんぬん)や、見た目の特徴ばかり。私が知りたかった、「モノの背景も大切にしているのか」や、「モノに対する愛着や執着について」は、十分なデータが得られなかった。うーん…引き続き、研究を続けていく。

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