じごく湯(7,8,9,10)
七
千手教の補給係たちは、何度も矢を運び上げる。無謀な僧一人が大量の矢を撃たせていた。補給係たちは、こぼれる矢も気にならない。
裏門前。「もし」「何だ。いや何だって良え!」補給係は無視しようとする。
「この模様は何の事だべ?」
相手の手に、矢。矢の刻印について聞きたいらしい。
「はあ!?新入りは、そっつら事も知んねのか!」「印見るだけで、誰の手柄だか、ハッキリするべさ。お前の所では、長老から何を習った?」補給係たちは無知をせせら笑ってから、「そのお印は、弓弼様の物だ。お前ごときは触れられね!」矢をもぎ取る。
新入りはされるままだ。後ろで他にも火を囲み、何かかっ込んでいる。
「……お前たち、持ち場はどこだ?何……何のんきに食っとるだ?やめれ」補給係は怪しく思えてきて、問い詰めた。
新入りたちの食事は、あぶった味噌を塗った、わっぱ飯だ。
「大仕事だから、まず腹ごしらえせねば」先頭の新入りが言った。風が、その風呂敷を引きはがす。中から、まさかり斧!
補給係たちは、石矢をつがえた。独断で歩き回り、草を食べ、弓と紋を手離した。つまりは、「お前らけ、裏切り者は!」
答える代わりに、裏切り者は話す。
「お前たちこそ、長老から教わって来なかったな。山さ住むのは神ばかりで無ぇ。悪い神も居ると。人を食う神など、敬うことは無ぇと。あいつはどっちだ?」
「ほざけぇ!」矢ぶすま!
矢は裏切り者の顔……その前で、滑っていった。大斧が割って入り、盾となっていた。
補給係は気付いた。その斧にも、所有者印が。矢の刻印と同じ。
「……は!」「お父のだ、これは」補給係が我に返ると、二者はすれ違っていた。
ばつん。断たれた糸が飛ぶ。ばつん。ばつん。補給係たちは、予備の弦まで取り上げられた。さらに、後ろ手に縛られる。
裏切り者たちが、門も破りにかかる。
「ヒトの腕ばかりくっ付けて、暴れてくれたモンだな」「間引くべし」
斧や鋸を手にして、裏切り者たちが根元へと向かう。
そこへ、巨大なひな鳥が転げ落ちてきた。顔をこすり、裏切り者たちを出迎えた。
谷底に、集まった小舟。川に入ったひもの、一本が浮いた。鵜が出てきて、船上に鮎を吐き、水中に戻っていく。しつけられた動き。
漁師は魚をかごに投げ込み、ひもの引き具合を見守る。
「ん。こら、まーたお前は。上がれ!」漁師はぐいと引っ張った。
「がわわわ!」繋がれた鵜が逆らいながら、水上に引き上げられる。漁師はなだめて、吐き出させた。喉につっかえていたのは、無茶な量の蟹の肉。「たわけ者!何でも彼でもがっついたら、なんね。ちっとは学んでくれねば。……!?」
恨めしげな武者の顔が、水底から浮上してくる。人面模様を持つ巨大な甲羅が、生者たちをにらみつける。
漁師たちは日用品の小刀を。それから、櫂に持ち直す。ただ、蟹は襲ってこない。よく見ると、中身は焼き殺されていた。乗り手らしき死体も見つけると、漁師たちは逃げじたくをやめた。
うが次々に戻ってきて、ばらばら死体を吐く。人型で、うろこ肌でもある。漁師は祈りながら、右から左へ捨てる。売れるはずもない。
ひとしきり用心して、漁師たちは話す。
「……そう言やあ、一揆衆から音沙汰が無ぇ。何したべか?」「やられちまってて良えども。『木売らねぇど』と、おどしつけられたし」「したら、おらたちだけで木、取らねば、か」
「しち面倒臭くねか?それも」「ご免だな」「んだ。あいつらで取ってくれれば、なんぼ楽か知んね」
崖を向いていた漁師が、空の一点に目を止める。
「……煙……鬼火の色で無ぇ。一揆方かね」
しばらく皆、だんまりを決め込む。
「……やるか」「やるか……」「奴らだって、無茶苦茶言いやがる。『うんと人を連れて来え』、だの。『山のすぐ下で待て』、だの」
「おっかねぇ奴らだ」「おっかね奴らだよ、全く」「どっちが無法者かわかりやしね」「くわっ、くわわ」
ぶつくさと言いながら、一人はうを回収した。
一人が小舟を走らせる。
一人はしゅう、と着火。竹の束を、岸に投げていく。
皆そろって、耳をふさぐ。
ずばばばばば!すさまじい発砲音が、荒れ山を駆け抜けた。
「火縄だーっ!撃たれるど!」と第一声が上がる。
教団は、蜂の巣をつついたような騒ぎ。音は散発的に、ところどころから起こった。「火縄!?」「速え矢の事だ!」「死ぬ!」恐れ、情報を回す教徒たち。
壇の奥の間から、教祖が飛び出した。たちまちに、その無数の目が怒りにゆがむ。虫眼たちの視野を吸い上げて、音の正体を見破ったのだ。
「……静まれおのれらあああ!火縄を配した勢力は、いまだ世に現れぬ!鉄を私する刎公とて、この点は同じ!いわんや賊をや!」
教祖の叫ぶ間にも、ぱーん。発砲音らしいもの。
応じて、ぼーん。ぼ。ぼ。頭上で、固い糸の音。
「二ぁつ!誰ぞ、撃たれた者があったか!?ただ耳やかましいのみであろ!下らぬ木っ端の焼け音だからだ!わかったら静まらぬか!」
「……いでこよ ォ オ オ」山頂にまつられている弓弼が。
弓弼は特に心乱され、敵を探して四方八方に射撃を散らしていた。火矢を撃てば、また炸裂音が返り、なおのこと弓弼は撃つ。教徒たちは当然に、神の考えを重んじた。
教祖が毒づいて、壇へと振り返る。
八
僧は人々の間を抜けた。僧が集中射撃にあったところ、別の混乱が場を塗り替えていった。一揆衆がうまくやったのだろう。そして、教徒も多くは生者。未知の兵器と聞き、また同士討ちになる至近距離では、迷いを持った。
今。幕をめくる者の背に、僧は杖を打ち下ろす。
その者――教祖は小弓をかつぎ、肩越しに僧を撃った。僧は首でかわす。
教祖がぐるりと直って、僧の一撃を受けた。
「望みの稽古じゃ」僧は告げた。「半死が。やってくれた……!」
杖と弓、せり合い。
「……?貴様は何も命令……。凡夫どもが、どうやって我を出し抜いた?」教祖が心を読んで、なおさらに焦った。
「わからぬだろうな」僧は肉の腕一本で押す。
押し、押して、もつれ込む。
幕を引きずり下ろして、奥の間。土に散乱する、目玉を抜かれた鮭の頭。獣の頭、人の頭すらも。教祖の後ろめたい食事のあと。
そして、山頂から弓弼の根が、室内まで割り込んだもの。
根は、腕の寄せ集めである。根先で指はもつれ合い、複雑怪奇、まるで算木盤のよう。
そこに、儀式の裏方であろうか。伏し目の巫者が、足を繋がれたまま慌てている。
「きょ……、教祖様だすべか?その音は一体、何の合図……ヒッ」発射音。
教祖が矢を。僧は割り込み、矢を落とした。矢の腹と縄を、踏んづける。
僧は教祖とにらみ合う。「言いなりだ。お前の神は」
裏方が、部屋から這い出していった。僧は、ひび割れた杖で、教祖に打ち込む。
「そうだ。仏は来ぬ!」教祖が反動のまま下がった。食い残しを蹴り浮かせ、裏から撃ってくる!
片目の僧は射線を切るべく、回り込む。教祖も次の邪魔物を。射撃の時間稼ぎ。僧の知る、後手の戦い方。
教祖はうわ言。「……来ぬ筈よ、居りもせぬに。くく。俗に構うたばかりに、我は死んだ。不覚であった。そして不死が来た」撃つ。
顔に、足に、矢が。染みついた癖。僧は杖を盾にさばく。僧が攻勢に出ると、やはり逃れられた。
突きのぎりぎり圏外で。教祖はまた笑った。子供のように、きんきんと。
「見たであろ?我が山を。不死はたやすく広まるぞ。仏は来ぬ。神は宿らぬ。そうとも知らず、やつらと来たら……!」
「知らぬのは」僧は邪魔物を殴りにいく。
撃たれた。だが、甲の骨ではじけてそれる。邪魔物を押しやって、
「……知らぬのは、俺たちじゃ」僧は杖を振りかぶった。
教祖は撃ち終えている。
「兄貴面をしておれ!」一引きで、三発を!僧を尻目にして、根へと手を伸ばす。
僧には、正中線に矢。僧は真っ向、踏み込む。二発を巻きぞえに、手の甲を打ち据えてやった。
「ぐっ!」手がわなないて戻る。「そぞろなもの」僧は言った。
教祖が遠回りに、根の裏手へ。僧もその間を取る。射撃が。僧は落とし、落としきれない一発をよける。すると、背中に切り下ろされた。
僧は無人のはずの背後を、振り返ってしまう。熊の手。弓弼の腕の一種が、刺激――つまり矢に、反射的に殴り返したのだ。
袈裟で傷は浅い。まずいのは、
「……かかった!」教祖を自由にした事だ!
下からの矢。僧は、二本、三本と巻き取った。しかし、出足をくじかれてしまった。
教祖は根先に。その指の折り目を、意味ありげに組み替える。
数秒あった。
突然に、天井がはじけ飛ぶ。大矢だ。身構えていた僧は、木の足で漕ぐようにして、身をかわす。
同時に、大矢が教祖にも。教祖は自身の矢で、大矢を粉砕していた。
……それきりであった。外からはまた、弓音と炸裂音。教祖の操作より前の、無秩序。
「あやつ……、く!」うろたえる教祖に、「聞けぬとよ」僧は詰めて打った。
読心する教祖には、先にかわされている。僧は次、また次を打ち込む。教祖は最小限に受け流しながら、黒目で根を見続ける。
「なぜ心が失せた。まさか……」
教祖が独り合点に、奥の間を後にする。追って僧も。
かこーん。かこーん。共鳴し合う斧の音。
巨木の木の股。一揆衆の若者は、「物の怪が手こずったか?」と下に聞いた。「いいや。あの鳥は何て事ねぇ」
二人目が答え、へりを越える。
「……教祖の方さ、伸びた根があった。ついでだからぶった切ってやっただ」その姿は、返り血で染まっている。腰にさげた袋には、重みがあった。
「……おじ様を取り返せただな」若者が聞くと、二人目がうなずいた。
ばーん。ばーん。下界からは、竹の弾ける音が続く。
二人目が縄をくくって、
「あの音。昼組の仕込みだべ」と聞く。「んだ。組を分けて正解だった。全部いっぺんにはバレ無かったから」と、若者は答えた。
「南、寝かすどー……!」と声が届く。「ええど!」と若者は、上への返事。肉の大枝が、無人の木肌を落下。縄が張り、地上に渡る。一揆衆たちが運んでいく。
若者たちの近くの枝。枝といっても、木のように太い。その根元に、切れ目がある。
若者が二人目に、大鋸の片側を渡す。相方が、取っ手を握る。二者は枝の下から鋸を当てる。押しては引いて、すすと刃を食い込ませていく。枝が傾き始めた。
「……なんだア いてぇなァアア!」木が吠えた!
若者たちは中断し、分厚い枝を背にした。ずどん。数秒前の居場所に、矢。矢が、枝のすき間を縫って、全角度から集まってくる。たちまちそこは、針山地獄。
「活きのええ木もあったな」二人は武者震いし、矢を払って作業場を空ける。もっと切って、この枝を切り落とした。
時々、巨木の直下へ降る大矢がある。「あれは。下のやつらは?」若者は顔をぬぐって、聞いた。
相方が言うには。
「心配されるあいつらで無ぇから。……だども弓弼は、己の所の教徒も射とる。食う為だ」うんざり顔になった。
「逃げねのか」「逃げね。大喜びで、そなえ物さなるだ」
若者は根の方を見た。「……人を食われねようにも、せねば」
「親方。先代が」と、呼ぶ声。
若者は仲間を置いて、上へ。即席のはしご――枝に棒を縛った――、それを登る。
一揆衆が道を教えてくる。若者はすれ違いに、礼を言う。
枝にされた腕に近づくとわかる。一つ一つ、継ぎ目があることが。若者の腹が煮えてくる。
枝の一番上に、古傷ある腕。熊と渡り合った証拠の。
「お父……!」若者は口走った。一方でこらえ、大斧を立てた。刃に矢が打ち鳴らす。腕は盛り上がり、弓を若者に向けた。
雑味がない。自動的な矢。若者は対処して、にじり寄る。もう、届く。力を斧に。
一帯が何かの影に入って抜けた。
若者は空に目を奪われる。枝が運ぶのは、大弓だ。「何する……?」
「おちこち おるのかァアア」木が言う。樹上へ行く大弓。その後ろに枝が、大矢が揃っていく。
「……この山を撃つ気だ!皆死ぬ!食い止めてけれ!」叫ぶ若者自身が、樹上へ急ぐ。
「おおーっ!」一揆衆の雄叫び。大枝が一本落ちる。ふらつく大弓。
別の大枝が、その一揆衆の首根っこを掴みに来ている。「危ねぇど!」若者は大斧で切り、追い払った。
巨木の上では、おびただしい矢が飛び交う。若者は命綱を長めに取る。大弓に飛び移った。
半球状にめくれ上がった大弓、縄ほどもある弦を、伝っていく。その極点へと。「ふんっ!」若者は全力の斧を振り下ろす。
ぎん、と固い。人外の力で縒り上げられた大弦は、斧を通さない。
「どこへやったかァ おかしやなァアア」
大量の枝がざわめき、若者の事をさらおうとする。牛裂きのような目にあう、その前に。若者は弦の上を渡る。
もう一回。
拒絶。この弦も。あと少し、深くてはどうだ。だが、大弓は確実に引かれていき、大矢が裏に突き出した。下からは無言の弓が、若者を付け狙う。
枝に囲まれた。若者の心に、退路がよぎった。両腿を締める。もう一撃だ。
斧を。叩きつける前には、大勢が……一柱の巨木が、掴み止めている。恐れを燃やして、若者は斧を、引っ張る。
斧先が弦に。毛ほども切り込んだ所で、止まる。若者は無我夢中で力む。動かない。どの道、一度止まっては、この太さを断ち切れない。
腕が、四方八方へ固められた。
「おったァ おったァ」巨木が間延びして笑う。
とうとう若者は、見下ろすしかない。ある一揆衆は、火矢を樹上に渡さないように。またある一揆衆は、切り離した枝の重量で、弦を引き戻そうと。弓弼はまさに、彼らを射抜くのだ。
若者の横に、大質量がせり上がってくる。矢羽根だ。大枝が若者の事を包む。いや。若者ごと、矢と弦を握り込んだのだ。発射へと、引かれていく。
枝。枝。枝。枝にさえぎられ、何も見えない。その一本たりとも、本心ではない。
薄赤い闇の中で、
「離せ、本地無し……!」若者は巨木をののしった。
びちり!
天を裂くような音。
直後に、爆風が抜ける。冷酷な、発射の反動。
若者は。どうした事か命があった。大矢もまた、撃たれてはいない。
若者は顔で枝を押し分ける。
大矢が、地上へと降り注いでいく。……それらはまとまりなく、大矢同士でも砕き合う。
大弓は、弦が何本も切れ、震えが走っていた。総出で切りつけた弦が、張りに耐えきれず、飛んだのだ。引きが不十分で、発射できても、狙いをそれたようだ。
若者の拘束が、一度に放心して見えた。若者は斧を取り返す。枝を刈って、握りを脱出。下りる。
「む・う・ウ・ウ・ン……?」
横では巨木が、大弓をためつすがめつ。頭の場所は知れないが、そういった動きだった。
「……はるより なし」不満そうに、大弓が荒れ山へ下りた。
「平気か!」若者は下方へ呼びかけ、
「大方は!」返事をもらった。
仲間の一揆衆たち。枝がかぶさり、飛んだ大弦に打たれたりは、不運であった。しかし、振り落とされるような不用心は、一人も居ない。若者は一安心できた。
「まずは良かっ……」だん、と矢。若者は目を戻す。張りっぱなしにしていた綱が、断裂。直感する。父の腕がやった。
「おや、か…………」仲間の声が空に遠ざかる。
若者は真っ逆さまに、縄もなく、小袋を、中から、干物。熊の胆を振り出した。
(……丸ごとでは、けだものとなる……!)言いつけを唱える。若者は加減してかじる。
ごきりごきりと、骨の音。血ののぼった手先が。黒い毛をまとい、猛々しい熊の手に変化した。
若者は幹に爪を立て、半回転して天地を直す。さらにずり落ちて、ようやく止まった。
遅れてきた斧を、殴って止める。収める。
枝に綱を回す。若者は、今の爪痕を掻き寄せた。垂直に幹を踏みしめて。足場まで、駆け戻っていく。
九
僧は教祖を打つ。教祖が紙束を張る。逃げながらに、遠くの弓弼に叫ぶ!
――「弓弼ぇあああーっ!!それを地に向けるな!気ままに食うな!餌が居なくなるわ!」「しらぬゥ ウ ウ……」
僧は打つ。紙は何枚も散った。教祖はまだ弓弼を呼ぶ。
――「鉄は惜しめ!こやつを殺せ!誰が、餌場を広げてやった!?この我ぞ!奉公せぬか!」「きょうぜぬゥ ウ ウ……」
弓弼は唸るばかりだ。
残り一枚。紙には、僧本人が書いて誓っている。『古い信仰を捨て、千手教に入信する』と。転び証文なのだ。
教祖がいそがしく、僧を振り返る。
「……坊主ともあろうに、証文の重みを忘れたか!?貴様らの名ぞ!世の神仏に見放され、こぞって地獄行……」「お前は異安心よ。次郎冠者。これらに効き目なし!」ぱ。紙を、二つに。
破いた先には、教祖の複眼。血のしたたる杖で殴りつけた。
参道、壇、さらに奥。巨木の弓弼の影の中。そこは涸れかけた火山湖。残り少ない清い湯には、沈む教徒、取りついた虫肉。
生者を療養させるのではない。逆だ。生かさず殺さず、不死の培養に利用されている。
僧は、義手のたがを締め直す。立て札を過ぎる。
「『極楽』とはな」「そうだ。貴様らの口約束とは違う。肉だけがまことだ。弱きも等しく、救ってやった。感謝こそされ……!」教祖はよろめいたかと思うと、矢。
僧ははね上げた。
「救いか。死んだお前をふやすために。生き血を吸われる事が!」
逃げ回る背に、僧は打ち下ろす。教祖の衣が裂け、くしゃくしゃに萎縮した虫の羽がのぞく。不死の中の、不治。
「……ならぬ、ならぬと、貴様らは!」教祖はそのまま反撃。正面に直って、撃ち尽くすほどに撃つ。僧は来た順に払うが、引き離された。
教祖が逆の腰から取る。羽根のない奇妙な矢が、狂った方角へ撃ち上がっていく。
「……そもさん。では、我に何が務まったというのだ!教えを抱いて死ぬのみか!?」
僧は一発を見る。一度は引っかけられた、小細工の正体を。矢――つまりは死んだ竹材から、とんぼの薄翅が芽生える。飛びながらに、移植済みの虫肉が再生。自律して付け狙う、虫矢と変わった。
虫矢たちが宙をくねり飛び、てんでんばらばら、僧へと集まって来る!
「撃って聞く」
僧は走り込んでいる。死角を守る腕に、虫矢が突く。手の甲を撃たれる。
背にも気配。僧は半端な一歩を混ぜた。足の腱をかすった矢。鎖の袈裟に、ただぶち当たった矢。
教祖まで二歩。正面からも一発。矢の変化より速く、杖ではたき落とす。僧は教祖を追い越し、振り返りざまに打つ。
「が」教祖はうめくが、自滅寸前で虫矢を散らす。余力があるか。「次」僧は足首をひねり、追い討ちに。杖を外に、矢を減らす。
教祖は矢を切らして、弓を弓杖にして迎え撃つ。
僧は相手の弓を、杖で絡め取った。しかし教祖の裏から飛び戻る、十数の虫矢。
僧の右腕は、振ると戻らない。左腕は、右腕を助けにやったまま。
教祖が計算ずくで、「打つ手や、いかに!?」弾幕の中へ退避する。いじけた笑みを残して!
僧は下がった握りを。右膝で蹴り返した。
左腕は、杖に絡まった弓を。真横に引き抜く。暴れすぎる腕から杖を、独楽回しの要領でしぼる。
僧は肩を入れて突いた。腕一本なら、虫矢より速い。教祖の複眼に、ぎゅぼ、とねじ込んだ。
「ぎい……っ!」
僧は相手を追って、押し続ける。後続の矢は、操りを撃つことなく、飛び去った。
教祖はぐわんぐわんと揺れ、膝をついた。飛び回る虫矢も、やがて失速。僧は、危ない矢は落とす。
「あらぬ……あらぬ技だ、太郎冠者。義手のみでの突きなど。我らが流派に……、貴様の心にすら」教祖が返り、天を向いた。無数の目から、金属色が垂れる。
「急場しのぎじゃ。技ではない」僧も壊した杖を収め、一つ所に座った。
その時、空に多重の声が響く。
荒れ山の上空。弓弼よりも、さらに高所から。
「「「この外道に弓引きしか」」」吊り下がった数珠首が、全ての口で警告した。うち一つ、般若の顔が、大矢を噛んで持つ。
「……のけ のかねばちんじゅす」山を根城とする弓弼が、はっきりと敵意を投げ返した。
「「「良からん。軍をばまじえん。名乗りあれ」」」と首。
「こは 鎮守府 宇曽利柵 かんを 弩師 なを 白束弓弼」弓弼は。従う誰からも呼ばれない、謎めいた名前で答えた。
そして大弓を、弓取式のように振り回す。
「……未服者 討つ」大弓は、どうん、と東に立てられた。
「「「外道は、頭落刎。『鎮守』と。その音も久しくなりにけり。……とく首を垂れよ」」」
首が名乗りを返し、
「「「……頭落新王が、その代なり!」」」
首なしの自軍を突っ込ませた!
ずむ。ずむ。地響きだけが伝わる。
刎公の軍が攻め寄せ、弓弼が高々と撃った。教団は外敵に抵抗し、一揆衆は巨木を切る。強大な二体が、誰にも止められない。
火山湖跡は静かだった。
僧は、苦しげな教祖の首を浮かせる。下に義手を敷いた。
「……せっぱ。お前に何ができたか、だったな」
教祖の手を取る。山に転がった石を一つ。その手に握らせてから、地面に置く。
「石は積める」「ふ。あははは、は!この期に、何の謎かけを。善行の隠語か?」
「よいから積め」「言うに窮して」教祖が責めたが、振りほどけもしない。僧は二段目も積ませる。
三段。揺れがひどい。手の下の石塔も。
「見とうもない。倒れてしまえ」教祖がまた毒づく。
「揺れなぞ」僧は相手の手を、塔を押さえ付ける。
一時に、揺れが収まった。僧は石を拾って言う。
「お前は寺の不始末じゃ。打たれ弱く、目移りがしてならなかった」「…………すまなかった、ああ」教祖がぼんやりとつぶやく。
「不死に変じようと、さして変わらぬ」「我を許してくれ」
四段。
「今も。矢を真上にやっておき、落ち来るよう仕向けておる」
教祖の黒目が、瞬時にすぼまった。見上げていた天から、僧へ集まる。
僧は、もっと教祖をのぞき込む。
「そんな所であろうよ。それもよい。最後に望むのならば」「……この……!ゆずるな!我が獲らぬのに!獲物がゆずるな!万事がそうだ、貴様は!我を侮り!侮り侮り侮り侮り侮り侮り」教祖がじたばたと。僧はこれを押し固める。
ひゅるるる、と風切り音。僧の、耳と耳との間に来る。
「よい。積め」「阿呆が!ははは!阿呆とは誰ぞや。……死んで、くれるか……」
しばらく。
「……はて」五段目。僧は、ようやく天を見上げる。どうしてか矢は落ちてこない。
教祖は動かなくなった。僧は遺髪を剃り、包み紙に名を。修行の浅い名でなく、不死の身で自称した名でもない、第三の名を書いた。略式の供養であり、調伏の記録でもあった。
それから小弓を手に、立った。
そりを背負った、働きざかりの一揆衆が言う。
「あのな。先刻までは、大声で惑わさねばだったし。今は、木馬を一台でも運んでかねば。用心棒は、他を当たってけろ」「おらだって、お守りされに来てねぇよーだ」
隣には娘。首をすくめ、頭に鍋。
娘が、はたと立ち止まる。一揆衆もつられて、見た。
地蔵像たちの捨て場であった。何体かは服を着せられ、一揆衆に見立てられている。どの像にも、大矢が。喉や胸など、正確無比にえぐられている。そりの一揆衆は、ぞっとした。
娘が、自身の身代わりを立て直す。土を払って、砕けた体を集めた。
「ご面倒かけました。おかげ様で生きておれます」手を合わせている。
そりの一揆衆は、少しあきれた。それから身代わりを起こして、やはり感謝を言った。
「……さて!」娘が威勢よく立つ。
ごちん。頭の鍋に、流れ矢が当たった。
「ひー」娘は下から上まで、しびびと震えた。「大丈夫かね」
裏門は仲間が奪ってある。一揆衆はそりを持ち込んで、柵内へ。弓弼へと、そりの線路が並ぶ。矢の補給路にしていた道を、死者の腕が下ってくる。
仲間が、かんぬきを入れ直す。
「良えか。大人しく待っとれ、よ……?」
娘の見ている方。弓使いと杖使いが殺し合いをしている。
「あれ、坊んさんだべ。ようし」「おい、待て!」
娘は扉の下をすり抜けてしまった。
岩陰に、娘はしゃがむ。遠くの戦闘では、妖術の矢が羽虫のように広がり、僧を襲い始めた。
「一丁、助けねばな。ん!」娘は高く弓を撃つ。一揆衆は驚いて、娘を岩陰へ引っ込める。
娘の矢は弧になって、行く手には……僧が走り込んで来た。「ああ、言わん事じゃ……」
ぱき。僧が払う。他の流れ矢と同じに。二人はほうっとした。
娘はしみじみと腕を組んだ。
「うーん。弓矢はおら、からっきしダメだ」「だべ?あれはおらたちにゃ、立ち入れね。かえって悪りいよ」
「……相手のあれ、とんぼみたいなモンか。んだばよ……」娘は一部聞き流して、何か作っている。
決着は早かった。僧が勝ったらしい。そりの一揆衆は立ち去りかけて、袖を引かれた。
娘の指の先。教祖の頭上を、垂直に上がる虫矢。僧は、教祖のもとで、何やら話し込む。
「勘付けねかった。まずいんでねか」と、娘。「まずい、まずいべな。おーい!上……!」一揆衆は走り、かすれて呼んだ。しかし僧は動かない。
虫矢は羽が取れて、ぐるりと反転。落ちて、速度が乗っていく。僧の頭へと。
「……どいてけろ!」
声を振り向くと。娘が縄を振り回していて、
「ん!」横ぶりに投げ放つ。脇へどいた一揆衆の所を、縄が飛び過ぎた。両端に重石。回転して進み、僧に迫った虫矢を、どんぴしゃで捕まえた。矢もろとも、彼方へすっ飛んで消える。
「お!?」
一揆衆は目撃して、「……今のはお前、どうやっただ?」娘に聞いた。
娘は、ぐっぐ、と、体のばねを確かめる。
「とんぼ取りさ。これにかけては、村一番だから」
十
柵に群がる、首なしの武者。これでもかと矢を突き立てられて。しかし一糸の乱れも出ない。気合いや会話すらも、発さない。
やぐらを守る教徒たちは、恐怖した。不死には異常な生命力が付き物。だがこの相手は、何の起伏も持たない。火矢で燃え崩れながら、歩く者すら居た。
そんな防衛線へ。柵を飛び越していく、丸い影。翼で滑空すると、首なし武者に覆いかぶさる。爪を、武者の腰までかけて、握り潰した。錆刀が折れ、他の武者に刺さる。
「ほぎゃ。ほっ。ほ」ひな鳥の不死である。
「しめた。けんぞく様だ」「ご加護が……!」教徒は湧き立った。
ひな鳥の不死が、武者の間を跳ね渡り、噛みちぎっていく。解体された武者はなお動くが、流石に無害だ。
時々、刀で突き込まれ、ひな鳥の綿毛がこぼれた。その綿毛は、むくむくと膨らみ、「ほぎゃ。ほぎゃ……!」飲んだ肉の分だけ、ひな鳥が増殖していった。
「「「かまし」」」空から数珠首が、言って捨てる。
地上の一点に、武者たち。死んだ獣を積み重ねている。荒れ山が狩り捨て獣を。浮遊する数珠首の何体かが、口をすぼめ、死体の丘に火を吹いた。
「「「つもりてよ。灰童子」」」数珠首が、呪う言葉をかける。
がしゃ、がしゃ。煙の合間から、乾いた音。骨が組み上がり、大きな人骨をなした。額には角が。三階建てのやぐらにも、ひけを取らない。
また一点には、武者たちが土を盛っている。山の裾に爛れ落ちた粘土を、土中に埋めていた。やはり、首たちの吐く火の息が、土の丘をあぶる。
「「「よろいてよ。泥童子」」」首の中の行者たちが言った。
窯にひびが入る。中から、黒い瓦ぶきの指。中空の挂甲が、地面を割って立ち上がってきた。頭には鬼瓦が乗り、にらみを利かす。
ひな鳥の一体が、その場に走り寄っていた。
骨の巨兵がひな鳥に、遅く拳を振るう。ひな鳥は難なく飛びのいて……、裏からの瓦の巨拳で、板挟みにされた。ひな鳥は、綿毛に変わって舞う。
教徒の誰もが、十分な対処ができないまま。肉眼で、または虫眼の口を通して、戦いの悪化を知った。
「う、撃て。撃つだーっ!」誰かが叫んだ。教徒みなが、巨兵の行く手に矢を集めた。矢は瓦の防御ではじかれ、でなければ、骨のただ一本を落とす。落ちた骨は踊り、また巨兵と合わさってしまう。
山頂から援護射撃が降って、瓦の巨兵を押しとどめる。しかしその大矢も、巨拳で砕かれるばかり。
骨の巨兵が忽然と消え、柵の上に出現していた。木杭を掴んで引っこ抜く。
「え、すばしっこ。いつ……?」教徒は愕然とした。
その足元のやぐらに、木杭が丸ごと飛んで来る。やぐらは貫通され、傾いた。次の木杭で上階を吹き飛ばされると、やぐらは陥落した。
無言の武者たちが、一帯を踏みならし、柵の中になだれ込んだ。
やぐらの残骸の上に、虫眼の教徒がうずくまっていた。
「……シナズの神官様。おらたち、どうせば良えですか……」やぐらの生き残 りは、片腕を押さえて聞いた。
虫眼が生き残りの事を押しのけて、「頭使え!ああ、目の奥がズキズキする。こっちは見疲れて、気が立っとるだ!」
生き残りは感じる。虫眼の不死たちは神通力によって連絡を回し、狩りでも腕が良かった。しかし今は複眼を休ませ、後方にひいたまま。戦える者が、武者を食い止めている時に。
虫眼が何かを懐にしまった。怪我の教徒は、見ないふりをした。それからもう一度聞く。
「あのう。もう……逃げてええですべ?持ち場は破られちまったし。腕はこんなで」「ええ訳あるけ?オシャカになるまで戦え。弓握れねぇだば、打ち根でもすれ」虫眼は行かせてくれない。
「んだ事しとったら、死んじまいます……どもな」小声になる。「死ぬんなら、敵前はなんね。まず、弓弼様の所さ上がれ」
二人の前に、綿毛が下りた。血だまりに付くと、綿毛は肉付き、ひな鳥に。ひな鳥は死肉を漁り出す。教団の戦死者であっても、お構いなしに。
「お。具合が良え。お前の腕もおそなえすれや。お役に立つだ」「んな、無体な。……痛で」後ろから蹴り飛ばされた。虫眼は本気だ。
「ほー」
ひな鳥は急速に、見上げるほどの大きさ。生き残りは、くちばしの間に。無数の小さな手を見た気がした。忘れて、目を閉じる。
「……ほー、ほ」横から、別の声。
いつの間にか、女が立っていた。薄衣で顔を明かさないが、立ち振る舞いは目立つ。
「お、ほ、ほ」女は柔らかに笑い続ける。手には、赤い風車。
「ほー?」ひな鳥が首を傾けて、食べに向かう。
「どこのどいつだ?気取りおって……」虫眼が減った目を細める。
女がひな鳥の顔を、衣の下に招き入れた……その瞬間。ひな鳥の巨体が、吸い込まれていった。「ぴっ……」消失!
「ほー、ほー。ほっ。ほ」女は袖を上げて笑う。その身の丈が、みしりと伸び上がる。
「て、敵でねぇかよ……!」教団が撃ってかけた。
肉吸い女の衣が落ちる。顔が顎までしかない。笑い声は、喉から直接出ていた。
女には、もろに矢がかかる。しかしすぐに、肉が矢傷をふさいでしまう。あのひな鳥の重量を吸ったからだ。女は無理押しに近づいて、ただ触れる。後には犠牲者の、骨と皮だけが。
虫眼が狙われる。目を全開に血走らせて、弓を撃っている。全身を抜き取られる前に、虫眼は他の教徒を盾に逃げた。何かを口にして、減った肉を取り戻す。
生き残りは、添え木をした腕で撃つ。撃ちながらに思う。自分たち、命の有限な者が死んでいき。後には不死と不死が戦うのか。死者の体を奪い合って。
「果てしがねぇ」生き残りは言った。胸元に、女の手のひらが乗る。
ずっ、と音。
壇の上。僧は小弓をかかげる。大きく息を吸った。
「……聞けい!教祖殿は、一揆の俺が討ち取った!談判に来られたし!」
防戦する教徒たちが、ちらほらと壇を振り返る。話を人づてに広げていく。
すると、ぞろぞろと教徒たち。八割方が虫眼。虫眼は壇を素通りし、奥の火山湖地帯へ。
「教祖様がたおれたと」「だば飴玉が食える」「たらふく食える」「抜け駆けはいけね」「あれだな?」「ぴかぴかしとる……」
ぼたぼたとよだれを引いて。
そちらに混じった生者を、「行くな」僧は呼び止めた。
「い、行かねものかよ!」教徒はおどす。僧が近づいて、矢を押さえる。
押し問答になって、教徒が言う。
「教祖様は、恩人だ。おかしな噂があるだけだ。せめて死に目に」「であれば、行くな。奴に報いたくば、ここで話を付けてみせよ」僧は強引に、壇へ上がらせた。
僧を含む一揆衆と、千手教。同数ほどが、輪になって座る。
一揆衆が。
「……山が攻められとる。東の刎公から」「何をう!?お前たちが手引きしたんだべ!」教徒が早速食ってかかった。
僧は割って入る。
「あいや。あれは不死からなる軍よ。もしも一揆方が、不死の助力にて千手教をやり込めた……。それでは、かたきからされた事の、繰り返しじゃ」
他の一揆衆たちが、これに同意した。
「後からは何とも言えるべさ!」「信じれるけ、教祖様を殺した奴らの言いぐさを!」と、教徒から反論。
「一揆の者たちは、せぬ」僧は重ねて言った。(――俺とて、一揆に居る内は)内心にとどめる。
一揆衆の若者が、話を拾う。
「そいで一揆はもう、教団を攻めね。山の西で、下山を考えとる。身内はすっかり取り返せた」一揆衆たちの持つ、腕の事である。
「かあ、馬鹿らしい。弓弼様の元にあれば、それだけの安心は無ぇのに」
教徒の言葉に、若者が殺気立つ。
「おらたちが、どんな気で、座っとるか。話した方が良えだか?」「ほおお?言ってみれ。何ほどの事だ」
若者が床を小突く。
「うちのお父は、ここで死んだそうだ。『周りの山を焼かねぇでけれ』と。武器も何にも持たねで、話し合いへ来たものをな。さんざっぱら矢を掛けられたと、聞いとる」「そ、そりゃ、教祖様にも深いお考えが……」
「だと良ぇな。そいつは死んじまった。お前も、正しいと思うだか?」
教徒は黙り込んだ。飛びかかりそうな若者の肩を、別の一揆衆が押さえた。「……わかっとる。もっと実のある話をすべ」
僧は立った。教徒の視線が刺さる。
場を襲う大矢を、僧は小弓で打ちそらした。高級な羽目板が、割れて散らかる。
双方、相手側の裏切りを直感し、武器を取りかけた。僧は無遠慮に、座り直す。
「と。弓弼殿は今、戦に高ぶっておる様子」
「したら?」と、教徒。はね上がった緊張は解けないまま。
「ともに山を下りぬか?人手が欲しいのだ。『信心を捨てよ』……とは言わぬ。束の間、ひそめてくれ」
「……同じ事だべ?いっぺんでも千手様に、背向ければ」教徒は言う。僧たちよりも、左右の仲間を、制するように見て。
僧は言う。
「下りるまででよい。無事に下りたら、何を信じようと。互いの勝手じゃ」
「……」
教徒たちが、難しく見合う。現世にすがる顔つきが、浮かんでは消える。
一人が決心固く、「……おらは残る。何したって、残りたがる者が出る。置いても行かれね」
また一人の教徒が、弓を撫でる。
「おらもだ。千手教だから、この技ばかりで、身を立てられた。山を出たら、ざらに無ぇべ」
「おらは……、死にきれね。……違ぇか。逃げる。おめおめと逃げるだ」教徒が言った。
居残る教徒たちが、そちらを見る。非難の空気はない。
「頼んだ」「頼んだ。去りてえ奴らを」「よしてけれ……」その者は顔を覆った。
相談はまとまり、細かな共有に。逃げる為のそりと丸太材は、西へ。戦う為の矢束が東へ、それぞれ運び出されていく。
僧自身は、足を崩して座ったまま。
「……俺をこちらに残す。人足を借りるゆえ、交換としたい」「……お前は」
教徒は一言あけた。
「お前が、教祖様を。おらたちの事も、背中からブスリとやるのけ」「虫眼様がたが、いつんなっても帰らね。おかげで、お前たちの真意を占って頂けねかった」教徒たちは言った。僧の間合いに入ろうとはしない。
僧は火山湖跡を見る。
「虫眼……。よほどの用なのであろう?話し合いもしておれぬのだ」「用ってのは、一体」
「お前さんらが知る事だろう」「……飴が、どうこうと……」「おい。何教えとる。敵だ」別の教徒が止めた。
「そうだ。居合わせた敵よ」僧は立って、教徒を手伝う。「して。墨を借りられるか……」
だっだっだっだっだ。山の西。去る者の方から、大またの足音。
幕がぶわりとめくれ、
「バカ!」その影は手近の教徒に平手打ちを食らわせた。
「バカ!」驚いている次の教徒に。
「バカ!」矢を取って、考えた教徒に。
べちべちべちべち。
「こーんの、バカ、ドジ、マヌケ、ナス、アンポンタン、トンマ、カイショナ……」僧に来た手が、ためらった。僧はその手首を取る。
その者、娘が、取られた手を引っこ抜く。
「……一等ボロだ。バカはおしまいにすっぺ。みんなして逃げるど!」
「お前さんがやめよ。この者らも、一大の決心を……」平手打ち。掴み。「何が!何が大きいだ?生きてくより、大きな事があるってのけ!?」
娘が体をもぎ離そうと、地団駄する。
後から一揆衆が、娘を追いかけてきた。教徒たちも、内柵を守りにいく。
「お前さんは正しい」僧は娘を離した。
娘の手のひらは、赤かった。遊び半分ではない。
「……生きてきたゆえ、こうなったのだ」
娘は口を開いて、引き結び、ゆでだこのようになった。すぐにまた、
「大体な、坊んさんもな!」「俺の事は、よ」平手。掴む前に、入った。
僧はちくりと痛む。
「知らね、もう!」
娘が一揆衆を振りほどき、自分で走り去っていった。
火山湖のほとり。
瓦の巨兵がひざまずかされ、額をさらしていた。瓦の継ぎ目、関節部などに、矢。残った教徒たちは隊を組み直し、一方面だけは守り抜いた。結果として、巨兵の一体を消耗させた。
巨拳による鉄槌。僧はそれもくぐり抜けた。射撃の末に、巨兵の核が暴き出されている。頭に刻まれた文字を、僧の筆が打ち消す。
巨兵が僧に頭突きを……いや。大質量を支えていた使役術が絶たれた。粘土に戻り、僧へとなだれて落ちる。
僧は前もって知っていて、圧殺寸前に離れた。疲れた手足を、やっとの事で動かす。
一揆衆の下山は最初、遅れていた。かつての川に水運の道を通し、どうにか荒れ山を出たという。こうした事が、やぐらを経由して僧にも聞こえた。
「「「頂戴ぃ~……」」」
荒れ山の頂上。横倒しになった弓弼の上に。
魔城に飛び帰っていく数珠首の口には、衣冠姿の頭骨。さらに、伝来の弓から腐った根が出て、頭骨に絡みついていた。超常の事と思われた。
弓弼の千の弓がこぼれ落ちて、荒れ山を騒がせた。最後の一枝が、太陽を掴もうとして、へたる。
「はぁ、千手様」「千手様」「千手様……」
生き延びた教徒たちが、その姿を拝んだ。
僧は、不死を崇めない。しかし、今は祈るだけの信仰を、曲げさせる事も、しなかった。ただ一揆側として、弓弼の破滅を見届けた。
残る巨体に、不死の軍勢が向かった。敵の食欲の矛先が、今だけは生者ではない。僧は打算的に思う。
「念じたか。……あまり暇はないぞ」祈り終える生者たちを、僧は急がせた。
一人の教徒が。命で殉じようと、なお拝み続ける。僧は無理に肩を貸して、立ち上がらせた。
末尾
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