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とうげ道




 木の頂上に木こり衆が居る。道中で枝々に切り込んでおき、仕上げに一本を落とす。その重みで枝は次々に落ちる。危険で効率的な枝うちであった。
 下では娘が待ち構えて、薪にする枝、肥料にする葉を取り分けた。上へと親しげに話しかける。仕事か、昼飯の相談か。僧は遠目に、それを見かけた。



 回復して戦意もあるが、事情を抱えた者たち。僧は彼らに、模擬試合を組ませた。荒れ山に連れ出して。

 模擬刀を持て余して、負けが込む者。街道で行商人をしていたが、不死に殺されかけ、片足がなまったという。僧は木ぎれを手離させ、長柄の棒を持たせた。
「商いをすれば、棒をかつぐもの。槍は試したか?」「はあ……」その者は槍を慣らした。二つ三つと突き、左右の切り替えすらできた。踏み込みは浅いが、不思議と振り回されていない。

「強みはある。人のおのおの、場の時々に。見極め、死地を脱せよ」僧は言った。行商上がりが、おじぎをして打ち合いに戻った。


 気合十分なのに、出だしで遅れて打たれる者。野良剣法を磨いてきたが、力を込めると古傷に響くという。僧は相手を代わり、打ちかかるふりだけする。
「俺はここまで、後を打たぬ。お前さんの機に打て」「むむう」その者は、一手後で追うように、打ち始める。何度も打って、早まる。僧が振り抜いても、せり合いになった。

「己が手負えど、物事は待たぬ。研ぎ澄まし、起こりを捕まえるのだ」僧は言った。剣士が、おじぎをして戻った。


 手数が多いが、急所を外す者。盗人時代には二刀だったが、今は動くのが牽制の手だけだという。僧は、不自由な利き手を空けさせた。
「かつては両で滅多切りできたろうが、ひとまず諦めよ」「くっ」その者は、慣れない手で打った。一度は物にした動きだから、今度も覚えが早い。義手には、小技だけをさせた。

「義手は望まぬ方へ行く。道具に同じく、使い込み、体の延長にする」僧は言った。盗人上がりがおじぎ、戻った。
 これら三段階の心得は、僧を鍛えた流派のもの。


 僧は自身の問題に立ち返った。教祖への一突きは鋭かった。しかし二度と出せない。
 再現不可能なら、技ではない。(天のいたずらよ)入門者に手伝わせて、僧は方法を探る。



 押し寄せるものは、黒く大きい。波と波で、僧は揉み潰され、押しやられた。体をもやう綱や杭は、ここには無い。沈むと闇の底。浮かぶと風雨が叩きつける。光源はただ、一瞬の稲光。
 やがて知る。ぶらぶらとした何本かの腕。腕は、濁流から塵をすくい取ってきた。口に運ぶと、分解。脈動が体の各部へ。養分を渡し、信号を返す。食欲が満たされた。

 繰り返し繰り返して。手の届くだけの海が、僧の世界となった。
 雷雨が晴れる。僧は僧であった事を忘れた。ここで生をうけた。まばゆい五色の海で……。


 ばしゃん。あぶくの夢は割れて、僧は目覚めた。目の前に入門者。僧の杖先は、額をえぐる寸前にあった。
 僧は杖をどける。入門者が、呼吸を思い出して、崩れ落ちた。僧は支える。
「何が起きた」僧は寝かせながら、他に聞いた。「坊ん様が構えた所。水が薄く…幕っつうだか……張っとったです」

 僧は義手の付け根を見る。傷が開き、血中を走る仙丹が現出している。
「幕はどこへ?」僧に聞かれて入門者が、対戦した者を指差す。「コイツが触れて、割りやがったので」「お返しばかりに、突きです」「それは動転したす」

 僧は密かに脈を取る。仙丹は薬だが、過ぎると毒。幸い、普通の眠りだ。
 考えてみると、体外にはみ出した感覚。僧が肩で強張ると、仙丹はふくらみ、小球となる。小球は僧に、触覚を伝える。これが引き金となったのだろう。

「俺の身は。如何に」無意識の動きを、僧は聞いた。
 聞いた話では。木と肉が垣根を無くし、一つの型をえがいて、結果に行き着いている。さながら、義手も生命のようだし、生身も物体のよう。一連の動作中、二つは入れ替わり、強め合っていた。
 自己観察を終え、僧は試した。苦労はしなかった。刀が来たら、峰を折った。槍が来たら、柄を砕いた。矢が来たら、打ち落とした。仙丹で知り、肉が使い、木に握らせてある、杖を当てた。後手であるが、どんな先手よりも速かった。


「成ったわ。名が要る」僧は考えた。時間が経ち、入門者たちまで唸る。
「なんだ。泡玉遊びみてぇだべ」通りすがりの登山者が言った。濡れた糠袋せっけんを持って。

水圏すいけん。次袖流、水圏と名づけよう」僧は言った。



 女たちが夜なべに集まる寝宿。僧は薬種を借りたくて、門を叩いた。木の実の殻むきをする者がいれば、ろくろを挽いている者もいる。未婚の女同士で連帯するはずが、若年者が少ないため、既婚の女が姉役をしている。

「失敬」僧は屋敷の奥まで来る。
 ある者が刺し子の晴れ着を縫っていた。娘が鏡の前に居て、少し顔をそむける。女たちに手伝われて、何か準備していたらしい。その歯が鉄漿で黒かった。これには僧も引き下がった。
「あの、あのな。してみただけだ」娘が化粧を落とす気配。

「……縁があったか」僧は聞いた。女たちのひそめき。やがて、
「んだ。木挽きの、鹿庭ん所。仲人、頼めるか?坊んさんなら、おらとアイツ……」

「引き受けよう」僧は答えておいて、「決め手があっただろう。何ぞ?」少しいじめた。
「ん~。しょしいはずかしいなあ……」娘は口ごもった。


 白くない顔が、ひょっこりと出てくる。
「……味噌がうまかったから」紅の残る唇を、手で隠した。



 僧は木こり仲間とともに、酒と肴をぶら下げていった。加工役が、嫁の家族に迎えてもらい、婿入りをする。娘の親はもう居ないので、村おさたちが代わりになった。僧は仲人に立ち、婿と嫁を、両家の縁者に取りはからう。
 村おさはどうか。口うるさく言い続けて、最後には許した。皆の前で義親子の盃が交わされ、晴れて結納――婚約となった。花婿と花嫁が、一つの餅を仲良く食べた。
 一同、ささやかな飲食。二人を新居に置いて、僧たちは帰った。幸福な夜だった。




 異常気象が始まった。遠く魔城の上空で、何万という刀が鎖の如くに並ぶ。一本また一本、猛火と重圧で薄片となり、接合されていく。魔城の周囲ではかえって、冷風の渦が巻く。田畑には鉄滓混じりの雨が降り、実りの時を凍らせた。日増しに寒く、夏の盛りの晴天に、雪すらちらつく。

 天気雪の薄明に、村人たちは俵積みの荷車をひく。作物の買い手が近場になく、宿場の商人を頼るしかない。畦道のそこかしこ、不死とおぼしき存在がうごめく。


 領主からの税は、急に重くなったと思うと、ぱったりと絶えた。領内経済は崩れ去った。刀に鉄、酒造りに米、そして死体収集のための、首。付近数国を巻き込んだ消費の元は、刎公ただ一人。
 一帯からは民が逃散し、別の土地へ流れ始めた。村でも、話し合いに明け暮れる。

 牛を潰し、食料に変えるか。否決。災害をやり過ごしても労働力を失い、いつ飼い直せるとも限らない。
 麦の種籾を食べるか。可決。主穀が減る一方だ。来年の麦に期待するには、まず今年を生き延びる。……娘は不満だが、背に腹は代えられない。
 山でところを、田でいなごを取るか。可決。野草や害虫は非常食になる。特に山育ちの村人が増えた事で、山の採集は速い。

 村おさを継ぐ新夫婦が、こうした決を採った。

 では、いよいよ村を捨て、他国へ落ち延びるべきか。否決だ。建て直しかけた生活は、重い。今はまだ。

 


 蹴立てるような蹄。峠を越えて、戦車が来た。首のない黒馬が、首のない武者どもをひく。そそり立つものは、武器と旗。鎌型車上武器、の間に、『首検め』と筆が書く。
 怪しむ村人たちの前で、戦車の一人が降り立った。この者は……、首なしとまでは言えない。ただ、顔のななめ半分が切り落とされているだけだ。

「新京ソーマより。関白大臣、なのめの非々人ひびとにおざる」大臣はわざわざ巻物を広げ、言い渡す。
「きみはご乱心あそばした。こちたち臣下は、きみの真の御首級を突き止め、返上し奉らんとするなり。その方ら、知らば何にても申せ」

 村から村おさが進み出た。身を低く。
「へえ。存じませぬ。一切」言い切った。


 大臣はつまらなげに、真横に歩いた。
「きみは道々に首を延べ、探しおりたり。我らの検分を合わすれば、残す所は……」大臣は生死不明の顔を、村おさに近づけた。「この村のみよ。申せ?」

 戦車の側面には、生首が吊り下がる。いかなる呪いか、命なき後も苦しみ続けていた。
「存じぬつうたら、存じませぬでな」村おさが、先祖代々の土地を見つめて答えた。雪の上に汗が垂れた。

「左様か」大臣は戦車に乗り込み、馬を出させた。「連れよ」一言あり、武者が鎌で、村おさの服を引っかけた。

「おさ殿!」僧は叫んだ。「あああ……!」引きずられていく村おさ。
「おのれら!」血気にはやった製材役が、真っ先に追いついた。削り斧を抜いて、鎌を叩き折り……だがその首筋を、五、六の鎌が囲んだ!「あ」稲穂のように、引き切られてしまう。

 また鎌が、村おさを引っかける。僧は二、三と打ち結ぶが、打開できない。人数と走りの差。……それだけで。
 車上の大臣が言い残す。「御首級を持て参れ!望月の日までは、この者をも喜んで返そう!さもなくば、ただ滅びが待つ!」村おさの姿は地平に消えた。


 娘や他の村人たちは、仲間の死にぶち当たっていた。
 胴体と離れた首を、血みどろの娘が構う。それは手遅れだった。



 村の墓地の一角。古井戸に徳利を下ろし、「お具合は?」と聞く。
 すると必ず、「暫しねぶらんもっとねたい」と返事がある。闇の奥底には、一つの首桶があるという。
 乙名おさの本家筋に入った加工役は、秘密を聞かされていた。そして今、事態は家だけの問題を超えた。婚礼前の二人は、秘密を寄合に上げた。

 ――どなたの治める時代だったか。東国で挙兵した鬼人、頭落 刎ずら ふんは、在地の猛将によりあえなく討たれた。その首は都の河原で息を吹き返し、元の胴体まで飛び帰ろうとした。御仏の手によってか、地の人の活躍かはとにかく、首は合体を目前に、この盆地に墜落、沈静化した。
 以来、村の長となる者が、人知れず首を守り続けてきた――。僧と寺ですら、大まかに知るだけ。首の行方は、初めて知った。今回、不死となって祟るのは、胴体の方である。

「首は返さぬ。誰にも打ち倒せなくなるぞ」僧は不死を知る者として、ゆずらなかった。「……おさ様は。見殺すだか?」村おさの次に有力者である、杣頭が問う。村おさの家の婿と嫁が、同じく訴えた。やはり肉親を失った杣頭には、見過ごせない。


「そのおさ様が、ああも隠したんだど。大臣も得体が知んね。下手に出たって、すんなりと帰してけるべかね?」老いた運搬役が、厳しく言った。村周辺の工事計画を立て、突貫で進めている人物だ。「だども……」杣頭は彼ほど割り切れない。大多数の村人も。

 押し固めるような雪が降る。稲架寂しく、虫も鳴かない秋である。

「……誰ぞるのなら」僧は折れた。「なら?」娘たちが聞いた。
「精兵であろう。主力は村に、首を守りきる。どちらが負けても、立ちゆかぬ」
 救出に向かえるのは、少人数でも戦える者。娘夫婦の志願は、立場と力不足から、皆に止められた。杣頭なら強いが、やはり居なくては統率にかかわる。代案もなく、寄合は閉じた。
 僧は自身を適役と思う。それも言い出せなかった。



 村人が総出で、戦に備えている。野鍛冶ができる者は、農具を武器に打ち直した。木こり衆たちは、東からの道筋を、土塁や空堀で狭く切れ切れにした。事務方が、全員に備蓄をまとめさせ、立てこもりの限界日数を予測した。
 千手教がその射撃力で、村の支援についた。ただの温情ではない。村が落ちて前線が広がれば、彼らの山がまた侵略される。
 変わって船頭衆には、一度無理を通した事もあって、協力してくれなかった。ただ、物や人を運んでくれるだけでも、助けになる。
 僧たちが治療した病者の中には、村にとどまる者もあった。資材運びや食料調達をさせ、または元千手教の職人が、弓矢作りを教え込んだ。

 こうした村なりの戦いがあった。僧は人々の看病だけをした。眠気は深まるばかりだった。



 製材役のために、僧は葬儀を行った。皆が黒の服を持ち寄った。淡い光をさえぎって、雪が降りしきる。野辺送りの後で、娘が僧を連れ出した。

「いっぺんぐらい来ねかったか?」森に半分埋もれて、建物、あずま屋が立っていた。朽ちた木札が、いくつもいくつも、鎧のように重なる。一枚一枚に、祝言の絵。正装の男女が酒を酌み交わし、人生の春を迎えている。飾りけがなく、丁重な筆運び。
 結婚。僧は、娘の未来を思った。そう遠くはない。

「見事な絵じゃ」僧はひねりもなく言った。娘は吹き出して、「おかしいべ。こんなの、ありやしねのに」


「何を言う」僧は聞き返す。娘が絵札の一枚を手に、「こいつは力こぶのでっけぇのが自慢だ。ハレの日に限って、こだいかしこまっておるべかな?」
 また一枚を手に、「こいつは顔に青タンを持って、引け目にしとった。だんだん慣れてきた矢先の事だ。絵には跡形も無ぇ」
 一枚。「酒飲むとすぐ引っくり返っちまうから、他の仕方で祝ったべな」
 また。「都で身を立てるだと、息巻いとった。家持つんなら、よその土地だべ?」


 僧は知った顔を見つけて、理解した。絵札は、供養の一種。実現しなかった光景だ。娘は言い続ける。
「……こいつも。こいつも、こいつも、こいつも。生きとるこいつらは、こんな顔で無かった」娘は死者たちに笑いかける。影にひたる。

 娘がまた、新しい絵札を結ぶ。婿として、製材役が描かれていた。連れそって、まさに娘がほほえんでいる。僧は見回してみて、恐れた。一枚だけではない。どの絵の中でも、娘が嫁を務めている。
「お花」僧は多くの死を扱ってきた。弔いはあるべきもの。……そのはずだ。「なあ坊んさん。おらが抜けがけしたら、こいつら独りになっちまう。……それに、今度のお婿さんも、こんな顔してふざけだすのでねか。なあ」

 娘が。「おら、ホントに嫁さ行って良えだか?」崩れてしまいそうだった。
 僧は娘の事を。かき寄せた右手は、実際にはぶら下がった。


 娘がうわの空で、行ってしまう。探しに来た加工役の前も通りすぎ、雪の浮かぶ川へ下りた。入水であろうか。
「逃げよ」僧は叫ぶ。娘が、ぴたり。「……お前さんは悪うない」
「だば、どいつだ。そいつらの、お父やお母が悪りいのか」娘が乱暴に聞いたのは。息子に先立たれた、絵の依頼主たちの事である。

 加工役が娘をなだめて、河原に引き戻す。二言三言、交わされた。娘の服をしぼったり、火に当たっているか。
 僧は土手の上で彼らを待った。そして、
「親たちも、絵描きも、悪くはない。そうだの……、弔い上げを知るか?」「知んね」娘も一人の喪主だが、まだ若い。
「三十三回の節目でもって、命日の法要をやめるものじゃ。でなくば、葬儀が済んで鼻緒を切った事は。棺へ旅費を入れた事は?故人の枕元に、包丁を寝せぬか?」「するつえば、する。何が言いてぇ?」娘がやっと起き上がった。

 あずま屋に戻り、僧は絵札の棚を背にした。
「死者をいたわる横で、死者を遠ざけるしきたりがある。お前さんがせなんだ事じゃ。いっそ、落書きをせよ

「んな……バチ当たり」「ならんな。だが、弔いに生者が縛られておる。それとてならん」

 彼らが話し始めたので、僧はそれに任せた。二人は絵札の棚の外を、ひと回り歩いた。ためらいがちに炭を取り、絵札と背景の壁面、二か所に描いていった。


 背景には、へのへのもへ字の人物が立ち並ぶ。かれこれ百人。絵など描かない僧からしても、達者には見えない。しかし思い切りのいい線だった。
 年恰好だけがわかる絵の横に、加工役は『お花』と書いた。正座だが、嫁姿ではない。言わく、婚礼を祝う参列者たちの一人。


「うん」絵札の方では、娘が言った。絵の中の嫁たちは、ところどころ描き足されて、首にほくろ、困り眉や笑くぼ、髪を下げていたり。または、鑿や投網や染め物のたらいなどと、色々に持つ。この村にはない生活の道具を。
 加工役が説明するには、娘の架空の姉たち。娘より早く嫁に出て、今は居ない。

 二人が僧の手に、炭を乗せた。「何じゃ」
「仕上げをけれ。そいつはあやめ。そいつはしおん。そいつはやつで。かたこ。くじな。なす。おふじ。やまぶき。しのぶ。かずら。あざみ。ぼたん。くれない。ほお……」娘はいくらでも花の名を挙げた。
 文目。紫苑。八手。堅子。蒲公英。茄子。お藤。山吹。忍。蔓。薊。牡丹。呉藍。朴。……僧は嫁たちに、忙しく名づけた。やがて不思議に思った。一字書き終えるたびに、まとわりつくもやが晴れる思いがした。自分の左手が、この世になかったものを、あるようにした。


 何かの役に立った。


 娘の口の速さに、僧は追いつくのがやっとだ。皆、互いの筆跡をさんざんに言い合った。娘は日の下にあった。



 独り。僧は笈の奥を開き、六臂の仏像を出した。仏像の手足や目玉が取れ、今や僧の体を繋いでいる。全身、なおかつ数回分の義体だった。僧は装着済みのものを点検し、傷みすぎていたら新しくした。

 医術堂の寝室に出る。頭など臓器がはみ出た者には、患部をふさいで清浄を保ち、体内に引っ込むまで安静としてある。出血の激しい者は圧迫し、患部を胸より上に。寒気にとらわれた者には、温石で暖を取らせている。
 働く数人を、僧は呼んだ。
「いくつか言い置く」僧はひき出しを一つ、開いて見せた。中には種子と指示書き。

「薬だべか」飯炊きが、日にかざして聞いた。「死者につける物だがな。生木をは、弔いに供え。あるいは干して、焚くがよい。不死を寄せぬ」

「皆に広めて良えか?」娘が聞いた。「お頼みする」僧は娘に。村おさ代理に、頭を下げた。


 僧は義体の上から、鎖仕込みの袈裟を着た。その替えはもう無い。義手には杖をはめた。
 今度は杣頭を呼んで、内々に頼んだ。
「もし俺が……やりきれぬ事ならば。ひき出しを抜いて奥、帳面と包みがある。封は解かず、いずこかの寺に届けてくれ」「任されたす」杣頭が胸を叩いた。


 僧は両の足に、かんじきを。頭には、薬草類を吊るした笠をかぶった。
 東への一本道。門扉を開け、村人たちが見送る。道の左右は土塀が囲み、山城となっている。塀の裏には射撃手が潜み、進んできた敵を狙い撃ちにする段取りだ。

 僧は魔城に探りを入れ、状況が許すなら村おさを連れ帰る。これを念押しに確認した。
「正気であれば、門前で鈴を鳴らす。その時は開けてくれ」僧は言った。娘はそっぽを向いて、小石を蹴る。
「……へいちゃらか?くらげは。このまま……絵になっちまわねえな?」「嫁はとらぬと言った。それと……」

 僧は左手を見た。もっとよい字が書けた。利き手でなく、病み上がりの体でも。「死んでおれぬ。頃を見て帰るわ」


 僧はまた一つ気づいた。娘があごで潰すようにしている。「何ぞ噛んでおるか」「ヤニ」娘は答えて、口から出した。松杉のやにである。

「くれ」僧は加工役からもらい、何粒か噛んでみた。

「……渋いわ」「ずっと噛める。飯も無ぇから、腹の足し」
 満腹にはならないが、確かに気がまぎれる。僧は村に来た頃を思い出した。あの時も空腹で、足取りがおかしかった。


「長居をした。さらば」




 赤焼けがしぼむ。捨てられた田を、泥人形のようなものが見て回る。空中には青い陰火がともる。
「田を起こせ~」と泥が呪うと、「おらが田じゃ。これもおらが畑~」と火が主張する。死んでも土地を争う不死たち。


 僧はそこを通り過ぎ、奇怪な車列を目指した。車輪の壊れた牛車が、煙を上げながら進む。鬼が生者たちをぎゅうぎゅう詰めにし、いぶして焼きながら持ち帰っていた。地獄へと!
 僧は一体目の鬼を十回殴り、殺した。次の振り回す鎖に、義手を取らせ、引きずり下ろした。最後の鬼の刺又を、はね上げて持ち手を打った。喉仏を突いた。

 生き残りの生者たちが逃げ、影法師を揺らした。僧は転がる鬼にとどめをくれた。


 僧の行く手。崖の向こうに、大男がそびえ立つ。僧が見上げると、大男は背丈を伸ばす。さらに伸ばす。空をも埋めるだろうか。不死である!

 大男の手のひらが降りかかり、かわす僧の横で、高々と雪を押し散らした。僧は大男を見ないように、丘を駆け上がり、崖から飛んだ。

 相手の背丈は先と同じ。つまり、頭上を取った。大男が僧を見上げる。「見越した!」僧は二回転する勢いで、杖を振り下ろした。大男の顔が、ばらり。

 巨大な姿が、無数の凧になって散る。裏側では、糸の束が絡み合っている。足と手、接地面にだけ肉を持ち、全体は背面から操る虚像であった。僧はまだ落ちながら、頭部の凧を押さえ続けた。「ぎゃむ!」裏で黒子をする不死の、胸倉を踏み抜いた。



 僧は駆けた。とうげに枯れすすきが騒ぐ。月の鏡が夜を統べる。

 つうう、と村へ伸びる光。白熱する火球があった。ただ事ではない。僧は向かった。
 正確にはそれは、とんでもない長さで地を蹴り、走っていた。後方から呪符が貼りついてそれを縛ろうとするが、その暴力的な摩擦熱に焼き捨てられて、効果をなさない。

 僧は横槍を入れた。杖が相手のすね当てを叩いた。手ごたえが浅いが、その者は岩を何段と蹴り抜いて止まった。僧をにらむ。

 その者は具足を着ており、引火した旗を差していた。『足軽大将 一番大先陣 将轍まっしぐら まさてつ』とある。周囲の雪が昇華して、泥土があらわとなる。

 足軽が脇差を抜いた。
「村の手の者か?」「俺は俺ぞ」僧は笠を一時捨てた。

「何にてもよし。首あらばよし!」足軽が言い残し、それよりも速く斬りかかった!


 僧は杖で打ち下ろし、敵の刀を少し下げた。足軽は、火事場の風のように吹き抜けて去る。この速度と小刀である。一撃にはこだわらないか。
 背後で山崩れのような音。僧はやっと振り返る。足軽が岩盤を乱れ蹴り、その中から自分を射出した。

 僧はこれもよく見極めた。杖先をほとんど置く。上段の剣先をぶれさせ、それから敵の鉢金に達した。ぱこおん、と音。遅れて熱気。
「然る物」足軽が首を振ると、直角に曲がった。僧も片目で追う。足軽は飛び戻り、強烈に地面を踏み付けた。雪の湯気が一帯を満たす。目くらましである。

 もやの向こうで、足軽の片足が振りかぶった。振り返りざまの、大かかと落としが襲う!

 僧は予期していて、肩をあぶられながらも、蹴り足をくぐる事ができた。裏を取りつつ、右手を振る。

 残した杖が逆の腰を打ち、敵の認識を乱した。足軽は脇から刺し通すが、僧はそちら側に居ない。

 僧は拳で、敵の膝を殴りつけた。かくんと揺れる。回した義手を押さえ、股下を持ち上げた。引っくり返しながら、二者の体重をまた膝に集める。ぼこん。今度こそ、機動力を奪った。


 そこで僧が驚く番だった。外れた膝下は、空洞だ。中には肉も骨もなく、鎧と鎧に分かれたのだ。
 とにかく僧は、杖を握った。頭を狙うのが早い。
 足軽が、自分から刀を納めた。
「せっかくの醜男きょうてきを。あな惜しや」そう言う足軽に、呪符が追いつき、全身おおっていく。僧は打ち込むが、手ごたえがない。やがて呪符の玉が浮き上がり、東へ運び去った。



 雪景色に提灯がにじみ、軽妙な笛太鼓。壮麗な嫁入り行列に出くわす。
「夜半に大仰。どこへ行く」僧は遠間に聞いた。「ちょいとな……」御輿の高さで、花嫁ははぐらかす。顔が袖に隠れるたび、唐輪髷の遊女から、おたふく顔の小町、衆生を慈しむ菩薩面に。変転するたびに美しく、僧の心に迫る。
 御輿が下がり、金襴緞子の花嫁が、僧にほほえみかける。村に別れて来た、娘の顔ではないか。
「参りましょうや?旦那様。宴が控えて御座います……」抱きすくめられるほどの近さに。

「ふ。はは」僧は笑った。笑うしかなかった。「おかしくて?」「かなわぬ。そう安いおなごなら。これほど俺を……」


 僧は手で窓を作り、行列をのぞき見た。化かし破りである。提灯持ち、楽人、付き人、荷宰領……一人たりとも影がなく、輪郭はおぼろに溶けている。「……不死に聞かす話でなし。通さぬ」僧は杖を振り出した。


 花嫁がしどけなく、体を床に打つ。うそ寒い涙声。「つれなや、つれな。この上は……」尻で伸び、鼻口を突き出す。「心の臓腑を、お呉んなェ……!」尻尾が反り返り、凶悪な狐面!
 参列者たちも、金毛を震わせる。嫁入り道具を投げ出して、血の延びた出刃包丁を取った。僧は突っ込んだ。爪とかち合い、牙を止める。飛びかかり際を叩き返し、背を二つに砕いた。

 積まれた折櫃が蹴倒され、人肉料理がのぞいた。
「儂がシメる」「舌から喉管」「引いこ抜け」「オン・ダキニ」「ギャチ」「皮は貰ろうた」「儂にはカシラを!」「……ギャカニエイ!ソワカ!」鼻を削ぐ太刀筋。あばらに突き入る、蹴り足を奪う、延髄へ落ちる、臓物をえぐり出す太刀筋。剣の林を、僧は終わりなく打ちそらす。行列は途切れない。押し寄せる!


 うるるるる。すすき野原をかき分けて、別の唸り声がした。狐たちが本能で、狩猟者を待ち受けた。僧は構えた。狐の嫁だけは、ものの一拍、かぶりついてきた。爪が、僧の両肩に食い込む。牙が仙丹を割った。僧の杖が、左胸を貫いた。

 心臓の感触は無い。突き通したものは、毛玉状の異物。狐の嫁が身もだえする。
「見し色。御前ごぜんの、あ、だ……ァアア!」
 ぽぽん。獣の総毛が抜け落ちて、きらびやかな着物も木の葉と舞った。後には、生活着に身を包み、血をしぼられた死体が残る。名も知らない村女を、僧は道の脇に安置する。

 僧は戦い、不死を減らしていく。仕留め損なうと、不死は人肉を拾って復帰する。食料部隊なのだ。
 視界の端に、加勢する影。不死たちの連携に割って入り、捨て身の突進を防いでいた。なんとか不死が片付いてきたころ、娘の飼い犬だとわかった。


 乗っ取られた人々を、僧は最低限に弔う。犬が見ていて、しばしば手伝った。
 僧は、ある鏡を差し出す。娘の持ち物であった。「戻れ。主の番に」犬は自身の傷を、僧の手をなめ、一声鳴いた。鏡をくわえ、点々と足跡を残していった。僧はまた、夜道を行った。



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坊主が妖怪に毒を食わせて殺す話

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