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ゆっくり流れる時間とは

 知らない顔を知れた時、また一つその存在に近づくことができたことに嬉しくなる。横須賀生活3週目に突入したが、昨日はめずらしく天気が崩れ、日の当たらない海辺の一日を経験することに。横須賀だって寒くなればどんよりするという当たり前のことを知った。ふだんは海のほうから届く強い日差しを隠すものがなく、気温が下がる11月の暮れでも薄着で汗ばむほどだ。しかし冷えるときは冷える。体の芯から凍えてしまう寒さに海風が拍車をかける。天気が悪い日に吹く横須賀の風は、かなり強い気がする。

 そんな暗い日であっても、楽しい発見をくれるのが横須賀のいい所だ。玄関先から遠くを見やると、傘をさしたまま岸に座り込んでくつろぐ2人の老人の姿が目に入った。小雨が降っているのに、そんなところで何をしているんだろう。寒くなのかな。風邪を引かないかなと心配しつつ、遠目に見える豆粒のような御姿がちょっとかわいかったので、写真を1枚ちょうだいした。

 このように、天気の悪い横須賀のようすは一つの発見だったが、3週間も住めば晴れの日にもこの町の知らない顔を見つけはじめる。久里浜の海に向かって流れる川べりに毎朝やってきては、柵に手をかけて体を伸ばすおじさん。漁師っぽいキャップをかぶって訪ねてくるAmazon配達員のおじさん。勿論おじさんだけでなく、子連れだったり大学生だったり、みんなのびのびと生活している印象。思い思いの恰好で海辺をランニングしているのも、イトーヨーカドーの裏口では毎日ちがった子供が遊んでいるのも、自由さが丁度いいなぁと思う。いま風に言えば「バイブスが良い」ということだろうか。

 景色もさることながら、こうやって人の息遣いや町の雰囲気が精神をほぐしてくれるとき、人は「時間がゆっくり流れている」と感じるのだろう。横須賀の何倍も田舎である離島で育った私は、観光客がその表現を口にするたびに、時間の流れがゆっくりであるとはどういうことなのか分からず、不思議に思っていたのだが、その感覚は、都市から離れてはじめて知ることができるのだろうと最近気づきはじめた。同時に、分からなかった言葉を分かることができたときは何歳になっても嬉しいものだと知る。

 横須賀にもこの世界にも、まだまだ知らないことがたくさんある。そのことを思うと、生きるのが少し楽しくなってくる。こんな前向きなことは久里浜に来るまでの自分なら書きもしなかったと思う。そう考えると、住む場所が人にもたらす作用はあなどれない。

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