「好き」って「私を見て」なのかな
「好き」ってなんだろう
私はたまにこの題材について考えてしまう
とりわけ、恋愛においての「好き」について
脱線すると
恋愛においての好きと
その他に対する好きは
重みが違う
相手の人生も巻き込む
それは考えすぎだろうか
好きと執着
好きと愛
いろいろ考えてしまう
話を戻すが、
この好きって危うい気がする
いつまでも続く感情なのだろうか
そこが信用ならない
信用ならない
というか、傷つきたくないのだ
恋人に会えない、眠れない夜
その1つの答えが見えた気がした
「私を見て」
「見てるよ」
これではないだろうか
自分から発するときは
「私を見て」
相手から好きと言われて返す言葉が
「見てるよ」
唐突だが
私は本の「西の魔女が死んだ(著:梨木香歩)」が好きだ
そこに登場するおばあちゃんのセリフ
「I know」
それに似てるのだろうか。
知ってるよ。
分かってるよ。
理解してるよ。
あなたの味方だよ。
いや、似ててほしいと思ってるのかもしれない
そうであればそれは愛になり得るのだろうか
「好き」≒「私を見て」にとてもしっくりきたのだが
これは幼稚な考えな気がしてならない
同じ考えの人がいるかググっても
検索に引っかからないのでnoteに投稿してみた
同じような考えの人がいたら嬉しい
変に癖のある文だろうなと思う
でもこれが私だ
ここまで読んでくれた貴方
ありがとう。感謝