弓道について考えたら自分の中の弓道について知りたくなった。
週末、通い慣れている弓道場に足繁く通っている。大きな道場なので週末にイベント等と重なり、使えないことも多い道場。今週も来週も使えないな、となるとがっかりしてしまう。
もう少し稽古がしたいな、と常々思ってしまっている。しかし、弓道場というのは一方の壁がそっくり無いことから室温がほぼ外と同じで、夏は暑くて冬は寒い。そんな環境で蒸し暑いなか和服を着て、極寒のなか防寒着をつけずに過ごすわけだ。稽古というよりもはや修行だ。
なぜこんな思いまでして弓を引いているのだろうと毎回思う。そしてすぐに帰りたくなる。
ただ、次の日になるとまた弓が引きたくなっている。結局、弓の魅力に取り憑かれてるのか、自分の一部になってしまっているのは間違いないようだ。単に矢を的に中てるだけのものだったらここまではまってかどうかわからない。それ以上のことも含めて好きになってしまっているんだろうな。
弓道は弓を引いて的に中てて終わりの武道ではない。知人にそう言うと大抵は驚かれる。射場(弓道場内の弓を引く場所)内に入ったところから弓を引いて退場するまでの所作全てを含めて弓道と言えると思う。正しく美しく動き、そして弓を引く。全てが1つに繋がったとき、そこに自分の何かが出来上がる感じ、それが好きでやめられないんだろうな、きっと。
もちろん、的に中る気持ちよさもある。ただ、単に中って気持ち良いというより良い射ができてさらに中って気持ち良い、という感じだ。道場でよく聞くのが
「今の中りは良い離れが出て気持ちよかった」
「中ったけどなんか変な射だった」
結果だけを求める試合ならともかく、通常の稽古ではたまたま中ったような引き方では何か気持ち悪いものが残る。結果だけでなくそこに至る過程も含めて良くないと楽しくないというのは弓道をしている人はわかると思う。ここにも言葉では言い表しにくい楽しさがあって、どうやら私はそこに弓道の魅力を感じているのかもしれない。
そんなふうに自分の中で弓道ってどんな存在なんだろうってふと思った時に、文字に起こしてみたら何かわかるかなと何となく思いました。頭の中のぼやっとした存在をもう少し形にすることで自分の向かう方向が分かるかなとも思い、文章を書き留めることにしました。