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~自分史たち~ 2

今回は中学時代を振り返ります。

憂鬱だった中学校入学

小学校よりもルールが多くて、暗黙の了解が多い中学校になんか行きたい
わけがない。どうせほぼ全員幼馴染のくせに、先輩後輩とかバカバカしい。とか思ってました。部活動も強制参加でほぼ選べないし、創部するリソースもない。行くメリットがほぼない気は今でもします。もちろん中学校に
通ったという実績が得られたのは大きいですが、現在の情緒をもって
判断するならば、行かないと思います。
そんな心境で中学校に入学しました。中学校のすべてが憂鬱だった。
セーラー服は同じ学校を卒業した父方の伯母たちから変わらない、
古臭くて体にフィットしないデザインで、冬は寒くても
スカートをはかなければならなかったのも、
上履きでなくいわゆる便所スリッパで、この履物のまま用を足さなければ
ならなかったことも、髪型に細かい規定があったことも、全員幼馴染の
くせに幅を利かせている先輩も、中学生になった途端イキり始める同級も、
LINEで回ってくるリレー投稿やチェーンメッセージも、選べない部活動も、すべてに関して憂鬱でした。


案の定!楽しくなかった中学一年生

勉強のことはともかく(20数人しかいない学年ではトップクラスの成績
ではあった)、人間関係は面倒で、部活動は始まって自由な時間は取れない
ので、楽しいとは思いませんでした。先生方も特に嫌いじゃなかったし、
しぶしぶ入った部活の先輩も優しかったのに。
このころから、顧問の先生の機嫌が悪い日というのがあると聞いたけど、
自分だけまったくそれに気が付いていないことが判明したり、
特定のクラスメイトになぜか嫌われていたらしく、あからさまに悪意を
向けられていたらしい(人から心配されて発覚)がまったく気が付かず、
うっすら苦手とされていることしか認識されていなかったりと、
人の気持ちに鈍感であることが明らかになります。
でも、自分のことを嫌っている人間は等しく嫌いなので、
そのクラスメイトのことは今でも嫌いです。


コンテンツ、中学二年生

この歳にしてはじめて、西日本から関東に進出。少しだけコンプレックス
だった、遠くに旅行をしたことがないというポイントが解消します。
意外にも鉄道は乗りこなせるもので、都会は過剰に恐れるべきところ
ではないと思いました。
相変わらず人づきあいが煩わしくて、部活の昼休憩で人に声をかけるのが
面倒だという理由でお弁当を一人で食べていたら大人にものすごく
心配されたのを覚えています。
友達におすすめされたコンテンツもいまいち好きになれなくて、
「見た?」とか、そういう話を振られるのが苦しかったのを覚えています。当時おすすめされていたのは、Abemaで配信されている恋愛リアリティ
だったのですが、その友達との付き合い方を考えるくらいにはコンテンツ
として好きではなかったのを思い出します。
おそらく「確実に恋愛をするぞ!」というシチュエーションに
自分なりの違和感があったのだと思います。
そんなわたしが好んでみていたのは、けいおん!など、
あまり恋愛要素のないアニメでした。(どちらかといえば
二次創作ジャンルが百合になるようなコンテンツ)そこから
発展してだんだん百合を見るようになっていったのです。
それから、当時は父親がケーブルテレビを契約していて、
AnimaxでPSYCHO-PASSの再放送を見ていました。
そこで、読書して教養ある大人になるぞ!
という気持ちになったわたしは、文庫本を読み始めます。
とはいえ作中に出てくるような著作は中学生には早いと思ったのか、
どちらかといえば若い世代向けの作品を選びました。
本に関しては、本当に年相応のものを読んできた気がします。
しかし、年相応かどうかだけが本選びの軸ではありませんでした。
前述しているとおり、だんだん百合に傾いていっていたわたしは
「百合要素があるかどうか」をいちばんの軸としていました。
そういった評判を聞きつけ、わたしが選んでいた本は、
『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』とか、『推定少女』
とか、『ありふれた風景画』でした。
FFXIIIにも手を出し、「パルスのファルシのルシがコクーンでパージ」
の意味がだいたいわかるようになります。
FFXII(PS4リメイク版)も続けてプレイして、「オイヨイヨ!」
も学びました。


プライバシー、中学三年生

百合要素のある本を読もう!という機運はどんどん高まっていき、
そこそこ前に出版された百合漫画(ほんとうにごく一部ではあるのですが)
を、最寄りのブックオフで買い漁ったり、その道ではよく知られている
であろう『感情教育』なんかもそこで掘り出しました。
その年は、プライバシーに関して自分が持つ価値観を意識する年でした。
定期テストごとに点数を聞いて回り独自にランキングを作るクラスメイト
がいました。成績が悪いのが恥ずかしいとかはなかったのですが、
急に点数を教えたくなくなってしまいました。
彼女はもともとなんでも無邪気に尋ねてくれるような人だったのですが、
急に点数を教えたくなくなってしまいました。理由はあまりわかりません。
同居している祖父が亡くなったのもこの年だったのですが、
通夜・葬儀にあたって、まったく顔も知らない親戚が家に上がり込んでくるのが不快でした。家がうるさくなるのも、大人数でご飯を食べるのも嫌
でしたが、そもそも一緒に暮らしていないはずの人がうちにいるという
状態が嫌でした。(わたしの幼少期から帰省を繰り返している伯母たち
に関しては平気です。みられることはないと思いますが弁解します)
いまでも、一人暮らしをしているマンションに祖母がやってくるときは
それから、部活動を引退したのをいいことに、できた時間をアニメ視聴に
費やします。「魔法つかいプリキュア」を見ていたのですが、実家のテレビが窓越しに学校の敷地から見えていたようで、「お前プリキュア見てた?」と弟が上級生に訝しまれる事態となりました。でも、意図せず視界に入ってしまっただけかもしれないそれをわざわざ人に聞いてくるような奴が悪い
と思いました。以後カーテンを閉めて見るようにしていたのですが、
ことごとく祖母に開けられています。わたしはまぶしいのが苦手で、
偏頭痛の誘因にもなるということから避けているためカーテンを
閉めていることが少なくないのですが、祖母の手にかかればあらゆる
カーテンが全開です。


コンテンツに支えられた中学時代

あきらかに陰鬱な気持ちがただよっていた(いいこともあった、
ラノベの回し読みとか。当時のクラスメイトに悪いのでここでも
弁解します)中学時代を振り返ると、いまでも大切に思っている
コンテンツに、特に支えられてきた時期だったと思います。
まだまだたくさん思い出せることはあるけど、コンテンツへの感謝
で締めます。ありがとう。

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