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母目線の話【成人した発達障害長男の幼い頃の話は書きたくても書けない】

成人した長男(ADHD・ASD)の成長記録です。

長男のことを書くのも
だんだん飽きてきましたw

長男が幼少期の頃はいろいろあったので
思い出して書きたいのですが
リアルにつらすぎて
脳が書くことを拒否しているような気がします。

また、今現在
発達に課題を抱えているお子さんとそのご家族は
先が見えないなか
日々大変なことが山積みだと思います。

長男や私がその当時体験したことや
課題に直面して八方塞がりになってしまったことを書いて
それを読んだ親御さんが
お子さんの少し先の未来に対して
不安な気持ちになったりしないだろうか?

また、幼少期の頃は
周囲の人々に心無い言葉を投げかけられたり
心が疲弊することもしばしば・・・
(あきらかに言いがかりも、ありますよ!)
(そんな人とは距離を取りましょう!)

幼少期の頃の
こうしたら良かった!などは
ひとそれぞれ違うので
それも安易に書けません。

幼少期のことは
環境による影響が大きく
またその環境を
容易にコントロールできないことが多すぎて
だからこそ悩みも大きかったように思います。

大人に近い年齢になれば
母集団や環境を変えることも、なんとかできます。

今日は、
詳しく書くとつらすぎるので
ざっくりと母目線の話を書きたいと思います。

家族構成

長男【自閉スペクトラム症 ADHD・ASD】
年少になる少し前に診断でわかる。

次男【定型発達】
何度か市の発達検査に呼ばれたが
医師の診断で定型発達と言われる。

夫【ASD傾向強い】※本人に自覚なし
長男の病院の先生によく相談していたが
「親子間ではよくあります」と確定診断があったわけではない。

母【ADHDグレーゾーン】
本やネットで調べると自分そのものであることから
グレーではなく黒だと思っている。
医師の診察はしていない。
周囲にも、自分の特性はオープンにしている。

長男はこんな支援をうけてきた

【母集団について】
1歳半健診で課題がみつかり
1年以上療育(親子教室)に通う。

3歳(年少)から3年間、発達支援枠で保育園に通園。

小学1~3年生、支援学級で国語と数学だけ抽出授業を受ける。
同時期学童保育に3年間通う。

本人の希望で4年生以降は、全てクラスで授業を受ける。
(名前だけ支援学級に在籍)

受験し、私立中学へ進学。
自ら支援を必要としない選択をして
中高6年間同じ環境で学ぶ。

【社会資源の活用】
発達支援の医師は現在で3人目。
1人目の医師で確定診断。
2人目の医師で投薬を開始するが、身体に合わず断念。
3人目の医師で、はじめは環境調整。その後、投薬治療開始。

小学4年生から、発達支援のデイサービスを掛け持ちで開始。
臨床心理士と個別にSST、10名程の小集団でも週2~3回過ごす。

保育園の頃から
障害児相談支援の相談をうける
個別支援計画など18歳の成人までお世話になる。

集団での課題が多かった 保育園・小学校低学年時代

親子教室の頃は
手厚くとても良かった思い出が多いです。

発達支援枠で保育園に入ると
こだわりや感覚過敏で
・舞台に上がって集団で歌を歌えない。
・運動会に参加できない競技がある。
・給食の悩み(半年くらいパンしか食べられず)
・排泄の悩み(トイレを我慢しすぎて朝から夕方までいかずなど)
・更衣の悩み(帽子・水着・長袖が苦手など)
目立ってました。いろいろと。
かなり本人の頑張りだけで、こなしていたと思います。
帰宅すると、大爆発していたことも多かったです。
園長先生やクラス担任で
支援内容も変わることがあり
本人も困惑してつらい時期でした。
保育園の先生方も、
長男君はこれができるようになったから
これも頑張ればできるはずと支援してくださってました。
実のところは、コップの水すれすれまで頑張っているのに
それ以上要求するのは酷すぎると
いつも冷静な発達支援の医師が一度だけ
保育園の対応について意見したいから電話する!と
めちゃくちゃ怒ったことがありました。
保育園の先生方も、長男の伸びしろを信じてのことでしたが
多忙な医師が、親身に話を聞いて、対応してくださったことは
長男の後々の、生活にも良い影響がありました。
救ってくださった医師に今でも本当に感謝しています。
また、集団生活の中で長男を支えてくださった
保育士さんにも感謝してもしきれません。
卒園する頃には、食べられない給食はないほどに成長しました。

小学校低学年では
・かんしゃくを起こす。
・ルールにこだわる。
・勝ち負けにこだわり、負けるとわかると逃げだす。
・はじめての体験に強い拒否感がある。
・自由な空間(特に学童)で、空気の読めない行動。

うーーーん。
いろいろありました。
毎年、学年末には死にたいと言っていました。
(この件は、臨床心理士さんのアドバイスで言わなくなりました。)
(臨床心理士さんマジでスゴイ!)

特に小学校低学年では
こだわりの強い長男に対して
いろんなママさんたちに
「しつけができてない」と白い目で見られていたり
同じ支援学級のママ友さんにも
「母親が間違ってる」「もっと強く怒るべき」など
(同じ支援学級にいるからって、理解してくれてるわけではないんですよ。)
散々言われました。
これは、結構堪えました。
小学2年生から、ママ友づくりギブアップ!
つらくなる集団にいることを(なるべく)辞めました。


小学校4年生以降は
デイサービスなど学校の外に居場所をつくることができました。
それ以外は、本を読んで毎日家に引きこもる日々でした。

中学以降はnoteに書いていることも多いですが
自我が強く出ている時期で
支援をする、しない。
駆け引きをしながら、支援を減らすなど
思春期もあり、難しい時期でした。
ママ友づきあいはほぼなく、気楽な時期でした。

大人になっても課題がなくなったわけではない

人生のステージごとで
課題が常に変化してます。

今後の課題は就労です。
長男は「俺、働くの多分無理」と言ってます。

先の事はわかりません。

就労したとしても
続くのかどうかも
想像してもしかたないことです。

長男の人生なので
自分で選択すれば良いと思います。

また、時代も変化しているので
他者と関わらずに完結する
仕事も増えてきました。

良い時代です。

まとめ

長々と書きました。
最後にひとつ印象的なことを書きます。

3人目の医師に初対面で
いきなり怒られたことがあります。

初診の日、長男と一緒に診察室に入ると
話しはじめてすぐ突然医師より
「お母さん出て行ってください」と
言われました。

成育歴からの
話をしていたのですが
長男の特性を
・集団生活で困難がある
・かんしゃくがある
など、話しはじめたばかりでした。

医師からは
お母さんはこの子の悪口しか言ってない。
この子がどんな思いで生きていると思う?
この子の気持ち考えたことある?
この子が頑張ってるところ認めたことある?

鳩が豆鉄砲くらったように
ぽかんとしてると。

医師は続けて
お母さんは人に迷惑をかけないかばかり言ってる。
それではこの子があまりにもかわいそう。
いまからこの子とふたりで話すから
お母さん外で頭冷やすように!

雷にどーーーーーーーーーーーんと打たれたようで
ショックでした。

長男を他人に合わそう合わそうとばかりしていました。
猛省しました。

この医師との出会いは
本当に大きい出来事でした。
本当に感謝しています。

沢山の人々に助けられ
いまがあります。

幼い頃の出来事は
ほっこりする楽しいことを
思い出したら書きたいと思います。

これからもいろいろあると思いますが
長男の人生を邪魔しないように
そーっと見守りたいと思います。





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fumofumo(ふもふも)
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