発達障害長男 外で過剰適応しすぎて家で爆発。夫を殴って困っていたが割と早く解決した過去の話。
成人した長男(ADHD・ASD)の成長記録です。
きのうお金の話で
長男とバトルしていたのですが
今朝もまだ続いていて
袋に入ったスティックケーキを投げられたので
朝食としておいしくいただきました。
ごちそうさまでした。
家でスティックケーキを投げてくる男も
外では紳士だというのです。
小学校高学年と
中高の先生方からは
個人懇談では
驚くことに
挨拶もできて礼儀正しいと
褒められていました。
自傷他害はほどんどなかった
自傷は小1で宿題に悩んでいたときに
自分の頭をグーで殴るなどしていた記憶があります。
他害は保育園の頃1度だけ
先生から友達を叩いたと聞いて
親御さんに
謝罪した記憶があります。
どちらも大きな怪我をするような感じ
ではなかったように記憶しています。
どちらかと言うと
我慢しすぎて
その場を離れてしまう→探しに行く
そんなタイプのこどもでした。
外では良い子家では爆発
空気を読んで良い子をはじめたのは
みんなと同じことをしたいと思いはじめた
小学校高学4~5年生頃だったと記憶しています。
家では大爆発。
学童が3年生でおわり
外遊びがなくなったことも原因だったかもしれません。
週2~3回は不安定だった記憶があります。
壁に穴・・・とよく聞きますが
そこそこ大きな穴を何個か作っていました。
どちらかと言うと
夫は失言してしまうタイプ。
(自覚はないですがASD濃グレーと思われます)
長男をより良くしたい気持ちがあったのですが
気に障るような言動が引き金となり
(夫は失言とは思っていない。事実を言っていると主張。)
テレビドラマの寺内貫太郎一家の(←知ってる人いますか?www)
ような状態でした。
夫は失言をコントロールできない。
長男は学校ストレスと体と心の急成長で
感情のコントロールが難しい。
毎日が一触即発で
家族の誰もが家にいるのがつらい時期でした。
はじめは言い争い。
その後体当たりをする。
徐々にエスカレートしていき
長男は夫に手を出すようになります。
暴力に免疫がなかった私は
かなり動揺していました。
意外な訪問客にビビる
夫の失言をどうしても辞めさせたかった。
病院の臨床心理士さんに相談していました。
環境調整で小学校3年頃から
ストラテジーシートをつけていましたが
この頃も問題があったことと、前後を記入し
「いま、こんな状態。」と
できるだけ客観的事実に基づいて説明していました。
長男には夫に手を出すことをどうしても辞めさせたかった。
「むかつくことがあったから」と理由があってもダメ。
暴力は絶対にダメ。
障害児相談支援を利用していたので相談員さんを頼っていました。
相談員さんから精神科の訪問看護を勧められます。
「訪問看護???」
医師の意見書があれば
すぐにでも可能とのこと
計画では週2~3回どうですか?とのことでした。
家の中に誰かが来ることは
あまり気がすすまなかったのですが
背に腹は代えられず
この社会資源を利用しようと心に決めました。
契約前の事前訪問に
いつもの相談員さんと一緒に来られたのは
筋骨隆々の男性看護師さんでした。
「長男君こんにちは!」と爽やかに挨拶。
「どんなゲームが好きなの?」と
フレンドリーに接してくださいました。
長男は
なんとか挨拶していましたが
かなり早く心を閉ざしていた様子。
相談員さんと看護師さんらが帰られてから
長男から何故来たかのかと問われて
・母が呼んだこと
・あなたの暴力に困っていること
・心の相談に乗ってくださるスペシャリスト
・医師が必要だと判断したら週2回の契約になる
と、答えました。
「どんな理由があろうとも暴力は絶対に許さない。」
とも、話し合いました。
これが正解など存在しない
長男は、この日を境に
夫に暴力を振るわなくなりました。
結局、訪問看護の契約はしませんでした。
その後
中2の時期は
心と体が急成長する
アンバランスな時期だったで
家だけで荒れていました。
本人もかなり苦しかったと思います。
感情のコントロールが難しい時は
家の壁に穴を増やしてたり
威嚇をするようになりますが
「暴力は絶対に許さない」と
態度を一貫させていました。
何が正解なのかもよくわかりません。
どうすれば良かったのか
未だにわかりません。
まとめ
成人した今も
外では紳士は継続し
家ではごくたまに怒る感じです。
過剰適応していすぎてるんだろうなぁと
今も昔も思います。
感情のコントロールが課題なのですが(それは母もです・・・)
別に発達障害に限ったことではなく
全員に共通する悩みだと思います。
現在は
夫も失言はほぼ無くなり
長男とはあの時バトルしていたと
思えないほど
普通に話をする仲になっています。