発達障害長男が苦労した宿題「なんで覚えてる漢字を何回も書かなあかんの?」
成人した長男(ADHD・ASD)の成長記録です。
就学前から路線図や時刻表をよく見ており
4歳ごろから生活圏内の
地名・駅名の漢字は読むことができていました。
小学校1~3年生ごろに
長男が苦労した宿題について
振り返って書きたいと思います。
小学校低学年【宿題対応】
小学校低学年は支援学級に在籍。
国語と算数の2科目を支援学級の教室で学習し
その他の科目は通常学級の教室で学習していました。
学習に遅れがなかったことから
長男の意向を優先して
全ての宿題が通常学級から出されていました。
なんで覚えてる漢字を何回も書かなあかんの?
小学校1年生で国語の漢字学習がはじまると
新出漢字をノートの下までびっしり書く宿題がはじまりました。
なんで覚えてる漢字を何回も書かなあかんの?
納得するまでペンが進まず
膠着状態が続きました。
「ねぇ なんで?」
何度も問いただすだけでなく
1行書くたびに癇癪をおこし泣いたり
頭をグーで殴るなどの自傷行為もありました。
わずか2ページ程度のノートを
全て書き込むだけで2時間程費やするなど
それだけで体力を消耗している状況でした。
それでも俺はやる。
当時は様々な
独自のルールに縛られて生活していた長男。
宿題を完結させることもルールのひとつでした。
紙に円グラフでタイムスケジュールを書き
どの程度宿題に時間を費やしてるか
また、長男が最悪だと思う状況も
一緒にシュミレーションをして
「宿題をしなくても死なない」など
一緒に状況を整理しました。
「それでも俺はやる。」
泣きながら宿題をする日々が続きました。
支援学級の宿題に変更する
支援学級と担任の先生の配慮により
支援学級と通常学級の宿題のどちらを選択してもよいと
新しいルールが作られました。
途中からのルール変更に
納得がいかない様子でしたが
長男はしぶしぶと言った表情で
漢字の書き取りのみ
支援学級の宿題を自ら選択しました。
支援学級の宿題を選択したことで
負担が半分以下に軽減。
日々のストレスが減ったことにより
徐々に落ち着きを取り戻していきました。
まとめ
視覚優位な長男は
書いて・練習して・反復しながら覚える
概念が理解できなかったようです。
実際初見で
漢字の書き取りは
できるようになっていました。
自由に何をしてもよい空間や時間が
苦手だった長男。
ルール通りに生活することで
不安に打ち勝とうとしていました。
そのルールが自分で自分の首を絞めていると
失敗しなら徐々に理解していきました。