私の妄想の話。(吾輩は猫である)
最近、昔語りが増えてるでしょ? 多分、意識が逆行してるんですよ。何故かと言うと、私は年末に生まれたからです。今は前世のことばかり考えてます。これはトーコさんにしか話したことないですけどね。
前回、ふざけたみたいに「ぶっきゃん」とか、書いたけど、キリスト教や仏教を侮辱するようなつもりは一切ないですよ。多分、一般の方より信心深いと思う。つまり、割と仏教マニアで、割と本気でブッディストなんですよ。
と、いうのも前世についての妄想があるから。トーシツを患っていた頃の妄想とは、また別です。
なんか、自分の深いところで確信があるの。前から私の前世は猫じゃ猫じゃ言ってますけど、それは本気です。子どもの頃は本当に猫みたいに振る舞っていた。人間をやるのが本当に嫌で。多分、人間をやるのは今回が初めてなんだと思います。
んで、私が猫だったときの飼い主は、たぶん寺の坊さんだったんだと、思うんだ。私はオスの三毛猫で、だから生殖能力が無かったと思う。
んで、その坊さんは多分男だと思うけど、尼さんかも知れない。でも、凄く中性的な人だったと思う。それで、そんなに年をとってはいないと思う。その坊さんが若くして死んだのかは分からないが、多分、私が先に死んだんだろう。
私はその坊さんに甘やかされて、すごく太ってたと、思う。んで、養老先生のところのまるみたいな生活をしていたんだと思う。
今の私が人間やるの嫌で嫌で、でもなんとかなってるのは、前世の飼い主のおかげだと思う。
多分、私が死んでからも持っていけるものをくれたんだと思う。例えば、私の中に飼い主の魂の一部みたいなものをもらっていると思う。だから私はいつも性格が悪いけど、私の中の飼い主の魂にチャンネルが合ったとき、世界の見方が変わる。坊主モードになる。ここのエッセイを読んでも、たまに別人になってるとき、あるでしょ?
私、常に寺をウロウロしてます。多分、寺に行くと、飼い主に守られてた頃の気分を思い出すからだと思う。深いところで。
それに前世が未来でも、矛盾しないと、私は考えているので。現代に、私の前世である猫と、現世の私が同時に存在する、ということもあると思う。さっき、私に声をかけた猫は、前世の私かもしれない。と、いうことは、私が寺に行って、ひょっこり出てきた坊さんは私の飼い主かもしれない。多分、私、飼い主に会いたいんだな。会ってもわかんないだろうけど。お互いに。
まあ、普通に考えて、昔の人だと思うけどね。平安後期の人じゃないかな。空海みたいな有名な坊さんではないだろう。普通の真面目な坊さんだと思う。
トーコさんとはそういうスピみたいな話もよくした。トーコさんは「私の前世は男性で、武士で、私の先祖だと思います」と、言っていた。なんか、そんな気がするんです、と打ち明けあった。
私はトーコさんの魂も分けてもらったと思う。今まで、風景なんて見なかったのに、写真を始めたのは、トーコさんのチャンネルが私の中にできたからだ。トーコさんの目を分けてもらったんだ。
入江亜季さんのマンガにそういうのあった。
飼い主に対する気持ちは、現在の家族に対する気持ちとも、また違う。家族も大切だし、死んだ家族のことも思い出すけど、飼い主のことを思い出す感じはまた、なんか違う。なんか、すごく深いところにいる人だ。
トーコさんにしか話せなかった。おかしなこと言ってるとは、思う。「また、病気が悪くなったの?」と、思われかねないな。
うちの犬がいなくなってから、猫がやたら寄ってくるから、なんか思い出す機会が増えた。記憶、とも、また、違う思い出なんだよね。
ところで、私は犬派でも猫派でもない。生物派だ。トーコさんは植物派だった。でも、トーコさんは生き物も好きだったな。カエルとかヘビとかに話しかけてた。私も、虫とかトカゲとかに普通に話しかけるけど。犬、猫に話しかけるのは常態だ。
サルだけは、苦手。人間の一部も含む。
知り合いのサルもいたけどね。ロダンって、勝手に名付けてたけど、彼も死んでしまった。