具体的な目標設定
たしかに、具体的に目標を設定することは難しい。こうなりたい、と漠然とした像を思い浮かべても、なかなか行動へと実行することが困難である。毎日をただ漠然と過ごすことになってしまう。
最近、沢登りを始めた。先月、二度目の沢登りで鈴鹿の渓谷に行ってきたのだけど、その次の日、すごくクリアに視界が良好だった。たとえば、電車の中に乗っている時、周囲の女性達をきれいだな、と思うのだけど、疲れた表情をしているな、とも思った。毎日頑張っているんだな、と。その日は月曜日の朝だった。
彼女の前に男性が立っていて、リュックを背負っていた。そのリュックが、彼女にとっては身体に当たり、痛そう、狭そうだと感じた。彼女自身はそんなに意識していないだろうけど、無意識ではきっとストレスに感じているんだろうな、とみえた。だからその男性に、「すみません。リュックが痛いので、前に持ってもらえませんか?」と声をかけようと思った。その男性はスマートフォンを見ていて、ワイヤレスイヤホンをつけていた。同じような男性は他にもいるのだろうけど、その男性は、意識や注意が周囲に向いている男性ではないだろうな、と感じた。だから、声をかけることはできなかった。
街を歩いている時も心も身体もすっきりとしていて、仕事もしゃきしゃきとすることができた。人のために身体を働かせること。それがとても楽しい。そう感じた。動くほど、楽しい。今日がずっと続くといい。そう感じた。
ところが、寝て、翌日になると、だめだめにリターンしてしまった。いったい何故。この話をその時お付き合いをしていた彼に話すと、面白がってくれて、「その滝の効果が一ヶ月くらい続けばいいのにね」と言ってくれた。
たしかに、二ヶ月前から登り始めて、平日の仕事、土日彼と一緒に過ごすことができる時間は過ごす時間、友達と遊ぶ時間、総合すると一ヶ月に一度、登山に行くのがちょうどいいペースだと最近思うようになった。だから、この山の効果が一ヶ月続くにはどうしたらいいのか、ということを考えながら、日々を過ごしてみる。この感受性は、今まで(物心つくようになってから)で一番いいと思う感受性なのだ。そのために、どんなことをするとよいのか。一生懸命考えながら、一日一日を生きていこう。
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