もう一つ、あったかもしれない別の幸せ

いつか、「目の前のものをすべて受け入れてみたら、人生は豊かなものになると思っているよ」

私にそう言ってくれた人がいた。

その人と話していた頃の私は、誰一人として本音を話すことができず、困っていることや悩んでいることをはなすことはもちろん、弱音を吐くこと、甘えること…そのいずれもすることができなかった。

自分を見せる。それができなかった。

過去に、仲が良い子が他のクラスの子と遊ぶようになった時に、「どうして私と遊ばないの!」と癇癪を起こしたことがあり、そのことがトラウマになっていた。小学校ニ年生くらいの時の話。その記憶がずっと残っていたから、自分の中にはそういう自分もいる、ということを知っていて、それに恐れをなして、自分を見せる、出すことができなかった。

大学に入って、そして卒業後も、付き合っている彼には全てを出していたと思う。でもそれ以外の人達には表すことができなかった。

彼と付き合って、そして別れた後。1年弱ほど経って知り合ったのが、冒頭に書いた彼だ。

彼は、私の人生がいいものになるよう、私が幸せになるように、たくさんの言葉を贈ってくれた。「今、幸せかい?」と聞かれた時に、私が「半分かな」と言ったから。「半分あって、半分足りない」とその時答えた。

彼に届けてもらった言葉はたくさんあって、その時々に私はその言葉達を思い返していた。そのうちの一つ、ずっと残り続けるであろう言葉がこの言葉だ。全て受け入れられるようになったら、人生は豊かなものになる。人は後天的に変わりうるのだ、ということを伝えてくれているような気がする。

私は、彼の幸せ、を実現する人になれなかった。

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