高校中退&家出した話
01
僕はもともと地元の公立高校に通っていた。偏差値はそこそこで進学校というほどでもなく、いわゆる自称進。中1の頃から塾に通って真ん中ぐらいの成績でギリいけるかなぐらいのところだった。その高校に行きたいわけでもなかったけど偏差値が高いし、入れたらみんなからすごいって思われるかな、塾の先生も合格実績が欲しくてその高校を僕に勧めてきたし、親も喜ぶかなぐらいの気持ちでそこを目指した。ほんとは地元の人から離れたくて少し遠い高校に行きたかった。でも、そこは偏差値がさらに高くて、かなり厳しいって塾の先生に言われて諦めた。そんな感じで半分ぐらい流されるようにして高校を決めて受験勉強を始めた。
02
ほぼ毎日学校が終わると塾に行って閉館の時まで勉強してた、塾終わりには公園で友達と集まって先生の愚痴とか好きな子の話とかを日付が変わるぐらいまでしてた時もあって何度か怒られたな。でも楽しかった。そんな感じでそれなりに頑張ってたけど、成績があんまり伸びなくてちょっとずつ病み始めた。もともとADHDで忘れ物とか多くてみんなの前で怒られたりすることが日常で毎日登校するたびに、今日はなんも忘れてないよねってびくびくしてた。3日連続で忘れ物するとかザラで「〇〇また忘れ物かよー」とか言われて揶揄われるのがすごく恥ずかしかった。列に並ばなきゃ行けない時とかちゃんと説明聞いててもみんなと違うところにいたりして怒られることもあった。そんな感じで人よりだいぶ怒られる機会が多くて、僕って人より出来が悪いのかなって強く思い始めるようになった。そのフェーズに入ると頭だけじゃなくて自分の容姿とか性格とか全部自己否定が止まらなくてとにかく自分が嫌いだった。
クラスにいるのが嫌になってきたし、授業を受けてたら突然お腹が痛くなることが増えてきて、欠席とか早退、遅刻、保健室登校を繰り返してた。その頃になると親にも心配されて、精神科にいってみてもらい、エビリファイとかストラテラとか軽い鬱病の人が使う薬とかを処方されたけど逆に悪化して飲むのをやめた。このころ受験はこんな状態になっててモチベとか全然ないけど、かといって他のことする気力もないから勉強は続けてた気がする。
03
受かった時は嬉しかったな。受験が終わって安心してた。定員割れギリギリとかだったから仲良い友達は全員受かってた。でもなんかぼんやりと行きたくないなあって感情がどんどん生まれてきて、仲良い友達とかと話したかったんだけど受かったのに浮かない顔してるのってすごく異質で周りの邪魔になるなって思って、みんながわいわい喜んでる輪に入らず一人で先に帰った。親に合格通知見せたときはなんともなかったんだけどそのあと部屋でなんか涙が溢れてきて、素直に喜べない自分がすごく気持ち悪かった。でもどうしてもその高校で自分が人並みに学校生活を送れる自信とかがなくてまた中学の時みたいになるんじゃないかなって考えだしたら自己嫌悪がやめられなくて悲しかった。
04
高校入学してから最初は普通に過ごせてたけど、二週間目ぐらいとかに合宿があって、どうしても行きたくなくて親に言ってたけど行きなさいってなって、ぎりぎりまでお腹痛いとか言って抵抗してたけど車に乗せられて学校まで送られる車の中で風邪薬を過剰摂取して学校ついた時にはフラフラしてて先生に顔色やばいからやめときましょうかってなった。その時母親が泣いてて、ああ、自分って普通じゃないんだなあって気づいた。いや、知ってたけど改めて理解した。登校日数を減らさないように一人自習しててってなって空き教室で青チャートしてた。合宿サボったのって僕だけみたいだったからほんとに一人きりだった。
05
その時ぐらいにネット始めて学校の愚痴とかうらみつらみを吐き出してた。SNSには自分と同じような人がたくさんいてそこまで異質じゃないんだって思って楽になったな。その時仲良くなった親に虐待されてて、援交してた同い年の女の子と仲良くなって、その子は一人暮らしだったからしんどかったら全部忘れて逃げてきてもいーよって言ってくれた。僕は関西でその子は関東に住んでた。そんな遠出して家出するとか現実味がなくて冗談でいくわーみたいに言ってたけど合宿が終わってクラスがみんな仲良しっていうか僕だけ浮いててまあ行ってないからしょうがないけど色々気遣われるのもしんどかった。それで本気で来る?みたいな感じになってその時もまだ本気で家出する気はなかったけど、東京までの夜行バスが2000円ぐらいで思ったよりしないんだなって買うだけ買ってみるかで便を手配した。その日は平日でやはり学校に馴染めなくてお腹がすごく痛くなって早退した。それから夕方まで寝こんでて急に、どうなってもいいやーって気持ちが湧いてきて母親が部屋で仕事してる間に荷物とか詰め込んで梅田のバスターミナルまで向かった。その時は一人で都会に出るのも初めてでずっと不安だった。夜行バスに乗っててもずっと現実味がなくて、ぼんやりなにか映画を見てる気分だった。そこから向こうに着いて女の子の家に数日泊めてもらい、カラオケとか深夜営業の店で夜を過ごしてた。お金が尽きて、やっとスマホの電源をつけて、親に新幹線を手配してもらって帰った。家に帰ってからもずっとぼんやりしてて帰った実感が湧かなかった。警察も家に来て話し聞かれてる間もずーっと他人事みたいだった。そのまま流れで高校辞めるって話になって三ヶ月ぐらいは学校探しながら家でずっとニートしてた。最後に転学手続きするときに担任に泣かれた時はびっくりした。二週間ぐらいしか付き合いがなかったのにいい先生だなーって思った。
06
やめてからも同中の人たちはしばらく遊んでくれて、いじられたりはしたけど腫れ物扱いとかはされてなくて、たぶん自分のメンタルの問題だったんだなって今は思う。忘れ物が多いとかちょっと変なことするぐらいじゃ頭いい高校だったしいじめられたりはなかったんじゃないかなって思う。ただ、体育の先生が初回で嫌ってなるぐらいクソ教師で毎週小テストで赤点取ったら授業で立たせられるとか言われてついてけなかったなーって思う。今は通信でそれなりに楽しくやってるけど、もう少し前の高校で頑張ってたら違った未来もあったのかなとかずっと考える。改めて振り返ってみたら何がそこまで嫌だったんだろう、笑。書ききれない複雑な思いが当時にはあってすごく悩んでた、おそらく。あんまり鮮明に覚えてないけど。