お母さんへ
あの日から、もう一年がたった。
私の母は昨年の6月、病によってこの世を旅立った。夏の訪れを知らせるかのような、鮮やかな朝焼けを見たあの日だった。
もう一年…?とぼんやり過ごしていた私の元には、一回忌が近づくにつれ、この家には似合わないほど立派な白の花束や熨斗のついたお菓子、フルーツ、便りが続々と届き、おかげでその事実をしっかりと受け止めることになった。毎朝、仏壇の周りに漂うあまい香りや色彩を堪能した6月だった。
一回忌を終えたら手紙を書こうと決めていた。あれよあれよという間に気づけば7月になってしまっていたけれど、思い立ったが吉日、思いを綴ることにする。
ママへ
あの日から1年が経ったね。長くて短い一年間は、私にとって今までにないほど激動の年となりました。ママに報告したいことが山ほどあって、どれから話そうか迷うくらい。
小さい頃から体が弱くて保育園も学校も休みがちだった私を、いつも心配そうに見つめていたママの顔、今でも覚えてるよ。
中学に上がってから私が学校に行けなくなった時、最初はママがとにかく怖かった。ずっと優等生で皆勤賞、成績も一番で、優秀な大学に大きな会社、おまけに幼い頃からの夢を叶えて社会で活躍するママが眩しくて、自分があまりに情けなかったから。どうして私は優等生どころか学校に行くことすらできないんだろう、ママの期待に応えられないんだろう、そう思えば思うほど苦しくなって「頼んでもないのにどうして私を産んだの」と泣き喚いたりもした。あの時は本当にごめんね。
そんなどん底だった中2の頃、ママが桜を見に私を連れ出してくれたことを覚えてる?ママからしたらなんてことない日常だったかもしれないけど、私にとってあの日が大きな転機だったし、あの桜は今でも私の希望になってる。
この世にこんなに美しい景色があるなんて。こんなにボロボロでも、絶望の中でも、美しいと思える心が、流せる涙が私にはあるんだ。
「ママは努力で手に入れられるものは何だって手にして来た。人は皆ママを賢いと言うけれど、そうじゃない。才能がないことと賢くないことはずっと自分で分かってた。だから誰よりも負けず嫌いだったし、人の何十倍も努力することで自分より優秀な人とやっと肩を並べていたの。でも、明日香は違う。貴方は笑ってしまうくらい努力が苦手。思い通りにいくことが一つもないし、いつまで経っても手がかかるし。貴方が生まれる頃に買った育児本も、教材も何一つ役に立たなかった。でも、ママにとって明日香は劣等生でも馬鹿な子でも親不孝な娘でも決してない、ただ希望なの。ママの自慢の娘、宝物よ。ママが持っているものは何一つ持っていないのかもしれないけれど、ママが喉から手が出るほど欲しかった魅力が沢山ある。この社会は貴方にとって地獄なのかもしれない、だけど、この地獄の世の中で貴方に希望を見出す人がきっと沢山いる。だからどうか生きて。ただ生きているだけで、貴方は誰かの明日を灯す光になれる。明日香、あしたのかおり。貴方にぴったりな名前でしょう。」
私はママにはなれない、でもママも私にはなれない。その事実に何より救われた。
芸術の道に進んでからは、作品が完成するたび家で合評会をしてくれたよね。あんなに真面目で仕事一筋なママから「実はママ、小さい頃は画家になるのが夢だったの。まさか娘が芸大に行くことになるなんて。」と打ち明けられた時は、本当に驚いた。熱のこもった声でビシバシと私の作品を評論する姿を見て、きっと仕事場でもこんな感じなんだろうなぁなんて思ってた。かっこよかった。
私が個展を開いたら一番最初に観に行くって言ってくれたね。ママがファン一号だからって。
病状が悪化して夜通し泣き続けた日、一番大きな声で叫んだのが私の個展に行けないかもしれない、その時まで生きてられないかもしれないってことだった。本当に胸が引き裂かれそうだった、ママがいない将来なんて耐えられない死なないでって、後少しで言ってしまいそうだった。
次の日、沢山絵を描いてママの病室に飾ったよね。ママの為だけの特別な展覧会だって泣いて喜んでくれて、嬉しくてたまらなかった。
ママが亡くなってから、芸術が一番の心の拠り所だった。毎日毎日味わったことがないくらいの寂しさと苦しさが止めどなく溢れてきて、何もかもが虚しかった。
ママと暮らした家、ママと行ったお店、カフェ、スーパー、駅、図書館、バラ公園、、、
どこもかしこも思い出しかなくて目が眩んだ。
ママのことを考えるといつでもどこでも耐えられなくなって、子どものように泣き叫んだ。きっとママがいたら、いつもの心配そうな顔で私を覗き込んでいるだろうな、なんて思って。
そんな、どうにもならない時は絵を描いた。ただ思いつくままに線を走らせた。その気力もない時はティッシュをちぎったり、新聞紙を細く丸めたりして造形していた。どれも作品とは言えないものだけど、行為そのものが私の心を癒してくれた。今までどちらかというと鑑賞者を意識して表現をしていたけれど、作り手の心の解放や癒しの為の芸術もあるのだと改めて感じた。
この一年、色々な作品をつくった。
刺繍という、私にぴったりな表現方法にも出会えたし、昔から大好きだった花をモチーフにした作品をシリーズとして作り溜めるようになったし、これからやりたいことも沢山ある。ママの合評会が恋しい、きっと去年よりも高評価が期待できると思うんだけどな。
ママが亡くなる前日、おばあちゃんに「明日香はもう大丈夫、あの子はひとりで生きていけるし、必要な時に必要な人を引き寄せる力があるから。」って言ってくれたんだよね。亡くなってから聞いたけど、本当に嬉しかった。幼い頃から沢山心配をかけてきたせいで、どんどん過保護になって、子離れができないって泣いていたママを見ていたから、そんなママが大丈夫って思ってくれたことが私にとっては特別だった。
私もちゃんと親離れしないとな。
本当はもっと話したいこといっぱいあった。これから先の楽しいことも悲しいことも、全部ママと一緒に味わっていたかった。おばあちゃんになったママと散歩に行ったり、沢山お話したかった。初めて個展を開く時は一番に観にきて欲しかった。早すぎるよ。なんで。
なんて思ってしまうけれど、でも、ちゃんと乗り越えるからね。ママと生きた19年を胸に、これからは自分の為に自分の人生を全うしていこうと思う。だから、長い長い旅を終えた後は、ママが迎えに来てね。
19年間、私と同じ時を生きてくれてありがとう。私と妹のお母さんになってくれて本当にありがとう。
ママが教えてくれた、何気ない日常がかけがえのない宝物だということ。
風邪をひいた時背中に感じる手の温もり、出来たてのお味噌汁が飲める幸せ、真夜中の紅茶パーティー、お風呂あがりに半分こしたソフトクリーム、ふたりでわんわん泣きながら眠った日、毎年立派になっていた夏野菜、山で拾った木の実で彩ったリース、たくましく育ったハナミズキ、整った字で書かれたシワひとつない体操服やエプロン、時系列で揃えられた思いのこもったアルバム、不揃いなサンドイッチ片手に3人でピクニックした公園、無我夢中で応援した阪神タイガース、年に一度の旅行、最期にみせたあたたかくて切ない笑顔
ありがとう。こんなにも大きな幸せに包まれて生きていたこと、私の誇りです。
計り知れない喪失感は言葉にならないほどの愛、不意に胸を締め付ける苦しみはママの温もりの名残として、じっくり味わいながら生きていくね。
ママに出会えて本当によかった。もし来世があるのなら、友だちでも親戚でも近所の猫でもいいから、またママに会いたい。天国にいるなら、どうか叶えてね。
ありったけの愛と感謝を込めて。