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「痴漢です」と言えなかった理由

ー痴漢は自分にしか見えない悪霊みたいだと思った


「痴漢です!」と女性が叫んでいるポスターに違和感を感じる時がある。

わたしは痴漢にあったことがないころ、
「わたしがもし痴漢にあったら絶対大声で痴漢です!!っていうし絶対逃がさないね」
って思っていた。ポスターの通り、ちゃんと「痴漢です!」って叫んでみせるぜ、へっ見てな!っと鼻息を荒くしていたタイプだ。なんなら、今だって言ってやりたいと思っている。

だけど、わたしは今まで痴漢に何度かあったけれど、一度も「痴漢です」とは言えなかった。
勇気がなかったわけじゃない。自信がなかったのだ。誰かに信じてもらえる自信が、なかった。


オバケに例えたらわかりやすいだろうか。決してオバケじゃないんだけど。
いやオバケといったらオバケに失礼な気もするので、迷惑をかけてくるオバケとして悪霊ということにしよう。

満員電車は当たり前だけど、たくさん人が乗っている。わたしには、誰もが普通の人間に見える。他の人から見てもそう。だけど、実はこの中に悪霊が混じっているとしたら。そして悪霊はまるで普通の人のようにわたしの隣に立っていて、わたしにイタズラをしてくる。

「ハッ!隣のこの人は、悪霊だったのか!」

わたしは気づくし、イタズラされて大変困る。だけど、誰が気付こうか。見えているのはわたしだけかもしれないのだ。「ここに悪霊がいます!」なんて言ったら「そんなものはいない」「君の勘違いじゃないのか」と言って誰も信じてくれないかもしれない。

痴漢がいるかもしれないという恐怖。痴漢被害を誰も信じてくれないかもしれないという恐怖。
それはわたしにだけ見える悪いオバケのようだ。


痴漢ってこう、がっつりお尻や胸を揉んできたり、下着の中まで手を忍ばせてきたり、ハッキリと「ウワー痴漢だ!!」って思えるようなものばかりなんだと思っていた。いや、実際そういう恐ろしい痴漢もいるんだろうが、わたしが経験したのは、そういうのと比べると、もうちょっとグレーだった。


………………


わたしは快速電車に乗って大学に通っていた。快速なので隣の駅まで長いと10分かかる。朝の8時台の電車はいつも、人間圧縮機のようにすし詰めだった。わたしはその日スカートをはいていた。まだ髪の毛を伸ばしていた頃だった。化粧をする頻度が増えてきたころで、可愛くなりたいと思っていた。すし詰めの満員電車の中、ドアとドアの真ん中くらいにいた。

まだ眠たい頭でボーッとしていると、ふと、太ももに何か触れるのに気がついた。それは一瞬人の手の感触のように感じた。

(だけど、この満員だ。たまたま手が当たることだってある。それにカバンとかかもしれない)

わたしはあんまり気に留めなかった。しかし数秒後わたしの全身に悪寒が走った。たまたまじゃない。カバンじゃない、これは指だ。
指はたしかに、太ももじゃなくわたしの股間にあたっていた。前に立っているサラリーマンの腕が、両腕とも下がっていて先が見えなかった。

気づいた瞬間わたしは満員電車の中でできる限り身を後ろに引いた。後ろの人に多少の迷惑はかけるかもしれないが身を守るためだと思って、自分の腕組みした腕で前のサラリーマンを遠ざけるように少し押した。手は離れた。

周りは静かだった。電車は次の駅までまだ7分くらいある。誰もが圧縮機にかけられたように押しつぶされているこの車両で、たとえ「痴漢です」と叫んでも、逃げようもないしどうしようもないのではないか。それにーどうやって証明するんだ。この人がわたしを触ったと。

そんなことをもんもんと考えてボーッとしていたらまた太ももに指が触れた感触があって、心の中で後ろの人に謝りながら再び後ろの人を少し押してしまう形で腰を引いた。

そしてその瞬間唖然とした。今度はお尻に感触があった。撫でるとかではなく、ただそっと当てているだけという感じだけど、当たっていた。ただもう後ろに関しては確かめようがなかった。後ろに男性が立っているのは見えたが、これは本当に手なのかもしかしたらカバンか何かなのか、自信がなくなってきた。前も後ろも、それ以上エスカレートすることはなかったが、駅に着くまでの数分間、わたしは嫌な汗を流しながら、どっちに身をやっていいかわからないまま、その手に怯え身を固くしていた。


駅についたら、突き出そうか。でもー。誰かに信じてもらえる自信がなかった。ちょっと当たってただけなんだからもういいじゃないか、そう思おうとしている自分が嫌だった。気持ち悪いと感じて、前にも後ろにも引けないで戦々恐々と電車に揺られたこの10分足らずを、「ちょっと当たってただけなんだから」で済ましたくなんかないとも思った。

だけど、「この人が痴漢です」と突き出して、「冤罪だ証拠はあるのか」と怒鳴られたらー、証拠なんてない、ただ、触られたのを感じたと、説明する自分を想像した。そしてそれでも信じてもらえなくて、諦めるしかなかったらー痴漢にあって、信じてもらえなくて、おまけに学校は遅刻。ポスターにあるように、トントン拍子で展開が進むように思えなかった。

そうこうしているうちに電車が駅に着いた。アッと思った瞬間には前にいたサラリーマンは急いだ様子で一目散に降りて行ってしまった。わたしはどうしていいかわからず、ただただ泣きたい気持ちで電車のドアが閉まるのを見ていた。

言えなかった。

自分が情けなかった、悔しかった。わたしはそれまでスカートを履くことはすくなく、どちらかといえばボーイッシュな格好をしていたし、そうしているときは痴漢にあったことなんてなかったから、それが本当に悔しかった。

お前らみたいなのに女だと思われたくてスカートを履いたんじゃない。髪を伸ばしたんじゃない。化粧をしたんじゃない。可愛くなりたいと思った自分の気持ちが、行動が、仇になったようで悔しかった。

そして、今回わたしが何も言わなかったことで、あの男は味をしめてこれからまた別の誰かに同じことをーもしくはもっとエスカレートしたことをーするかもしれない。そう思うと、本当に許せなかったし、自分のことも嫌になった。

それでもまだ上記の話はわかる。そういう、触ったか触ってないか微妙なラインで触れてきて、逃げてしまうというのはまだ想像がつく。
しかしほとほと、痴漢というのはあの手この手を考えてくる。わたしが一番弱ったのは、股間を直接押し付けてくる痴漢だった。


………………


あの日は、だいぶ夏の日差しが強くなってきたころで、わたしは座席の角についている手すりに掴まって立っていた。友達からもらった気に入りの薄水色のノースリーブシャツをきていて、気分が良かった。しかしそれも電車に乗り込んだそこまで。例のごとく電車が人間圧縮機と化す魔の10分間、わたしの後ろには悪霊が立ちはだかっていた。

最初、わたしはカバンだと思った。後ろにいる人のカバンが、お尻に当たっている。まあ満員だしね、とよく晴れた窓の外を見ていた。しかし、だんだんと、妙な気がしてきた。痴漢に遭遇するようになってから、いささかわたしは敏感になってしまっていたので、たしかに何度か「痴漢か!?」と思ったらただカバンが当たっているだけだった、ということは何度かあった。だから、カバンが当たっているときの特徴は知っていた。

満員電車で、当たっているカバンは、基本人と人で押さえつけられているので、そんなに動かない。しかし、それは違った、わたしのお尻に当たったり離れたりを繰り返し、動いていた。そして、わたしの知っているカバンの感触とも違った。それは、なんとなく生温かかった。嫌な予感がして、ふと後ろを振り返った。真後ろに立っている悪霊がいた。カバンを持っている手はよく見えなかったが、この位置に立っていてわたしのお尻の所にカバンがあるのは不自然だ。

嫌な予感は当たっていた。この悪霊は、股間を直接押し付けてきている。そんな、そんなことってあるのか。いや、電車の揺れで仕方なく当たっているだけかもしれない。でもすぐに違うと気が付いた。電車の揺れのリズムと、お尻にそれがあたるリズムが微妙に違った。電車の揺れに乗じてるように見せかけながら、悪霊は独自のリズムを刻んでいた。それに、体の他の部分がぶつからないで、そこだけが当たるなんて体勢として不自然すぎる。

もはや気づかなければ良かった、カバンだと思い込んでいた方がまだ幸せだった。だけど。これもまたあの問題にぶち当たる。誰が信じてくれるのだ?

「痴漢です!」
「馬鹿野郎、俺はつり革とカバンで両手ともふさがっている」
「股間を押し付けてきたでしょう!」
「満員で、電車は揺れてるんだから当たることだってあるだろう無茶を言うな!」


頭の中のシミュレーションでもう言い返せなくなる。なんだかわたしの方が痴女みたいだ…でも、違う、あんたのそれは絶対故意だと、わたしにはわかるけど、どうやって説明すればいい?
本当にわたしにしか見えない悪霊なのだ。泣き出したい気持ちを抑えて、とにかく、突き出すかどうかはさておきこの場はなんとか避ける手段を考えなくてはと思い、しかし案の定逃げる場所もないので、体の向きを少し変えて、お尻の位置をずらしてみた。ダメだった。少しずらしたくらいでは避けられなかった。

ノースリーブを着てきたのが、いけなかったんだろうか。ふとそんな思いが頭をよぎった。だけど胸元があいているわけでもない、腕がでているだけだ。せっかくお気に入りの服を着てきたのに、そんな風にみられたのかと思うと、また悲しくなった。

結局その悪霊も、次の駅に着いた瞬間逃げるように一目散に降りて行った。わたしはまたどうすることもできずに閉まるドアを眺めていた。


………………


こういう痴漢に遭った時、どうしたらいいのだろう。わたしは気になってその日、対策を練るつもりで「痴漢 股間 押し付け」で調べた。
すると同じような痴漢に遭っている人は結構いるようだが、それを通報したという話はどこにもなかった。また、検索して2番目か3番目くらいに、痴漢常習者たちの集う掲示板みたいなものがでてきて、どうやったら捕まらずに痴漢できるかとか加害者側の体験談がたくさん書いてあって、吐きそうになった。こうして彼らは今日もどうやったら通報されず痴漢できるか議論しているのだ。気が遠くなる。

普通に痴漢について調べても、体験談はあれどどうやって捕まえたかなどの体験談はほとんど無く、それよりも「痴漢冤罪に合わないためには」みたいな記事のほうがよっぽど出てくる。あとはAVや成人向け漫画の記事も多い。

調べてもなんの成果もないどころが、余計に絶望してしまった。

今まで何度かそんなような痴漢にあってそのたびに言えなくて、何度も何度も後悔して、何度も何度も考えた。だけど何度考えてもわからない。あの時どうすれば正解だったのか、思い付かない。
痴漢について調べたら、被害者の声より、痴漢常習者の掲示板と冤罪防止の記事が出てくるこの国で「痴漢を訴えればきっと周りはわたしを信じて協力してくれる!」なんてとても思えなかった。


そして「痴漢です!」と女性が叫ぶ漫画風のポスターを見るたび、非現実的だな、と思ってしまう。それで?そのあとどうするの?どうなるの?この漫画のように証拠がなくてもみんな信じてくれるの?

誰かが、痴漢です、と叫んだら、もちろん助けてあげたい。だけど、現場を目撃していない限り、その人が確かに痴漢をしていたと、証明してあげることはわたしにはできない。冤罪を恐れる男性の気持ちもわかる。多くの男性は悪霊ではない、普通の人間なのだ。冤罪を恐れるのは、当然のことだ。

しかし、このグレーゾーンを実際誰がどう判断するのか、わたしは知らない。

………………


今年の春から山手線では全車両に防犯カメラがつくらしい。今時ほとんどの車両に液晶パネルがついているのになんで今までカメラは付いていなかったのかほとほと不思議だが、「五輪」に向けてだそうだ。理由はどうあれ、東京だけでなく他の地域にも一刻も早く設置されることを願う。

とはいえ、カメラがついたからといって解決する問題でもないだろう。抑止力にはなるかもしれないが、先に述べたような満員状態ではカメラも役に立たない可能性は高い。

参考記事:「昔、痴漢にあったときの話」https://togetter.com/li/1113505
こちらの記事は、実際に痴漢にあった方が、近くにいた男性にその現場を確認してもらい、証言をしてもらう形で痴漢を捕まえることができたという話だ。圧縮機よろしくの満員状態では難しいかもしれないが、近くの人に確認してもらえる状況なら、協力してもらった方がいいと思う。

しかしこの記事の中で、やはり犯人の第一声は「わたしは何もしていない!」「勘違いだ、自意識過剰なんじゃないのか?」という高圧的なものだった。わたしのシミュレーションと本当に変わらないんだな、と思って笑った。この男性のような協力者もいないでこれに立ち向かうのは、相当、ハードルが高い。

世の中には悲しいことに、きっとわたしよりずっとずっと怖い目にあって、それでも言えなくて今も辛い思いをしている方がたくさんいらっしゃるのだと思う。それを思うと、やっぱりもっと、改善点や対策について考えていかなければいけないと思う。痴漢の対策を考えるために検索をかけて、すぐに痴漢常習者の掲示板がでてくるのは、本当に悲しいし、現状唯一の対策である女性専用車両でさえ批判する人がいるという現実はとても暗く感じてしまう。

現時点でわたしは明るい解決策を提示することはできない。ただ、痴漢防止のポスターを見ても、世の中の痴漢のイメージと実際の犯行が、相違があるように思えて、ずっと違和感を感じていたのでまず実情を知ってもらいたかった。

被害者は、痴漢はもちろん怖いが、それを誰にも信じてもらえないかもしれないということも、恐れている。
逆に、痴漢です!という声を聞いたらどう行動すべきなのか、わたしももっとしっかり考えないといけない。

そして痴漢常習者の体験談より、どのようにして痴漢を捕まえることに成功したのか、という体験談が多く語られる世の中になってほしい。

アドバイスになるかわからないけれど、わたしは痴漢を突き出すことはできなかったが、可能な限り避けることはできた。まず満員電車にのって、腕が下がっていて手が見えないひとは、警戒する。そういう人からは距離を取れればとる。手が寄ってきたと思ったら腕であからさまに押し返したり、こいつだと思った人には「気づいてるぞ」と思い切り睨みつける。そうすると手がすっと引いていくときもある。

この間久しぶりに満員電車に乗ったら、意識してなかったのに、体が勝手にそういう警戒の仕方を覚えていて、パッと勝手に自分が警戒の体制に入るのを感じて驚いた。自分のたっている位置と周りの人の体の向きや手の位置をパッパッと確認していた。確認しながら悲しくなった。

痴漢に遭わないために警戒するのは大切なことだけど…警戒しないで安心して乗れるのが一番いいのにね、と、どうしても思わずにいられなかった。


………………


こういった記事を書こうと思ったことは今まで何度かあった。わかりやすいように漫画にして書いたこともある。でも公開しなかった。

「そのくらいで」「被害妄想だ」「言えなかったあなたが悪い」「冤罪じゃないのか」

痴漢にあった時と同じように、わたしは世の中の反応を頭の中でシミュレートして、「わたしがあった被害はたいしたものじゃない、こんなことで騒ぐのは自意識過剰で被害妄想だ。」「それに、言えなかったわたしが悪い」と、封じて考えないようにした。

満員電車とほぼ無縁になったここ1年でようやく人に身近な人たちにネタとして話すことができるようになった。彼女たちは「それは立派な痴漢被害だよ、言っていいんだよ」と言ってくれた。そうか、そうだったのか。わたしにはその自信がなかった。もっとひどい目にあっている人もいる、そう思って、自分の傷はなかったことにしようとしていた。
声をあげても、いいのかもしれない。彼女たちに言われて初めてそう思えた。

「言っていいんだよ、それは立派な犯罪だよ」という優しい声がどうか「冤罪だ」「自意識過剰だ」といった声に掻き消されない世の中であってほしい。そう願って、この記事を公開する。

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諸岡亜侑未
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