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4月4日(日)5ヶ月前のこと

窓を開けていた。
日曜日にふさわしい雨。
二度寝から起きてしばらくの間、ベッドの上で雨の匂いと鳥の声に微睡んでいた。
雨の日の寝起きの空気は、どうしてあんなにも至福で満たされるんだろう。湿気の多い空気とどこからか運ばれてきた土の匂いで、ぬるいお風呂に浸かっているときのような、ぼうっとして緩んでいくような。
ずっとこの時間が続けばいいのになあ、と思いながら重い身体を起こした。


街ゆく人が、傘をぷかぷかと浮かせていた。
車のワイパーが規則的に揺れて音楽みたいだと思った。
今日は心療内科の診察の日だった。
いつも話すのが下手くそだなと思う。
上手く伝わっているのか分からない。
事前に話すことをまとめるのだけれど、口を開くと変な要約をしてしまう。

「お薬を減らすことを目指していきましょうね」と言われた。今日はいつも通りの量をもらって、でも、そう言われるということは、折り返し地点に立っているということなのかもしれない。

今日は救急車で運ばれた日からちょうど5ヶ月目だった。
下宿先で大きな発作が起きて、死にたくないと縋る思いで大学の先生に連絡をした。その日はたまたま先生が学校にいて、電話をしたときはちょうど事務の方と一緒で、その人がすぐに救急車を呼んでくれた。学生のお世話を担当してくれるベテランの方だった。
その日は水曜日で、父の仕事が早くに終わる日だった。片道2時間の道を車で駆けつけてくれた。
病院に初めて行ったときは歩くのもやっとな状態だった。でも、お医者さんも薬剤師さんも口を揃えて「早めに受診できて良かったですね」と言った。長引くと治療が難しくなることがあるらしい。
不幸中の幸いがたくさん重なった。

身体や心がダメになるときは、立ち止まって何かに気づくときなのだと思う。SOS。ブレーキ。
わたしは立ち止まって、何に気づいて、何を得たのか。ずっと抱えてきた「生きづらい」に直接向き合う機会になった。それに向き合う機会は今までもたくさんあって、でも向き合いきれなかった。もう1回機会をやろうということなのか、懲りずに無茶をしやがってという叱咤なのか。パニック障害が治ったとしても、しらばらくは考えて向き合っていきたいことがたくさんある。

今日はPMSの漢方薬も貰った。悩まされていたのでこれで軽くなれば嬉しいなと思う。
帰りにパン屋さんのパンが食べたくて、父に提案をしたら大賛成だった。
小さくてもちもちで上品な味のするパンをいくつか頬張りながら、明日が下宿先に帰る日だということを思い出した。
ぼちぼち荷物をまとめて今日は夜更かししないようにしよう。本も大切に持ち帰って、向こうに着いたらまずは掃除をしてただいまを言おう。

おしまい

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