【不動産契約】商店街との攻防
そこは、集会室なのか広い物置なのか、よく分からない部屋だった。
どうぞ、といわれて通された私と迫田は長机の前に立つと改めて自己紹介をして頭を下げてからパイプ椅子に座った。
夏場ではあるが、クーラーが効いているわけではない。机の上に置かれた小さいグラスに麦茶が入っていたが、ガラスの表面についた水滴も全て落ちていて長机の上にグラスを中心とした水たまりを作っていた。さぞぬるくなっているだろう。もてなすつもりはなく、お供え物のように置いてあるだけだった。
2メートルほど離れて相対した長机には五人の高齢な男性が座っていた。その後ろにもう一列あり、二人座っているが、窓を背にしているので表情はよく見えない。なによりも、部屋自体がそれほど明るくない。時間は十七時を過ぎようとしており、差し込む日差しも少しオレンジがかっていた。
顔は見えないし、私からすれば全員初対面だが、この商店街を仕切る町会の役員連中だときいている。私はさりげなくネクタイに触れた。結び目は緩んでいない。それどころか、シャツの第一ボタンまで締めている。襟はもう汗を吸って湿っていた。だが、こういう場では服装を固めて隙を作らないことが大事だ。
「このたびはATMコーナーの出店にあたって、私どもが事前に伺っていた条件とは違うご要望をいただいていると、迫田より報告を受けております。どうもうまく説明ができていない様で申し訳ございませんが、誤解のないように説明させていただきたくお伺いしました」
打ち合わせの趣旨を確認するために私が口火を切ると迫田が申し訳なさそうに膝に手をついて頭を下げた。ただし、彼自身に落ち度はない。
「なんか、ややこしいことになりました」と迫田が報告してきたのは一週間前のことだった。「商店街を仕切っている町会から、どうしても町会に入ってもらわないと困るっていわれてて」
よくある話だった。ATMコーナーの賃料や運営経費は本部の予算で賄っているが、町会などへの参加費は最寄りの支店の経費になる。基本的にはお断わりなのだが、支店と町会、あるいは地域実力者との付き合いなどに影響するといけないので、支店の総合的判断に任せる、という仕切りだ。但し、支払う限りは毎年本部から経費削減できないかのトレースを受けることになる。
「支店は是々非々のスタンスです」
つまり、本部判断で断っても一向にかまわない、ということだ。取引が深いわけではないのだろう。
「面倒なのは、これです」と迫田は紙を一枚差し出した。「町内会費の月三千円はいいとして……」
「寄付金三十万!? 何のために?」
「挨拶料みたいなもの、と言ってましたね。商店街に出店するときの習わしだそうです」
「そんなん知らんがな」
私の苦笑に付き合うように笑みを浮かべた迫田が、遠慮がちに続けた。「来週、説明に来いということです。僕一人でもいいんですが……」
「いいよ。スケジューラ、入れておいて」
迫田はもう何回も同じ話をしてきたのだろう。それでも埒が明かない。ましては月会費や町内清掃費などの名目ならともかく、寄付金というのは聞いたこともない。一回の面談でビシッと終わらせないといけない、という思いから帯同を依頼してきたのだろうと思った。
「ありがとうございます」
「あ、あと、賃貸借契約書と、重要事項説明書のコピーちょうだい」
「はい、すぐに」
「そもそも銀行さんはどういうつもりでいるのか、ということなんですよ」
最前列の男性が強めの声を出した。迫田と直接の窓口になっているという人物だ。「商店街にATMコーナーを出したんだから、町会に入るのは常識でしょう」
「常識かどうかはともかく」私は微笑みながら言った。「そういうご要望をいただくことはありますが、内容次第、と考えています。なにしろ、いかんせん無人の店舗なので、たとえば町会で輪番で回ってくるようなゴミ捨て場の掃除とか、地域の駐輪場の見回りとか、そういうところでお役に立てません。そこを“町会費を払って町会のメンバーである以上は協力してほしい”といわれたりすると困ってしまうので、ご迷惑にならないようにお断りしている、という状況です」
「内容次第なら入会していただける?」
「しないことはない、というレベルです」
しれっと張った予防線に、男性は即座に反応した。「ウチは入ってもらうことが前提になっているんだよ!」
私は声を落ち着かせていった。「重要事項説明にも特段、町会への参加義務は記載がありませんでしたし、賃貸借契約締結時にも貸主に確認しています。そのため、今回のお申し出に対して正直、困惑しています。本来であれば貸主さんとお話しいただきたいのですがね」
ATMコーナーに限らず、店舗を出店するにあたっては土地あるいは建物の所有者と賃貸借契約を締結する。賃貸借契約は所有者(貸主)と借主との責任・義務について取り交わすものだが、不動産に関してはその前に重要事項説明として、当該物件を利用する際に注意しなければならないことを明示することが義務付けられている。
今回は、商店街の一角にATMコーナーを出店したところ、町会から参加するよう求められているという話だが、参加が“義務”であるならば重要事項説明として貸主が説明するべきだし、そうでないならば話し合いに応じる必要もない。
つまり、町会として入会を前提としていたものを当行が断ったとしても、その文句は町会が貸主に言うべきであり、当行が責められるべきものではない。本当は貸主もこういう場にいるべきだが、貸主自身は地方都市で別事業を営んでいるので来れないという。電話で泣きついた迫田に、貸主は「町会参加は義務じゃありませんが、あとは話し合ってください」といっただけだという。
「平行線をたどってても仕方ないので」私は半身を乗り出して言った。「改めて確認ですが、町会への入会と月会費三千円のお支払い、町会行事への参加、それから寄付金として三十万円の拠出、というのがご要望事項ということでよろしいでしょうか」
「そうです」
「うーん、町会行事については、先ほど説明したとおり、どんなことを想定しているのかなぁ、というところですね。夏に盆踊りでもやるんですか?」
「やりますね。盆踊りじゃないけど、商店街の前を歩行者天国にして、屋台を出したりしますよ」
「銀行が屋台を出すわけでもないですからねぇ。その日だけATM手数料無料とかできれば面白いかもしれませんが、銀行のシステムはそう簡単にいじれないし」
前列の男性陣の半分ほどがくすりと笑った。
「ほかのコーナーでは町会に入っているような例はないんですか」
「いくつかは。ただ、昔は有人の支店だったところの名残り、私たちは”廃店跡地”という言い方をしてますが、支店だったころに払っていたものを、惰性のように払っているぐらいですね。しかもこの経済環境下では年々見直しされていて、減ってきています」
「地域協力という観点はないんですか。この商店街でも御行に口座のある人は多いでしょう」
「ありがとうございます。月会費については金額の多寡もありますが、それを払うことで町会活動に経済的な意味だけでも協力しているとなるのであれば、”町会活動”の内容を明らかにしていただきたいですね。昨年度の活動記録か何か、あればください」
「そんな、パソコンで整理したようなものはないけど……ちょっと考えてみます」
「お願いします。それよりも問題なのは、寄付金ですね」
「これは町会参加とは別に、この商店街に出店する人たちには最初にお願いしているものです」
「迫田からもそのように聞いていますが」私はそこで息を継いで少し考えるそぶりをした。「ちなみにですが、隣の八百屋さんも近頃出店されたようですが、同じように三十万円ですか?」
前列の男性陣のなかに動揺が走った。「それは、どういう意味ですか」
「あぁ、契約内容の守秘義務もあるかもしれないから明示しなくてもいいですけど……」私は少し覗き見るような顔を作っていった。「同額ともなると出店時の負担も大変だっただろうなぁ、と。礼金にも相当しかねないですよね」
「……まぁ、御行よりは少ないですね」
「なぜ?」私は間を置かずに聞いた。ちなみに、八百屋が払った寄付金は五万円程度だという情報は、迫田が貸主から聞いている。「どうして当行のほうが高く?」
「それは……銀行さんだから、まぁ、それぐらいかと……」
「勘弁してくださいよ、“それぐらい”って、公表相場でもあるんですか」
私ははっきりと笑い声をあげて天井を仰いでみせた。そして、姿勢をただして相手を見据えた。さぁ、反撃だ。
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