コロナ奮闘記

【2023/1/14校了】
 流行りものには金のかからない範囲で一通り触れてみる主義。でもなぁ、、病気は違うだろう。。。
 といいつつ、ついに罹ってしまった…

コロナ禍

 不穏な空気が漂い始めたのは2019年の年末ごろで、「中国で未知のウィルスによる肺炎が増加、実質の都市封鎖」とかいうニュースだったと思う。
 未知のウィルスでロックアウトといえば、だいぶ古いが「アウトブレイク」という映画の印象が強い。エボラウィルス熱を扱った映画で、原作を読んだが、描写が生々しくてホラードキュメンタリーだった。

映画「アウトブレイク」

 日本に来たのは2020年2月のダイヤモンド・プリンセス号事件が一つの象徴だろう。その辺からマスクの着用も広がっていったように記憶している。
 その3月に初めて発動され、それから幾度となく繰り返される緊急事態宣言。飲み会は自粛になり、談笑するのもはばかられる状況が続いたが。
 その頃の僕は福岡で単身赴任。ちなみに、福岡単身赴任というと中洲(繁華街)でアソぶイメージを持たれがちだが、それは東京単身赴任者が歌舞伎町に入り浸っていると言っているようなもの。
 繁華街に行くわけではないが、たまには外食もする。一人で居酒屋に入ることに抵抗がないタイプでもあり、カウンターで店員と話をしているうちに、隣の客と顔なじみになったり、みたいな感じで、誰だか知らん人と飲み交わすこともしばしば。

 会社では「毎日検温して、少しでも怪しいと思ったら病院へ。とにかくクラスターは起こさないように」などと言ってはいたが、「無症状感染がある」と分かった瞬間に「100%の防御は無理」と思った。症状がなければ出勤もする。隠れ鬼ごっこみたいなものだ。
 そんなんだから、自分の行動とも合わせて、自分は無症状感染していてもおかしくないな、とも思ってはいた。

 東京に来て、福岡とは人口密度も労働環境も違うし、家族の中で自分が一番行動範囲が広いのもあり、ワクチンを接種する気にはなった。ちなみに、カミサンと子どもたちはワクチンを接種していない。
 ちゃんと3回接種しつつ、一方で職場でもしっかり手のアルコール消毒は心がけていたのだが。

前夜

 2022年12月。いわゆる忘年会シーズンで、今年は何となく全体的な緩和ムードもあるが、さりとて「数年ぶりにみんなで行こうぜ」とはならんよね。という状況下、中旬に2件ほど行った。それはそれ。

 12/27(火)。朝から鼻が詰まっている。風邪か、と思って熱を計るが36.3度と平熱。うーん、、、とパブロンをポケットに突っ込んで出勤。日中、たまに痰が絡んだが、過去に薬局で似たような状況の時に「鼻風邪は寝ている間に鼻水が喉に回って痰になったりしますから」とエグい話を聞かされたのを思い出す。
 喉飴をなめつつ業務。しゃべると鼻声になっているのが自分でもわかるが、思考ははっきりしているし、しゃべり続けても咳き込むこともない。が、パブロンを朝昼服用しても良くなる感じがないので、夕飯がガッツリ行こうと蒙古タンメン中本、五目タンメン+クラッシュニンニク。
 週初ともいえる平日にニンニクたっぷりというのも攻めた話だが、ブレスケアの威力を信じて栄養摂取。ニンニクでウィルス対策って、学生時代から発想に進歩がない。
 さりとて翌28(水)。進展なし。やはり鼻をずるずるしつつ、それでも体温は36.6度。微熱ぎみ? いや、こんなん微熱ともいわんだろ、だるさもないし…と出勤。

 世間はいわゆる仕事納め…のせいか、通勤電車は既に空き始めている。パブロンと龍角散のど飴を口にしつつ業務開始。これも通常通り。職場でも残り二日を休みにして「じゃぁよいお年を~」といって帰っていく人が何人か。あるお姉さんが「早く風邪治しなね」といってくれたのもありがたい。
 まぁ、風邪だよな、と思っていたのだが。

発熱外来

 いつもどおり軽く焼酎のお湯割りを飲んで寝たのだが、なんか酔いの回りが早い。パブロンで一向に良くなる気配がないのも気になっていて、こっそり体温を計ったが、36.3度とまた下がっている。鼻づまりで酸欠気味だからか、と思いながらうとうとして…寒くて目が覚めた。
 布団にくるまっているのに寒い。鼻の中で、何か嫌な匂いがする。インフルエンザのときに感じたような…つまり、熱がある? あー、なんだ、インフルか…と夢うつつで思いながら、少し経ってから「本当だったらまずいぞ」と起き上がって熱を計った。
 37.4度。あ、これまずいパターンだ。しばらくリビングの冷気で頭を冷やす。もう一度計る。37.2度。お、このまま下がるか? そんなわけない。ダメだな。

 カミサンに一声かけて診察券をあさり、大学病院に電話するが「かかりつけの患者以外は救急外来を受け付けていません」。持病もないのにかかりつけなんかあるかい。
 東京都の発熱外来受付センターにかけなおして調べてもらうと「祝日診療しているのは…」あ、そう。29日は祝日なんだ…仕事納めしてるもんね、ふつうは。
 豊島病院が良かろうと思い電話をしたら「来てもいいですが、ホームページで予約登録してから来てください」。
 病院のホームページで「来院する方はこちら」ということで予約をするようになっている。へぇ。電話をかけたのが3:10ごろ、予約可能な時間は5:00以降。さよか。
 家にいても仕方ないが、早く言って寒い部屋で待たされるのも嫌なので、30分ほどゴロゴロしてから一人で車を転がして通院。4:20着。
 病院の外に建てられたプレハブが「発熱外来」の看板を掲げている。受付を済ませ、待合室…ともいえない、パイプ椅子に座って待つ。テレビで「暴れん坊将軍」をやっている。もう何年ぶりだ、こんな時代劇を見るのは。
 呼ばれるたびに名前と生年月日を確認される。すごいね。「夜間にできるのは抗原検査とインフル検査だけです」それで結構です。鼻に細い綿棒を入れられ、10秒待ち、それを回転させながらゆっくりと抜いていく…
 うちの部署に、過去何回か発熱して、そのたびにPCRを受験しては陰性、という子がいた。4回目で初めて陽性になって「もうPCRマスターですから」とかいってたけど、よくまぁこんなん1年で4回もやったな、と思う。

「じゃぁ15分待ってください」とタイマーと検査キットを渡されたが、その時点でもう「COV」のところにうっすらと線が表れている。「FLU」は無反応。マジか。。。。。

Yo! Say!

言い逃れ不能…

 15分後、はっきりと黒い線が表れたキットをもって診察室へ。
医「あぁ、コロナ陽性ね。症状は…一昨日から鼻水」
俺「発熱は今夜からです。この場合、発症日はいつになるんですか?」
医「うーーん……」
俺「それによって出勤可能日が変わるので」
医「そうだよね…うーん、やっぱり27日だな」
俺「てことは、7日間できっちり三が日の1/3までがNG期間ですね」
医「そうなるね」

 茂原家恒例の「大晦日の早朝寿司」「元旦の初日の出+明治神宮初詣→新年会」が全部パァ。子供たち、ガッカリするだろうな。
 仕事は仕事で、年内残り2営業日のぶんだけを振り分けりゃいいから、まだ気が楽。29スタートだと、なんだかんだで新年第1週もなくなるところだった。

医「感染経路に心当たりはない?」
俺「ないです。というか、27日スタートだといつごろからが範囲ですか」
医「48~72時間ぐらい…うーん、クリスマスイブごろから」
俺「ないです」
 クリスマスイブに誰かと濃厚接触するようなトキメキ感のある時代は過ぎている。もっとも、ファミリーパーティはしたのだから、リア充ではあるのだけれども。
俺「ワクチン3回打ってますけど、それで熱が出なかったんですかね」
医「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。今日から発熱ってことは、これから咳とか喉とかくるのかもしれません」

 ってことはやっぱり発症日(スタート)は今日じゃないのか? と言いそうになるのをこらえて、ロキソニンと、鼻水、痰切りの薬をもらって、おしまい。
 布団を自室に持ち込み、リモートアクセス端末を立ち上げて報告メールやら引継ぎメールやらを作りまくる。本部宛の罹患者報告を本人がするケースって、面白いんじゃないかと思って自分で作ってみたりする(笑)

 一通りやり終わって8:30。なんか頭が痛いが、単純に寝不足かもしれないと思って横になって目を閉じたら、次の瞬間には11:00になってた。
 そして昼過ぎ。閉めたドアの向こうからカミサンの声がした。
「末っ子、37.5℃」

家庭内隔離

 3号(末っ子)の発熱を受けて、家の中が急に重苦しくなった気がする、たぶん(部屋から出てないから分からない)。
 特に双子2号(次女)は皆勤賞を狙っている。コロナ関連は特別休暇扱いになるからといってはいるが、彼女からすると「完全試合」を目指したいようで、心構えは良いが…
 で、俺がこもっている4畳半の通称「書斎」ではさすがにスペース不足なので、寝室を使い切ってこもっている。こっちはカーペットに布団敷きだが、そっちはフランスベッドだよ、おい、とは思うけれども「逆にしろ」というわけにもいかない。

 単身赴任時代に使っていた簡易電気ポットと充電器、さらにインスタントコーヒーの箱などが持ち込まれてくる。これで、トイレ以外には部屋を出ない環境が完成…なんかさ、単身赴任時代そのものだよね。
 午後はうつらうつらしながら2時間おきに目が覚める感じで、気が付いたら夜になっていた。
 昔から買いだめてある「ギャラリーフェイク」「マスターキートン」「ブラックジャック」なんかを、懐かしく読み漁る。

 夕方、ようやく三女が診察を受けられることになった。で、1時間ぐらいで帰ってきた。父親がすでに陽性であることを伝えたら、「じゃぁPCR検査で」…ンン、意味が分からない…「結果は2日後」……ンンン、なおさらよく分からない。

 だけど「まぁ陽性で間違いないだろう」ということで、カロナールを3日分もらって帰ってきた。
 ちなみに、12/31に正式に陽性が判明し、追加で3日分もらってきた。出し惜しみか。いや、絶対的に不足しているんだろうなぁ。

 ところで、俺の処方されたのも「ロキソプロフェン+レパミド」「デキストロメトルファン」「カルボシステイン」ってことで…何か物足りないと思ったら「インフル=タミフルorリレンザ」みたいな、「コロナ特有の薬」がないことだな。「専用の治療薬がない」ってそういうことか。ほしいな、専用の治療薬。効くかどうか分からないじゃん…うん、まだどの薬も分からないんですね。
 ニュースでやっている言葉の意味を身体で理解するって、こういうこと。
 ついでに。俺の初期症状は「鼻づまり」なんだけど、上記はどれも解熱鎮痛・痰が主で、鼻水の薬がない気がする…ま、いいのか。集中して治すべきは熱と喉ということか。

年越し

 三女はダブルベッドのある寝室で、俺は書斎で、隔離生活。
 まぁ、なんぼ「同病」とはいえ、中学生の娘とダブルベッドで寝るわけにはいかない。仕方ない。俺がベッドで、娘が書斎でカーペットの上に直敷きした布団というのも、親子の道義に反する…文句も言えない。
 寝室はTVもあるからいいよなぁ、と思っていたら、カミサンが「年越しそばぐらいは一緒にどうぞ」という。で、ダブルベッドの上に折り畳みテーブルを置いての年越しそば&紅白。
 ジャニーズファンの三女は紅白をチラチラ見ながら、Chrome BookでYou Tubeなども見つつ、ゴキゲンに過ごしている。
 俺は俺でそこまでこだわるつもりもないので、書斎と寝室を行ったり来たり。
 そして、23:00ごろ、寝た。何の感慨もなく、寝た。

自室で寂しく食べるところだった年越しの茶そば。薬味の下に麵がある。

 目が覚めて5:00。まだ暗い。
 初日の出か…と思う。毎年、6:00ぐらいに子どもたちを起こして寝ぼけ眼のまま着替えさせ、車に乗って荒川河川敷。7:00前後の初日の出を拝んだら、そのまま車で明治神宮。元旦の明治神宮は混んでるイメージが強いが、8:00ごろだと「年越し隊」は引き揚げ「元旦組」はまだという、狭間なので本殿までノンストップで行ける。
 これが毎年の黄金パターンだったのだが、今年は無理。なので寝る。
 7:00過ぎ。明るくて目が覚めた。窓の向こうからオレンジ色の光が射している。初日の出だ。やったー、元旦だー……うん、まぁ、初日の出は縁起物として、拝めたことに価値を持とう。

2023年おめでとう!

 朝寝ができるとなればカミサンも子どもたちも起きる気配なし。9:00ごろになってようやく「何か食べる?」というモードになってきた。
 が、子どもたちもどこかに行けるわけでもなし。当初予定していた両親・妹夫婦一家との新年会も今年はキャンセルなので、ただただ時間が過ぎていくのを待つ。
 体調は、熱が下がりもはやなぜ監禁されているのかもよく分からにぐらいになっているのだが、時おりとてつもない眠気に襲われる。
 部屋いっぱいに布団が敷かれていると、こういうときに便利というか不便というか…つまり、寝てしまう。

 夜は手巻き寿司。黄金パターンの中に、「大晦日も未明に起きて築地に行き、鮮魚を買いつつ6:00ごろの寿司ざんまいで年末最後の贅沢をする」というのがあるが、当然それもなかったので、せめてもの、ということらしい。
 これも、三女と俺だけ別室で巻き巻き。

斬新なミシン台の使い方

 だし巻き卵と雑煮は次女が作ってくれたとのこと。よく出来ている。感謝。
 テレビを見つつ、だらっと寝る。

監禁生活

 カミサンや子どもたちが、土日にヒマになると寝てしまうのが「何なのだろう」と理解できなかった。職場の女性陣も「土日はダラダラ寝て過ごしてます」というのも「睡眠という意味ではないよな」と思っていたのだが。
 人って、本当に「寝るしかすることないよね」と思うと寝れるもんなんですね。人生47年にして初めて知りました。
 まぁ、、、寝れるね。元旦は「唐突な眠気に襲われる」という、ある意味風邪の初期症状でもある眠りではあったけれども、1月2日は「やることないから寝てみる」みたいな寝かたで……一日が終わったことにびっくり。
 過去にも土日をなんとなくダラダラ昼寝したりして過ごして「無駄にしたー」と思うことはあったけれども、大体そういう時は疲れがたまってたり、体調がよくなかったり、というのがあった。
 あ、いや、確かに今は体調は良くないが……
 にしても、「時間が溶けるように過ぎていく」というのを体感すると、焦燥感があったり、逆に麻痺って無気力感に浸ったり。

 そうか、虜囚とか刑務所とか、こういう感覚なのか……

 思えば、コロナはまだ「専用の薬」がない。インフルといえばタミフル、リレンザといった薬があるが、コロナにはまだそれがないから、処方されるのもカロナールかロキソニンだし、最悪パブロンを飲んで過ごす人もいるらしい。
 だからなおさら「自分は”世界的にヤバいと言われる病気”なんだ」という漠然とした重症感こそあれ、「でもこれを飲んでいるから治るのだろう」という安心感がなく過ごさなければならない。
 これがまた、気持ち的にシンドイ。

連鎖

 俺の発症は12/27からということなので、1/3が療養終了日。ダルさと鼻詰まりはまだあるが、熱はもう一向に上がらない。さぁ、1/4から仕事するか、と思いきや…
 カミサン発熱。すぐさま抗原キットで確認したところ、きれいに「陽性」。
 そうか……
 厳密に言うと同居家族での発症者になるので、会社のルール的には俺の療養明けはリセットされてまた5日間の自宅待機になるのだが……

 俺、一週間ろくに家族と会話のない監禁生活だったんですが。
 いわゆる「家庭内別居」状態だったんですが。

 病院からもらった「濃厚接触者」の定義には、もともと当てはまらないのだし、ましてやこの監禁生活はなおさら。これを自宅待機とするのは会社の独自ルールでしかないので、割り切って出勤。
 ただ、カミサンの罹患は元気な娘たちへの心理的影響が大きく。成人の日三連休明けから学校が始まる中で、この最後の最後にコロナというのはどうしても嫌らしい。
 だから、俺も出勤はしつつ新年会なんてもってのほか。夕飯は一人で外食し、帰宅してうがい手洗いしたら自室にこもる、という家庭内隔離は継続。

 そうはいっても成人の日。冬休み最終日ぐらいは子どもたちを連れだしてやろうと午前中の神田明神へ初詣。俺はシレッと前日に一人でお参りしたが、夕方の時間帯というのもあり混雑がひどく閉口した。午前中ならまだだいぶ楽。
 水道橋で昼食して、子どもたちはお買い物。俺は家で作業をしつつ、天気もいいからどこかでかけて日なたで酒でも飲もうかと電車に乗ったら、入れ替わりに帰宅した娘から電話があった。
「双子1号、37.4℃」

 やむなく帰宅。双子2号は膝を抱えて蹲っている。換気のためか、ベランダと玄関も開け放っていてひどく寒い。
「明日から学校なのに。こうやって順番に罹っていくんだ……来週は私だ…」
 双子2号は呟くと、メソメソと泣き始めた。
 こいつら、ワクチン打ってないんだよなぁ…でも重症化もしなさそうだしなぁ…
「ともかく、病院に行かないとね」
 豊島病院に来院予約をすると18:00。約3時間ある。
 ただ、その間に双子交互に体温を測ると、片方が下がるともう片方が上がり、という感じで、二人で36.4℃~37.6℃を行ったり来たりしている。
 基本的には「上がりっぱなし」になるはずだから、なんか違うんだろうなぁ、と思っていたが。

 17:30。予約より早いのを承知の上で発熱外来。療養明けの俺は車で待機、30分。LINE着信。
「二人とも陰性だったよー」
 ほらね。
 二人ともコロナ、インフルともに陰性。
「よかったじゃん!」と迎えに行ったが、二人ともテンションは低いまま。

療養明け …with コロナ

 1/4仕事始め。あけおめ、からの「年末はご迷惑をおかけしまして」
 意図していなかったとはいえ2日間は出勤してしまっていた身なので、肩身が狭い。聞けば、2つ隣の席の人が、俺の罹患を知ってその日のうちにPCRを受けたら陽性判明したとのこと。大変申し訳ない。
 そのかたが療養明けで出勤してきたときに「ごめんなさい」といったら「もう! でも正月に家事をしなくて済んだのはラッキーでした」と優しいお言葉。

 もともとの症状として味覚・嗅覚障害はなかったが、喉のガラガラは残っている感じで、ときどき噎せたような咳が出る。そのたびに周りにちょっと警戒する空気が流れる。肩身が狭い。
 それとも関係なく正月の間の罹患情報も多く、新年第1週はかなり人手不足になっていた。
 秋ごろにコロナ罹患した女の子は「臭覚障害は大丈夫ですか?」と聞いてくる(なんか、若い子は「嗅覚」といわず「臭覚」というケースが多いみたいだ。なぜだろう)。
「俺は喉と鼻がメインだけど」
「よかったですね。私、まだ臭覚が戻ってません。そのうち戻るみたいですけど」
「へぇ。じゃぁ旦那さんがオナラしてもバレないんだ」
「(笑)そう、トイレとか臭くても気にならないのはメリットです。でも、着てる服が生乾き臭してても気づかない、と思うとちょっと怖い」
「なるほど」

 カミサンも順調に回復し1週間。一家の中での厳戒態勢はようやく解除された(1/14現在)。さりとて、やはり喉はガラガラしていて「あと1ヶ月ぐらい続くらしい」とのこと。まぁ仕方ないよね。改めてマスクが手放せない生活になっている。

 結局コロナとは何なのだろう、と思う。重症化しなければ感染力の高い風邪といってもいいのかもしれない。長引く、という点では百日咳のような感じでもあるし、後遺症が体質化するのであれば花粉症のように長く付き合っていくしかないことでもある。重症化しなければ、だ。
 ワクチンを接種していたことでメリットがあったのかどうかわからない。ワクチン未接種のカミサンと三女も重症化しなかったのは、もともとの体質がいいのか、”株”のせいか、結局は分からないのだ。
 ただ、これが大昔のペストであったり、エボラであったりといった、”一撃必殺のウィルス”だとしたら、絶望感しかない。俺は年末のあの日を境に、家族とは顔を合わすことなくのたうち回って死んだのか、と想像すると、改めて”理不尽な死”というものが身近にあることを感じる。

 本稿を締めるにあたってオチになるような締め方がないか考えてみていたが、ともすれば重症化して受け入れ病院もないまま亡くなった方や、受験生の家庭で共通試験が受けられなくなった話が耳に入ってくる中、コロナで年末年始の季節行事が吹っ飛んだ程度で何か語れるものがあるわけでもないな、ということも改めて実感している次第。
 一方で、部屋にこもりっきりだったからこそ、noteに一連のことを打ち込んでみようとしたり、新しいことをやろうと思えば何でもできるということも実感している。

 てな感じの年明けにはなったものの、今年が我が家にとっても、ここまでお付き合いいただいた皆さんにとっても、良い年になりますよう。健やかに過ごしたいものだ。

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