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骨の髄まで

本稿は献血やドナー登録を勧奨するものではありません。
仲のいい友人も、献血に協力したい思いがありながら鉄分が足りないといって断られて凹んでたりします。そういう、体質によりどうしようもないこともありますからね……
ただ、その「どうしようもないこと」に、ちょっとだけ踏み込んでみた話です。

バックグラウンド

人には運と不運とがある。

 それは如何ともしがたいもので、先天性か事故かは別として、障がいを持ちながら生きている人がいて、そういう人たちを「可哀想/大変そうだけど……しょうがないよね」という人が多数だと思う。
 僕にとっては一卵性双生児の娘が似たようなものだった(過去形なのかな)。ちなみに、一卵性双生児の出産確率は1/800といわれている(高いと思うか低いと思うかは、あなた次第)。
 一卵性双生児は様々なリスクを負った異常分娩でもあるので、「産んでいい病院」が指定される。基本的に新生児治療室(NICU)のある大学病院。そして28週目、1,200g前後で産まれた二つの命は、最初の4ヶ月をNICUで過ごした。

 最初の2ヶ月は何らしかの病名をつけられた。なにしろ、片方の最初の病名は「極低小児仮死」。超未熟児で産声を上げられなかったがために、生まれた瞬間に「仮死」と言われたのだ。
 その後も、最悪は全盲になるかも、そうでなくても思春期を迎える前に歩行困難、言語障がい等、何が起きてもおかしくない、という話ばかり聞かされた。それぞれ3回ずつの手術。そのたびに聞かされる輸血の必要性と、そのリスク。年末の医療保険明細で、健康保険負担額が百万を超えているのを見て愕然とした。
 その双子が高校生になり、元気に喧嘩ばかりしているのは、健保と輸血のおかげだと思いながら、なだめている(父親が、JKの喧嘩に入る勇気を認めてほしい)。

 子どもが生まれてから、僕は献血に行くようになった。もっとも、バリバリ働いていた三十代のころは年1~2回ぐらい。平日は献血センターの開いている時間には終わらないし、土日は家族サービスで自由な時間がなかった。しかし、単身赴任した福岡では、定期的に年3~4回、献血停止期間が明けるとすぐに行くぐらいのペースで行っていた。
 この話をすると「献血マニア?」と言われる。その昔、献血するとハンコを押してもらえる献血手帳なるものがあったときは、スタンプラリーのように地方の献血センターを回る人もいたらしい。だが、今はカード……いや、アプリにさえなっている。蒐集の記録がつかないと、アニア感はない。
 たかだか400ml。もともと血の気は多いし、身体に余裕はあるし、栄養価は高いし、「もう400と言わず1,000でも2,000でも持ってってー」という気分……いや、うちの娘がいただいた分を、多少なりともお返しできれば。そんな気分がどこかにあった。

コロナ禍でのドナー登録

 2019年2月、水泳の池江里佳子選手が白血病を公表した。同3月、献血に行ったとき、骨髄バンクのポスターが目に留まり、何気なく骨髄ドナー登録のチラシを手に取り見たところ……登録可能な条件には大体問題ないが……「BMI30以下であること」

 当時、単身赴任の自炊生活で意図せず体重が落ち始めていた。が、それでもBMIは30を優に超えていたので、逆算すると5kg以上落とさないと30切らない。まだまだ伸び代が充分! と思う一方、「人助けするにも資格があり、不摂生にはその資格がない」ということを初めて知ったことに、ショックがあった。
 そうかぁ、といって、一念発起するほど殊勝な人間ではない。が、1年ほど経った2020年。コロナ禍に、志村けんが、渡哲也が亡くなった。子どものころからTVで見ていたヒーローたちが、あっけなく命を落とされた……そのことは、僕を悲しませるのではなく、焦らせた。

 コロナという前代未聞の病原菌に右往左往。街は自粛モード、防戦一方。会社では「攻めにくい状況だけど、やれることをやって今は耐えるとき。守りを固めて反転攻勢のチャンスを狙おう!」と、(何の計画性もなく)拠点長が声を上げる。

 本当にそうか? 何もできないのか? 誰かが僕に囁いた。この世には攻めと守りしかないのか……自分自身のレベルアップ……「進む」ことはできないのか

 コロナ禍ながら、2020年GW明けごろから社宅周辺のジョギングや山登りを始めた。初日はきつかった。今でも覚えている。50mで息が上がった、その僅かの間だけでも何回か自分が何を始めたのかを自分に問いかけていた。続く、たかが500mでの大汗&酸欠。「週に10km走らないと気持ち悪さが残る」という同僚のセリフが頭に浮かび、改めて理解に苦しみ「変態かよ」と呟いた。
 無理しても続かないから……と、自制のような言い訳をしつつ、ジョギングもどきのウォーキングみたいなのを週2回ほどしている間に、それでも体形が変わったのに気づいた。仰向けに寝転がった時の腹の感触が、違う。40歳半ばにして、まだ体形は変わるのか。有酸素運動ってすげぇ。

 山登りはもっと性に合った感じはある。平地で持久力のある走りを続けるより、落差のある地を踏み固めながら進むほうが、達成感もあるし、意外と速度が落ちない。

 そんなこんなで体形が絞れていき、「ダイエットしてるの?」聞かれることが増えた。Yesと明言したことはない。酒も飲むし、肉も食う。でもBMI30を切りたい。なぜなら骨髄ドナーになりたいから……んなこたぁ言えない、意味が分からない。週10km走る人よりも「変態」な発言
 「意義がある、と思えることを、できる自分(カラダ)でありたい」……本音を文字にするとこんな感じだが、格好良すぎるので、やはり言えない。

骨髄ドナーとは

 骨髄ドナーは随時絶賛募集中、といわれている。なぜならば、適合性を決めるHLA型は数万通り、兄弟でこそ1/4の確率ながら、親でも適合するのは稀、他人ともなると……。仮に数万という全パターンの受植希望者(レシピエント)がいたとして、数万人のドナーがいないと、「誰か」の希望はゼロ。そして、日本はドナー登録が少ない。

 逆に、「登録すれば入れ食いでドナーになるのでは?」と思いもしたけれど、数万のパターンの全てで受稙希望者がいるわけでもない。登録していてもドナーとしてコーディネートされる確率は40%弱(見るデータによってこの数値が変わる。多分、分母の置きかた。いずれにせよ、この確率も高いのか低いのか……)。そんなことを思いながら2020年9月、ドナー登録をした。

 ドナー制度って面白いなぁ、と思う。白血病、先天性骨髄炎…数多ある難病ながら、数億分の一の確率で合った適合者が、自らの命を差し出すわけでもなく未来への希望を与えられる…ラッキーの純増。ラッキーで元気な双子を授かった自分が、他人に分けられるラッキー。

 他方、実際にドナーになった人の話はあまり聞かない。一般人はまだしも医療関係者ならドナー登録している人が多いのでは。よほど「そういう方々」の今際に立ち会い、苦しい思いをされたなら……と思うのだが。
 なぜだろう、と思って、よく知る医者に話を聞いたら、意外な答えが。

 受稙希望者は、適合者が見つかって合意に至ると、新しい免疫を受け入れるための準備に入る。それは、自分の血液中に残る(僅かな)免疫機能を極限まで落とすこと。新旧の免疫細胞とでバトルが始まるのを避けるために、現有勢力を約1週間かけて殺し、「生物としての防衛力=ゼロ」の状態のまま、無菌室で「その瞬間」を待つ。つまり、手術が決まると最後の崖っぷちギリギリに立ち、ドナーが駆け寄ってきて救いの手を差し伸べてくれるのを待つ。
 だから、ドナーは最終合意に至るとそこから先の撤回は一切できない。急な予定が入った、体調を崩した……「だからパス!」 などと言った瞬間、免疫機能ゼロになっている人の命は……ドタキャンはただの期待外れ(リスケ)では済まなくなる

「だから、いつ夜勤になるか/緊急手術が入るか分からない医療従事者ほど、ドナーにはなれない。そもそも、この話を聞くとビビっちゃう人が多いから、最終合意に至らないケースが多い」とその医者は言った。「でも、受稙希望者は薬物療法を一通り試して、それでもダメだった生存確率0%の人。0に1でも10でも、足せるのはドナーだけ。病人を崖っぷちに追い込むことになる覚悟が必要だから、池江里佳子選手や(当時、献血センターの広告キャラクターをしていた)乃木坂46のファンクラブみたいなつもりで登録するならオススメしない」…と、その医者は言い切った。

 そうそう、もう一つ意外な印象を受けたのは、移植しても生存率は思っていたほど上がらないということ。24時間テレビの感動ドラマ系だと、移植すれば100%大丈夫という印象を受けるが、16歳以上の白血病でも5年後生存率が50%程度。「え、半分は助からないの?」と思うものの、ただ、移植をしなければ、絶望の0%。

 助からなかった人のエピソードは感動ドラマにならないだけ。
 そういう世界線の話。

そしてご指名

 登録してかれこれ丸2年。定期的に来る広報郵便(たぶん、届出住所の所在確認を兼ねてる)を受け取りながら「登録している意味あるのかな」と思い始めた2022年9月、僕の骨髄にお呼びがかかった。
 仕事中に震えるスマホ。SMSの着信表示。そこに記されたメッセージ。
 「来たっ」と興奮と緊張が同時に押し寄せてきた。SMSと同時に、家にも郵送物が送られてくる。SMSには「3日以内に回答を」と記載があるが、家族会議が必要(親族の同意なしで手術はできない)なので、とりあえず電話をして「1週間ください」と伝えた。

 ドナー手術を特別休暇扱いにする会社も、世の中にはあるらしい。僕の勤務する会社にはそういう制度がないので、有休を食いつぶしていくことになる。ボランティア活動だからね。

 ドナー手術には予備検査(2~3時間)、自己血採取(同)、入院(4~5営業日)が必要。なので、サラリーマンとしては、この日程調整をしなければなないけれど、そこはドナー(当方)の都合を正直に言える(「○月の下旬は忙しいから避けたい」など)。色々な制度は、ドナーに対して最大限の配慮をしてくれていると感じた。

 次に家族会議。妻は自分の手術歴から、全身麻酔のリスクを知っているのであまり乗り気ではない。自分の病気を治すための全身麻酔と、見知らぬ他人の為に受ける全身麻酔とでは、「万が一」があった時の納得感はないかもしれない。さりとて、カミサンも障がい児の母になりかけた身、ましてや僕以上にその実感は強い。なので、最終的には「ま、アンタがやりたいならいいけど……子どもたちの声も聞いたら」。
 てことで、当の双子に聞いてみると「え、それって人の役に立つんだよね。賛成。てか、やってよ。頑張って」。終了。子どもって、単純で純粋。
 あとは、仕事。「この忙しいときに」「他人の心配している余裕あるのか」みたいなプレッシャーは、明言されるかどうかは別として、やはりどこかにある。「結局、自己満足じゃない?」……

 見ず知らずの人。その存在さえ知らなければ、命を落とされていてもなんとも思わない。仮に存在を知っていたとしても「可哀想だけど、しょうがない」と24時間テレビの再現ドラマの感想以上には感じない。それが普通なのだろう。僕もそうだ。
 でも、自分がそのアンラッキーを救える、地球上の数少ない存在なら? 自分の身体に誰かを助ける可能性があることを知ってしまったら? そこに足を向けることは、社会人としての「余計なこと」だろうか。……まぁ、「そうだよ」といわれても「どうしようもない」んですが、「どうしようもなく」生きることを諦めてる人に、僕は「無縁」でいたくない。

 そういうことなんだよなぁ…と、子どもたちの顔を見ながら思い、職場の上司にカミングアウトしてみたら……意外なほどあっさり「へぇ、そういう制度なんだ。じゃ、頑張って。どう頑張るのか分からないけど」で終わった。
 いい職場だ、とも思ったけれど「どのタイミングで休むか」をコントロールできるのなら、引継ぎもしっかりして迷惑かけないのは当たり前だわな。

予備検査…BMI30の壁ふたたび

 実は長々と書いたここまでが前段、ここからが本番。なんだけど、ここから先は意外と短い。
 まず最初に問診票を提出。そのあとに予備検査を受けるのだが…
 問診票提出の3日後、骨髄バンクから電話がかかってきた。
骨髄バンク「首・腰に問題がないかという問いに、ストレートネックとご回答されていますが、病状はいかがですか?

 福岡にいたころ、なんとなく腕の内側に痺れのようなものがあり、整形外科に行ったことがある。いわゆる「スマホ首」。現代人はスマホをみたりノートパソコンを使ったりと、日常的に視線が下に向きがち。その結果、頚椎が歪んで神経を圧迫するというものです。実際に見たレントゲンでは、頚椎の6番・7番(だったかな)がひしゃげていた。スマホやノートPCの使用が多く首が下を向きがちな生活の人は要注意だよ……って、皆さんそうですよね。
僕「どうすればいいですか?」
医者「うーん、手術って程でもないからリハビリで通う?」
僕「(あ、これ月額いくらのサブスク路線だ)いや、通わない方向で」
医者「これぐらいならシップ貼って、肩を引き上げながら顎を前に出す感じでいれば、1週間ぐらいで良くなるよ」
 肩を引き上げ顎を前に出して歩くと、ラピュタのロボット兵のようになる。また、椅子には浅く腰かけてPCのディスプレイと高さを合わせるのも有効……なので、職場では椅子のリクライニング+浅い座り方という、だいぶお行儀のよくない座り方をしている(で、本当に1週間で痛みが引いた)。

 ……という経緯を話し、いかに「通院の必要もなく問題なく過ごしているか」をアピールしながら、「俺はなぜこんなに一生懸命話しているのか」と思った。
 思い返すと、この瞬間からモチベーションが少し変わってきていた。
 「ドナーになること」に必死になる感じ。

 この話をした同僚が「スマホ首ぐらいいいじゃん。ドナーが少ないとか言いながら、骨髄バンクそのものが門を狭めている気がする」と言いました。なるほど。一方、前出の医師にその意見をぶつけると、「まがりなりにも善意の人の骨に針を入れるのだから、結果として軽微であろうと障がいを残すわけにはいかない」との強い言葉。なるほどね。

 疑問符を残した感じの電話を終えて2週間ほど経ったところで、コーディネーターを名乗る方からお電話。「来週めどで、予備検査に進んでいただきます」あぁよかった、問診はクリアなのね。
コーディネーター「ですが、BMIがギリギリですね」
僕「あ、はい、若干ですが」
コーディネーター「30以下じゃないとその時点でコーディネート終了ですので
僕「(安西監督⁉)え、そうなんですか」
コーディネーター「あ、でもそのために無理しないでくださいね。急激なダイエットは血液の評価を変えますから」

 声を聞きながら電卓を引き寄せ試算……2kg落とさないとヤバい。いや、当日の着衣重や体調でどうなるか分からないから、3kg強は落としたいところ。
 無理するな、と言われたけれども、それから1週間、昼飯は抜くか、おかずだけ(炭水化物カット)にするか、かつその低血糖状態で3駅分は歩いて帰るということをした。
 何のために? ドナーになるために…ではない、申し訳ないが。

 コーディネートは、複数のドナーに対して同時に行われると言われている。つまり、問題がなくても自分が選ばれない可能性はある。
 でもね。その原因が「体重が1kgオーバーしていたので」って……それはさぁ、自己管理の問題でしょ。なんぼ誰にも責められないボランティア活動とはいえ、カッコ悪すぎでしょ。
 そしてきっちり仕上げて迎えた予備検査の日、気分は計量日のボクサーさながら(正直、体重測定で着衣重レベルでの誤差だったら、脱ぐつもりだった)。
 結果はBMIは29.3……1週間で4kg減量。脱がずにクリア! やればできる子。

コーディネート保留、そして……

 予備検査では、血液検査のほかに改めて骨髄ドナーの「ハンドブック」をもとにコーディネーターから説明を受ける。読み合わせに近いほど綿密に。
 当然、手術リスクについても話があった。全身麻酔だからね。
 過去、全身麻酔の手術から復帰した上司に、当時の感想を聞いたら「俺はあの日、死んだと思う」というのが一言目だった。「麻酔入れますよー」と言われてから、ひと呼吸もしないうちに「終わりましたよ」と言われた。
 同じく全身麻酔手術の経験がある妻も同じようなことを言っていた。

 うん。「怖い」

 症例数と事故の比率でいえば、交通事故以下では、とは思う。ただ、赤信号と分かってて渡ろうとしている感じもある。いずれにせよ、ここでヒヨッたらドナー登録していた意味がない。

 ちなみに、この予備検査も含め、あらゆる交通費は骨髄バンクから精算される。たまたま僕が検査を受けたのは地元の(双子が生まれた)大学病院だったので、定期券の範囲内、無料だったが。また、会社に対しても休暇/遅刻の証明として検査証明書を発行してくれる。いたれりつくせり。
 さらに市区町村次第ですが、通院1日につきいくらの補助金を出してくれるところもあるので、各行政区のHPで調べてみると、生命保険以上の入院費がもらえる可能性もある。

 予備検査を終え、手術日程を決めたら家族同伴での最終意思確認。そこでの合意は「戻らざる川」になるはずだったのだが。

 11月中旬、コーディネーターから「コーディネート保留の申し出がありました」との連絡。レシピエント側から、日程調整等の打ち合わせを中断してほしいとの申し出があったとのこと。
 これ、いろいろ考えるよね。「つまり、間に合わなかった?」とか。でも、それは守秘義務のヴェールに包まれた話。
コーディネーター「年明けまでお話が止まりますが、お待ちいただけますか?」
 愚問。待ちますよ。
 そしてさらに半月ほど経った12月中旬。
コーディネーター「今回のコーディネートについて終了の連絡をいただきました。お待たせして申し訳ありませんが、これで終了です」

 やはり確たる理由は分からないものの、一つには「レシピエントの治療方針」があるとのこと。例えば、今やっている投薬や放射線治療が上手くいっているので、あえて免疫機能を殺す(崖っぷちに追いやる)移植に踏み切る必要もない、とか。
 そうであってほしいなぁ、と思う僕に、コーディネーターは聞いた。
コーディネーター「ドナー登録は続けますか」
 やりますよ、定年(=ドナー登録の期限・55歳)まで。

なりそこねたヒーロー

 というかたちで、僕の第一回骨髄ドナー経験は終了した
 ドナー登録をしたときに、ドナーになることを目的としていたわけでは、ない。でも「適合しました」と言われてから、「ドナー登録していること」が生々しい具体的なイメージとして頭の中に形づくられていた。
 だから「終了です」ということにガッカリ感はある。でも、それは「ドナーになれなかった」というのではなく、「こうなるだろうな、というイメージが外れた」という感じが正しい。
 予備検査から「保留」になったので、最終確認の前にまた検査があるかもしれない、と思うと、BMI30未満は維持していなければならない。なので、そこも気を遣っていたりね(←いや、ドナー関係なくBMI30未満は維持しよう)。
 このエッセイは、その気持ちの供養みたいなもの。

 「どうしょうもないこと」に対しては、本人も、ましてや他人は、攻めることも守ることもできない。
 ただ、良き方向へと進ませることならできる、かもしれない
 そりゃ、コーディネートが進んだら人生初の全身麻酔になるし、そのことに恐怖がなかったわけでもない。まして、受稙希望者がどこの誰かも知らないのだし、その人が生き永らえた命で何を為すのかも知るわけもない。
 ただ、生きて何かさえしていれば、この世の中は僅かにも良くなるような気がする(その確率が高いのか低いのかも分からないし……どうでもいい)。
 世の中の全てが、何らかの運のなかで動いているのであれば、自分は間違いなく娘の命とともに幸運を得たのだし、借りたものは返したい。心理学でいう返報性の原則。

 ただ一つだけ。「ドナー休暇」がないのは、ちょっとシンドイ。実は、いわゆる年次の有給休暇の消化を、ドナー登録後は下期に取るように調整していた。特に「お呼び」がかかってからはさらに制御していたので……結果、コーディネート終了したあとの、第4Q(1~3月)にまとめて消化しなければならなくなってしまい、むしろ周囲に迷惑をかけた気もする。運というか要領が悪かったといえばそれまでなので、“次”はうまくやろう。
 今お読みのなかに会社経営者の方がいらっしゃったら、是非ご考慮いただきたい。あ、大丈夫、そんなにドナーになる社員、いないから(いたらいたで、喜ばしいこと)。

 あ、そうそう。ドナー候補者になると、献血が禁止される。他人にあげる造血細胞を疲弊させないように。
 なので、コーディネートが終了した次の週末、7か月ぶりで400mlを抜きにいった。不思議なもので……なんか、体調がよくなった気がした。血を抜いたはずなのに、デトックスされた気分。それはそれで、大丈夫なんかな(ちなみに、3月の献血で30回達成! この世に僕の血が12リットル、バラまかれてる……と表現にすると、だいぶサイコパス)。

 断片的ながらこの話を同僚にしたところ、「社会貢献度が半端ないな。ヒーローじゃん」と言ってもらった。ヒーローねぇ。誰かを救ってこそ、な気はするけどね。季節限定で赤い羽根を胸元につけてドヤッている人よりはマシなぐらいよ、と思うのも、ちょっとひねくれているか。

 「骨の髄までいい人なんですね」とも言われた。でも、これを読んでいる人の多くも「”骨の髄が良い”人」なんだろう。
 骨の髄が悪い人は、その人のせいじゃぁない。骨の髄の良い人は、その不幸を助けられるかもしれない。

 ということで、「僕はドナー 2ndシーズン」をお楽しみに。


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